援助物資を届ける

小麦の買い出し UNHCR.jpg 写真は カブールの下町、小麦の卸売り店

10月9日、早朝よりカブールの下町で小麦、米、食用油の買い出し。30年も続く戦争で疲弊したアフガンでは、農業国でありながら食料自給率が低く、米や小麦は輸入に頼っている。
巨大な卸売り市場では、パキスタンやインドから来た米、カザフスタンの小麦、アメリカからの食用油などが所狭しと並んでいる。
写真はその中の1つ、パキスタンからの小麦の卸売店。この店の風よけシートは、UNHCRと大書されたビニールテントシート。
今年1月にこのシートを一枚15ドル(約1200円)で購入し、避難民キャンプに配ったのだが、こんなところにもこのシート。国連職員も汚職に染まっていて、本来なら無料のテントシートを、横流しして、こんなところまで流れてきているのだ。
店主と交渉。
「トラック一台分買うんだぜ、もう少しまけろよ」。サバウーンが粘っている。
「何を言うか、これ以上ディスカウントしたら卸値を下回るよ」店主が応酬。
そんな交渉を1つ1つまとめていき、小麦と米、油でトラックが満杯になる。
支援物資満載のトラックとともに、まずはパルワンセ避難民キャンプへ。パシュトン側の代表者とタジク側の代表者をあらかじめ、キャンプの外へ呼び出して、それぞれの「取り分」を決定させる。
2人のリーダーは、5対3の割合で分ける、ことに合意した。よし、いまから
パシュトン5、タジク3の割合で、支援物資を配ろうとした時だった。
「俺たちは、新たに逃げてきた者だ。日々の食料に困っている。俺たちにも回してくれ」というグループがやってきた。
米軍の空爆で村が焼かれ、最近逃げてきたばかりという。
分けてあげたいのだが、その様子を他の人に見られると、我も我もとなって収拾がつかなくなる。このグループには、あらかじめパルワンドゥーに回ってもらって、後から配ることにする。
小麦を運ぶ リヤカー.jpg


そんなこんなで配布開始。いったん5対3というルールを決めると、人々は素直に受け取っていく。
やがて配布完了。人々はアッラーの神と日本人に祈りを捧げてくれた。
パルワンセを後に、パルワンドゥーへ。ここは全てがタジク人なので順調に配布完了。子どもたちの様子を撮影する。

パルワンセの子ども アップ.jpg かくして今回も無事に食料を2つの避難民キャンプへ届けることができた。 募金してくださった全てのみなさん、本当にありがとうございました。これで何とか彼らも一息つけたと思います。この場を借りてお礼申し上げます。

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このページは、nishitaniが2010年10月 9日 22:45に書いたブログ記事です。

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