パキスタンにて その1

ちょっとした事情があって、ブログアップを遅らせていた。現在パキスタン取材中で、以下、順に紹介していきたい。


8月15日深夜、イスラマバードに無事到着。空港は客引き、タクシー運転手、旅行手配者などでごった返している。パキスタンは人口が多いんやなぁーとあらためて実感。タクシーはスズキアルトの、30年ほど前の中古車。アフガンのタクシーは圧倒的にカローラが多かったが、こちらはスズキアルトの独擅場である。
高速を走る。珍しいことに日本と同じ左側通行。ここはイギリスの植民地だった。道路標識もウルドゥー語の下に英語表記があって助かる。予約していたクラウンプラザホテルにチェックイン。
実は最近のパキスタンビザは、なかなか厳しくて、航空券の領収証はもちろん、ホテルの予約書まで要求される。そしてホテル予約書は、ネットで取ったものではダメで、必ずそこにパキスタン人の自筆サインが必要なのだ。
書類一式をそろえて、東京のパキスタン大使館に提出したのが7月末。すると大使館から電話がかかってきて、「パキスタンのどこへ行く?」「何をする?」「いつまで泊まる?」「お前はジャーナリストか?」などと「尋問」される。
あげくの果てには、「私は観光で訪問します」「イスラマバード以外宿泊しません」という英文の誓約書を提出しなければならなかった。
パキスタン国内に何か隠したいことでもあるのか?それともこの領事がめちゃめちゃ神経質な人物なのか?
ということで、めったにホテル予約などしないのであるが、今回は必須。クラウンプラザという「いつもより豪華目の」ホテルなのだ。

16日、イスラマバードは昼からスコール。なので思ったより涼しい。テレビでは「洪水被害の状況」が流れている。昨年インダス川が氾濫し、約90万人の人々が家を失った。今なお4万人の人々が屋根のないキャンプに住んでいるらしい。日本のテレビでは画面下に「本日の放射能飛散状況」が出るが、こちらでは常に「洪水被害状況」が出ているのだ。
イスラマバードのBBCオフィスへ。ここでハルン・ナジャフィザダさんと面談。彼はBBCの現地特派員で、ビンラディンが殺害された場所、アボダバードについて詳しい。一通り注意事項を聞き、明日からのアボダバード行きに備える。
殺害された家には、現在誰も入ることができない。外からの撮影になるだろう。

午後2時過ぎ、暑さと渇きで体力消耗。しかし今はラマダンなので、レストランはおろか、雑貨屋さんも空いていない。昼間は水さえ飲めないので、人々は日陰でごろ寝。夏のラマダンは日が長いので大変だ。
夕刻5時、ようやく涼しくなってきたので、イスラマバード郊外の「パキスタンモニュメント」へ。パキスタン建国の歴史を伝える巨大なモニュメントが、山の上に建っているのだが、そのモニュメントのすぐ下には「中国・パキスタン友好センター」が、これまた巨大な建物としてそびえている。
ビンラディン殺害では、米軍が国際法違反の、パキスタン主権侵害をしたのだが、この事件が起こる前から、パキスタン政府は、米国からじわじわと距離を置き始め、代わりに中国に接近しているのだという。
対インドとの関係、アフガン戦争でのパキスタンの役割、衰退する米国経済、台頭する中国など、様々な現代世界情勢を反映して、パキスタン政府は、その中をうまく泳いでいこうとしている。
パキスタンモニュメントの丘の上に小学生たちがいる。学校が終わり、ここで遊んでいるのだと言う。マドラサ=学校では、コーランを学ぶ。パキスタンには「普通の学校」と「マドラサ」があって、この子たちはどちらにも通っている。要するに、普通に戦争や帝国の歴史を学びつつ、これとは別にイスラム的な世界観を学ぶ。どちらの学校が好きか?と聞くと、全員がマドラサ!と答える。おそらくこの子どもたちの中からタリバンなどの「反米戦士」は生まれては来ないと思うが、911事件後、反米感情の高まりの中で、少なくない人々が「イスラム急進化」しているのは間違いない。


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このページは、nishitaniが2011年8月20日 23:43に書いたブログ記事です。

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