トルコ軍基地を訪問

ムラートキャプテンと.jpg


10月18日午前8時半、カブール市東部にある「キャンプウェアーハウス」へ。ここは元々ISAFフランス軍の基地であったが、現在は多国籍化し、トルコ軍、オランダ軍なども同居している。
ここでトルコ軍キャプテンのムラートさんと面談。トルコ軍は2002年から約8年間、約2千人もの兵士を派兵している。ムラートさんたちと装甲車でのパトロールに同行する予定だったが、トルコ軍の都合でパトロールは行われず、代わりにトルコが財政支援する職業訓練校や女子校、病院などを見て回る。
職業訓練校は日本が建てて、トルコが運営している。正面に日の丸とトルコ国旗、JICAの文字にアフガン国旗。
私とムラートキャプテンの後を、トルコ兵たちがゾロゾロとついてくる。治安維持のためとはいえ、これほどの兵士は必要ないだろう。他に仕事がないのだろうか?

職業訓練所では、手縫いのカーペット、ミシン、パソコンなどを教えていた。貧しい家庭の子どもにとって、手に職を付けて家計を助けることが必要なので、この学校は大変喜ばれている。日本の50億ドルの支援の行き先は、こうした学校にも渡るべきだろう。
トルコ兵たちの手厚い保護のもと、キャンプドーガンへ。この基地にはトルコ、アゼルバイジャン、アルバニア兵がいて、それぞれの任務についている。
基地内にはトルコが作った病院があって、アフガンの普通の人々を受け入れて診察している。治療するのはトルコ人医師だ。
基地の中央に。トルコの英雄ケマル・アタチェルクの銅像があって、そこでムラートさんと記念撮影。
「我々は軍隊だが、戦闘行為よりこのような人道支援に力を入れている。日本もそうだろう?私の任期はあと4ヶ月。その間に何も起こらないことを願っているよ」。トルコの首都アンカラで家族が待っている。何としても無事に帰らねばならない。基地の食堂では何百人ものトルコ兵が一斉に食事している。この人々の無事を祈る。

さて、私の旅も本日が最終日となった。最後にどうしても訪れたい場所がある。それはサバイさんの自宅。彼女たちはどのように夜を過ごすのか、取材したかったのだ。
ビデオカメラを抱えて、自宅へ。サバイさんのアパートは大通りに面している。小さな鉄の門扉を開けると、細い路地が伸びているのだが、路地には電気がなく真っ暗。手探りで20mほどいくと、サバイさんの車椅子が置いてあって、急勾配の階段。真っ暗な急斜面の階段を上りきったときに、裸電球が1つ。ようやく足下が確認できる。ビデオカメラの画面は真っ暗。「ナイトショット」に切り替え取材する。この時点で午後6時45分。つまりこのアパートの人々は、タリバン政権崩壊後9年間を、このような闇の中で過ごしてきたのだ。当然、夜に勉強もできないし、本も読めない。首都カブールでさえ、貧しい人々はこの生活である。
一方、カルザイ政権の主要閣僚たち、麻薬ビジネスで巨額の富を得た人たち、さらには復興ビジネスで、かなりの所得を上げているゼネコンたちは、おしゃれなマンションに住み、貴金属を買いあさっている。(カブールはバブル景気)
何という落差であろうか。カブールの一般庶民は、市場で重い荷物を運んで一日わずか50円ほどの賃金。そこへ日本の税金50億ドルがぶち込まれるのだ。なんとしても直接この人々に届けなければいけない。50億ドルは私たちの税金である。その行き先を、今後も監視したいと、心に刻む。

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このページは、nishitaniが2010年10月19日 02:27に書いたブログ記事です。

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