パキスタンにて その3

8月18日、10時間に及ぶ尋問でさすがに疲れた。さらに私と通訳の名前が記録されてしまったので、次に拘束されればアウト。慎重に行動しなければ。
まずは、ラワルピンディーの「ベナジール・ブット女史暗殺現場」へ。現場には彼女の大きな写真と追悼の碑が。

ブットが暗殺されたのは07年12月27日。現場は演説会場となった広場と大通りを結ぶアクセス道路。このアクセス道路と大通りは鉄の門扉で仕切られている。演説を終えたブットは多くの民衆に取り囲まれ、この鉄の門扉付近で車上から身を乗り出し、群衆に手を振っていた。その車のすぐ後ろ、あたかも護衛の車に見える車上から、一人の男が至近距離から銃撃、その後車が自爆した。銃撃後、自爆すれば確実に殺せる。プロの仕業に違いない。
現場にはその時の自爆した跡が穴になって残っている。

問題は誰が殺したのか?である。いまだに真相は明らかになっていない。イスラム過激派ではないか?というのが西洋社会の見方であるようだが、こちらでの多数意見は「夫で、現大統領のザルダリだ」というもの。まさか自分の妻を殺すなんて、と感じるが、この暗殺で誰が一番得をしたか、といえばザルダリなのだ。

当時の大統領ムシャラフは軍のトップでもあり、強力な独裁者だった。しかし911事件後、アメリカが「テロとの戦いに協力しなければ、パキスタンを石器時代に戻してやる」と脅迫され、ムシャラフは基地提供など米軍に便宜を尽くした。米軍がアフガンでおなじイスラム教徒を殺しているのに、その米軍に協力するとは何事!ということで反米・反ムシャラフ感情が高まっていく。

ブット女史に取れば、政権に返り咲くチャンス。しかしまだまだムシャラフは強い。そんな時に暗殺事件が起こった。当然、①ライバルであるムシャラフが殺したのではないか。②なぜ、国家の重要人物を守れなかったのか。ということになり、ムシャラフは引きずり下ろされ、代わりに政権トップに居座ることができたのは夫のザルダリだった。

このザルダリという人物、大変評判が悪くて「汚職王」なのである。現地では「ミスター10%」と呼ばれている。外国企業が様々な公共工事を受注する時、かならずワイロを支払わねばならず、それが10%なのだ。トップがそんな人物なので、警官も軍もワイロ漬け。昨日取り調べを受けたときも、執拗にワイロを要求された。

ブット暗殺現場を取材したのが、夕刻6時頃。日没が近づいてくる。人々はそわそわし、家路を急ぐ。ラマダン中は日没になってから食事をする。イフタールと呼ばれているが、みんなお腹をすかせているので、このイフタールに間に合うように一斉に帰ろうとする。
かくしてラワルピンディーの国道はラッシュとなる。腹が減ってるので、みんなイライラ運転。そんな状態でメーン交差点が大渋滞。本来交通整理をするべき警官までが、イフタールを求めて帰ってしまったため、「通せ!」「俺が先だ!」クラクションが鳴り響き、交差点上で小競り合い。
まぁイスラム圏ではよくあること。

ちなみに人々はなぜラマダンをするのか。
豊かになった現在でも、貧しかったときのことを忘れてはならない。なので、一年に一回くらいは満足に食事ができなかった頃を思い出そう、今も食事できない人々のことを忘れずにいよう、ということらしい。


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このページは、nishitaniが2011年8月22日 13:24に書いたブログ記事です。

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