今回の取材を振り返って バーレーン編

今回、バーレーンに入って「革命前夜」を取材できたのは、極めてラッキーなことだった。2月11日の「ムバラク政権崩壊」をカブールで知った。当初、エジプトを訪問してからアフガンに入るか、アフガンで取材してからエジプトへ行くか、で迷っていた。

私の読みは、ムバラクはしばらく粘るだろう、アフガン取材を終えた頃に、ちょうどタハリール広場が最高潮に達しているのでは?というものだった。しかし民衆パワーが、予想をはるかに上回り、ムバラクが退陣したので、このまま「アフガンだけ」で帰国しようと考えていた。

すると、エジプトに刺激され、リビア、バーレーン、イエメンなどで次々と民衆が立ち上がり始めた。

ドバイ空港からバーレーンへは、一日5便も飛んでいる。バーレーンは酒は自由、ナイトクラブあり、マリンスポーツあり、「イスラム国家」としての戒律は非常に緩く、「何でもあり」の国だった。
裏返して言うと、サウジやUAEの金持ちたちが、自国の窮屈なイスラム原理の生活様式に辟易として、「ちょっと遊びに立ち寄る」国なのだ。

首都マナマは、そんな「堕落したリゾートアイランド」の表の顔。内海を渡ったシトラ市は、「貧困シーア派が閉じ込められた」裏の顔。

今回は「裏の社会」に閉じ込められていた人々の爆発だった。79年にイランでイスラム革命が起こった時、バーレーンのシーア派が蜂起した。しかしこの時は国王の軍隊に弾圧され、以後、30年間、人々は独裁体制に甘んじてきた。
「今回がラストチャンスだ。これを逃すと、我々は一生、差別され、虐げられるのだ!」シトラ市の若者たちの悲壮な決意。

前日に5人射殺されているというのに、また、真珠広場でデモをすると言う。
「殺されるかもしれないよ」というと「死を恐れている場合ではない。神が守ってくれる。インシャアッラー」。
そして彼らは、また真珠広場に向かっていったのだ。

彼らは武器も、石さえ持たず、花を持って対峙した。彼らの「本当の武器」は、携帯電話だった。警官隊が一斉に射撃してくる。その模様を携帯で撮影する。そしてすぐにその動画がネット上にアップされる。それをアルジャジーラその他が報道する、その映像は遠くアメリカまで流れる。そしてオバマでさえ、国王に「弾圧するな」と言わざるを得なくなる…。

こうして彼らは勝利した。いや、勝利の方向に一歩進んだ。
今のところ、民衆は「国王と首相を倒せ!」でまとまっている。さらに進んで、「米海軍は出ていけ!」という運動につながるかと言えば、おそらくそこまでは行かない。国王を支えてきたのは、サウジと米国である。その背後にいるビッグパワーにまで、メスが入るか、が今後の争点であろう。

バーレーンは小さな島国であるが、①産油国、②サウジの裏庭、③米海軍の司令部がある、④シーア派革命の萌芽、など、今後の中東情勢に与える影響は極めて大きい。今後も要注目なのだ。

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このページは、nishitaniが2011年3月 2日 10:36に書いたブログ記事です。

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