革命前夜のバーレーン ①

2月19日、朝からデモ隊5人が軍と警察隊に射殺された「真珠広場」を目指す。タクシーを拾って広場に向かうが、広場に通じる道のすべてを軍と警官がシャットアウト。仕方なく遠く離れた場所で、タクシーの車内から軍を隠し撮り。大量に派兵された軍隊は、ほとんどがサウジ軍、そして警察官はパキスタン人である。なぜか?両国ともスンニ派の独裁政権で、バーレーンのスンニ派親米独裁政権が崩壊するのを恐れているのだ。
遠くから望遠で戦車や兵士を撮影するも、車が揺れるのと望遠なので、見るに耐えない映像になっているだろう。
真珠広場をあきらめ、対岸のシトラという町へ。実はこの町こそ、今回の抗議デモの震源地。貧しいシーア派が弾圧されつつ暮らしてきた町である。
タクシー運転手のラティーフさん(女性です!)は、シトラ出身で、昨日殺された被害者と顔なじみ。「これを見て!」と案内されたのが、墓地。昨日のデモで警官に射殺されたアリーさんの写真と、埋葬したばかりのお墓。22歳の若者で、エンジニアだった。
そのアリーさんの葬儀が町のモスクで行われている。モスクに入ると、みなさん「これを撮れ!」「アリーはいいヤツだった」「日本からか?この事実をぜひ報道してくれ。彼は無抵抗で、平和的にデモをしていただけなのに撃ち殺されたんだ」。など、次々と人々がカメラの前で訴える。
この状況、実は以前に経験している。それは04年のファルージャ。あの時も私のカメラの前で「今、人が死んでいるんだ!」と絶叫している若者がいたな。
17日(たった2日前だ!)の深夜3時に、至近距離から撃ち殺された52歳の葬儀。真珠広場での集会は深夜まで続き、帰る人もいたが、その場にテントを張って残る人も多数いた。彼と家族は、いわば「ピクニック気分で」テントを張って、この歴史的瞬間を勝ち取ろうとしていた。深夜3時、闇にまぎれて警官隊がテントを襲った。彼はテントの前に立ち、両手を広げて「撃つな!」と家族を守った。警官と彼の間はわずか5m。両手を広げて「武器は持っていない」と表現する彼の胸と背中(つまり前後から)を警官たちは実弾射撃。
彼の弟がその時のシャツを保管していた。赤く血に染まったシャツに、10数カ所の穴が空いている。銃弾の痕跡。
彼の家を訪問。黒いへジャブを着た18歳の女性。娘だ。「お父さんを好きだった?」「…」無言の後、彼女は泣き崩れ、兄が彼女を抱きしめる。2ヶ月後に結婚が決まっているという。しかし愛する父親はもういない。(続く)

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このページは、nishitaniが2011年2月20日 05:00に書いたブログ記事です。

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