ベンガジの状況 5

5月22日、本日はベンガジ子ども病院で激戦地アジュダービアから逃げて来た子どもを取材。
16歳の少年は、アジュダービアで友人が撃ち殺されるのを目撃した。若干トラウマがあって、インタビューに答える声に力がこもらない。近所にロケット弾が落ちてきて、家族が圧死するのも見ている。ロケット弾攻撃があったのでアジュダービアには住めないと思い、家族と一緒に逃げてきた。
彼は生まれつき腎臓が悪く、ここで週に3回透析をしているが、根本的に直すためには海外へ出て手術が必要。
「将来の夢は?」との質問に、「とにかくエジプトに出て、病気を治すこと」との答えだった。

子ども病院には「がん病棟」があって、ここに白血病やその他のがんの子どもが入院している。
その多くがリビア東部の町デルナやトクラの出身。世界でほとんど報道されていなかったので知らなかったが、実はリビア東部のこれらの町で、1996年に住民が一斉蜂起したことがあった。打倒カダフィーの蜂起は今回だけではない。その時はカダフィー軍が徹底的に弾圧。90分で1千人以上の人々を虐殺した、などと語られている。当時のリビアに外国人が入国するのは非常に難しく、またネットなども遮断されていたため、この虐殺が大きく報じられなかったのだ。カダフィーはこの虐殺に「マスタードガス」などの毒ガス兵器を使用した模様で、毒ガスの影響やその他爆薬、銃弾の重金属による化学的毒性によって、人々の健康が蝕まれていったと考えられる。

子ども病院の壁に一枚の写真が貼ってある。幼い子どもの手術の写真と、銃弾が体内に入っているレントゲン写真。聞けば、この子は生きていてベンガジに住んでいるという。

ベンガジの下町、釣り具屋さんの5歳の息子は、3月19日、父親と表通りでデモを眺めていた。ベンガジでは独裁打倒を叫ぶデモ隊とカダフィー軍が衝突を繰り返していた。デモ隊は平和的に表通りを行進していた。すると突然、カダフィー軍のスナイパーがデモ隊に実弾を発射してきた。その中の一発が、釣具店の壁に当たり、跳ね返った銃弾が5歳の少年の左肩を貫き、肺で止まった。
「痛いよ、お父さん」。肩には小さな血痕。その時、父はまさか少年の身体に銃弾が入っているとは思わなかった。「怪我したのか?ママの所に帰りなさい」。少年は歩いて自宅へ帰り、母が少年の手を引き、歩いて病院へ連れて行った。
病院へ着いてからすぐに少年は意識を失う。レントゲンを撮った医師は母に告げた。「おそらくダメだ。生き残れないだろう」。

緊急手術が始まった。銃弾は肺と心臓の間、背骨の所で止まっている。早く取り除かないと、血液と酸素が脳に入らなくなるので、死んでしまう。時間との闘いだった。手術は半日に及び、AK47の小さな弾丸が取り除かれたときは深夜だった。
驚いたことにその後少年は意識を戻し、数日後には自分で立ち上がり、歩き始めた。奇跡的に何の障害も残さず回復したのだ。
ビデオカメラの前で「走るのと踊ることが好きだよ」と無邪気に笑う。
「アルハムドリッラー(神のご加護があった)」と両親は安堵の表情を浮かべる。

おそらく薄皮一枚の距離、本の数ミリ左か右にずれていたら、肺か心臓を傷つけて、この少年は助かっていなかっただろう。カラシニコフが発した、たった一発の弾丸。わずか数センチ、真ちゅう色に鈍く光る先の尖った金属が、家族の運命を、人の人生をめちゃくちゃにする。

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このページは、nishitaniが2011年5月22日 23:30に書いたブログ記事です。

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