車椅子の母子と遭遇する

車いすの母と椅子を押す娘.jpg 写真はカブール市内で、通勤するために渋滞の道を行くサバイさんとサハールさん母子


6月10日午前9時、カブール〜ドバイ帰りの航空チケットを、予約すべくサフィーエアーのオフィスに向かっていたときだった。
渋滞する車の中を縫うように、一生懸命手漕ぎの車椅子で前へ進んでいく母子がいる。
「これは取材せなあかん」と、緊急インタビューを敢行した。
「両足はどうしたのですか?」。車椅子を押す娘には「学校には行けてるの?」などと質問しながらビデオカメラを回すと、案の定秘密警察が来て「何を撮影している?」「許可証は?」と執拗に尋問してくる。
やっぱりお前らが来たか、と半ばあきらめ、半ば抗議しながら、「俺は人道支援でやってきたんだ。取材させろ!」と一悶着。
ピースジルガにロケット弾が飛び込んでから、カブール市内には警官と軍隊、そして平服を着た秘密警察が増えた。

日本では報道されていないかもしれないが、カルザイ大統領のすぐそばにロケット弾が炸裂して、大統領のガードマンが足を切断する重傷を負った。タリバン側からいえば、まことに「惜しい」一撃だったのだ。
当然、そんなロケット弾攻撃を許した内務省は、糾弾される。そして内務大臣は更迭され、警察としてもメンツがかかる局面に入った。当然、執拗な警備が繰り返されるのであるが、一般市民としては「うっとしい」ことこの上ない。
何しろ、どこの交差点をわたるときにも尋問されるのだから。

そんな秘密警察を振り切って、カメラを回し続ける。
車椅子を手でこぐ母親はサバイさん(35)、そして車椅子を押す娘はサハールちゃん(10)だ。サバイさんは15年前、カブールに住んでいたときにヘクマティヤルのロケット弾で両足を失った。足を失ってから妊娠し、2人の子どもを産んだ。障害者福祉やバリアフリーの観点もない国で、2人の子どもを出産するのは相当な苦労だっただろうと想像する。

「夫は?」
「2年前に死にました」
「なんで?」
「自爆テロに巻き込まれて」
インド大使館を狙った自爆テロが炸裂したとき、運悪く付近を通っていたのだ。家族の生活を支える夫が亡くなって、サバイさんはマラライ産科病院で、事務員として働いている。

「お父さんが亡くなった時、どう思ったの」。娘に残酷な質問をする。
「・・・、悲しかった」小さな声で答える。
「お母さんの両足がないことについてどう思っているの?」
「・・・」。サハールちゃんは今にも泣きそうな顔でうつむくのみ。
「将来は何になりたいの?」
「お医者さん」
「なぜ?」
「お母さんを治してあげたいから」
これ以上の質問はできなかった。涙でファインダーが曇ったからだ。

サハールちゃんが母の車椅子を押す姿を、遠景で撮影する。
障害を持ちながらも、仕事をしながら娘と息子(5)を養おうとするサバイさんの姿に感動する。ただでさえ女性が自立しにくい社会である。普通なら彼女は街に出て物乞いするしか生きる方法はなかったのかもしれない。
しかし彼女は職を得て、2人の子どもを養っている、障害を抱えながら。

「めっちゃ厳しい15年間だったのだろうな」。

20歳で結婚して、すぐにロケット弾を浴び、両足を切断。でも彼女はしたたかに生きている。
「今何が一番欲しいですか?新しい車椅子?それとも義足?それとも・・・」
「お金です。娘と息子を養っていくにはお金が必要です」

そうなのだ、ここアフガンでは、人々は日々を生きていくのに精一杯なのだ。
戦争被害者に目が向くのは、人々の生活が一段落してからになるのだろう。

ヒロシマ、ナガサキがそうであったように。


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このページは、nishitaniが2010年6月11日 03:45に書いたブログ記事です。

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