今回の取材を振り返って

左足大やけど.jpg

今回の取材は2週間という短期間であったが、インディラガンジー病院、ジャララバード中央病院、マラライ産科病院などを周り、あらためて戦争と貧困がもたらす悲劇が深刻であることを確信した。
悲惨だったのは、インディラガンジー病院の「やけど病棟」。
アフガンの乳幼児が大やけどを負うケースが多い。最初はなぜ?と疑問に思ったのだが、取材を進めるうちに原因が判明した。

貧困である。
後頭部に熱湯.jpg

避難民キャンプが象徴的だが、狭いテントに10数人が折り重なるようにして眠る。寒い夜、少しでも暖をとろうとお茶を沸かす。電気のない暗闇の中、細心の注意を払っていても、その熱湯がテントに眠る赤ちゃんに浴びせられてしまう場合が多いのだ。
都市ガスも電気もない狭いテントで、家族のためにお茶を沸かした母親が、何かの拍子につまづいて転ぶ。そして悲劇が・・・。
左半身に熱湯.jpg

「やけど病棟だけで患者が一杯だ。やけど専門の病院が必要。日本の力で建設できないか?」。やけどで重篤な赤ちゃんには、少しでも清潔な環境で治療することが大事だと、ハビーブ医師は言う。

「やけど病棟」と並んで、いやそれ以上に悲惨だったのが「新生児手中治療室」だった。放射線によるとしか考えられない先天的奇形の子どもたち。ほとんどが助からない。アフガンでは、あのような劣化ウラン弾の被害者を見る機会が少なかった。

しかしジャララバードのアジュマル医師は「道路が整備されてきて、郊外都市から急患が運び込まれるようになった。それでたくさんの先天的奇形児が入院できているのだ」と証言した。
アフガンに比べ、イラクの都市インフラは進んでいる。従ってバグダッドの子ども病院は、多くの都市からがんの子どもが入院していた。
アフガンで、そういった子どもが少ないのは、劣化ウラン弾の被害者が少ないのではない。カブールまでたどり着けないだけなのだ。

今回の取材で、あらためて劣化ウラン弾の非人道性を痛感した。
オバマ大統領は「核兵器を使った道義的責任」を表明した。しかし現在使用を続けている劣化ウラン弾も、ある種の核兵器ではないのか?
03年バグダッドの病院で、多くのがんの子どもとであってから、私は「イラクの子どもを救う会」を作った。あれから7年。被害は収束するどころか、急速に拡大している。
国際社会が、もっともっとこの問題に目を向けるべきだ。

6月12日、私は無事日本に帰国した。アフガンの孤児たちが描いた絵には、すべて「PEACE」という文字が記されている。全てだ。
私たちは、平和は当たり前の空気のようなもの、と感じているかもしれない。しかし世界には「戦争しか知らない子どもたち」がいる。そしてその「戦争しか知らない子どもたち」を空爆する米軍は、沖縄から飛び立っている。
その事実から目をそらしてはいけない。あらためてそう感じた今回のアフガンであった。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 今回の取材を振り返って

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/309

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2010年6月14日 10:06に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「やはり食料が一番」です。

次のブログ記事は「アフガン 少女たちの絵」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01