パキスタンにて その6

テント生活被災者.JPG 支援物資を配る 2.JPG

チャウサダのモスク敷地内で、いまだにテント生活をしている人々。洪水被害から1年。しかしまだ住居はない。


8月21日、本日は昨年の大洪水で被害にあった村を訪問する。昨年7月、パキスタンのインダス川、カブール川流域一帯が大洪水で、多くの家が流され、人命が奪われたのは記憶に新しい。この大洪水で約90万人が家を奪われ、今なお4万人もの人々が屋根のないテント生活を送る。

イスラマバードから西へ車を飛ばすこと2時間、インダスの大河が見えてくる。このあたりは中流に当たるが、それでも川幅は淀川の河口×1.5倍くらい。このあたりは雨がよく降り温暖なので、周囲には緑豊かな大地が広がる。古代文明が栄えたのも納得できる。
インダスの大河を越えて、さらに30分程走るとカブール川にさしかかる。カブール川はインダスの支流だが、このあたりまで来ると満々とした水を貯え、淀川の枚方大橋くらいの広さ。カブールではチョロチョロと流れる「どぶ川」程度だが、ジャララバードを越えて、ペシャワールあたりまで下ると、大河に変身する。

そんなカブール川が昨年6月頃よりじわじわと水位が上がり、そして7月には何と今渡ってきた橋をあふれ、堤防下の家々を飲み込んでいった。ヌシャラという中流層の住む街へ。カブール川岸の家には高さ3mのところに茶色い線が入っていて、これが当時の「洪水ライン」だと言うことが分かる。
東北の津波は一気に家を飲み込んでいったので、現地はかつての面影を跡形も残していないが、こちらは「じわじわと」飲み込んでいったので、家やビル自体は無事で、家財道具や人が流されていった。
「1年が過ぎ、ようやく家の修理に取りかかっているよ。国連も政府も何の援助もしてくれないので、修理費は持ち出し。まぁ家族は無事だったので、それだけでも幸いだったけどね」と、長いあごひげをたくわえたおじさん。ツナミのことはもちろん知っていて、日本のことを心配してくれていた。

ヌシャラを後にして、チャウサダという街へ。ここは相対的に貧困層が住んでいて、やはり3mくらい、低地の家々が沈んでしまった。
チャウサダの国道沿いにモスクがあって、そのモスクの敷地内にテントが続いている。
テントは避難民の出身地区によって2カ所に分かれていて、合計約80世帯、700人程度が、洪水被害から1年も経っているのに、まだテント暮らしである。
被害発生から3ヶ月ほどは、各国からのNGOがやって来て、それなりに食料援助などがあったのだが、ほとんどの支援団体は帰国してしまい、今やHRDSというNGOが給水援助をしているだけ。気温40度を超える炎暑の中、過酷なテント生活で電気はない。食料こそ、周辺住民がイスラム的な寄付(ザカートという)で何とかなっているが、この環境で1年は堪え難いものがある。
政府からの支援として、一度だけ被災者に「ビザカード」が配られた。この「ビザカード」で地元金融機関から5千ルピー(約4500円)引き落とせる。

で、支援はおしまい。

「この国は雨が降り、農作物が育つ。人々も勤勉で問題ない。問題なのは政府だ」と通訳のアユーブ。

テント生活する人々に、何がほしいかリクエストを聞く。何といってもまずは食料だった。特にラマダンなので、昼間は断食せねばならず、子どもがお腹を減らしているという。
8月22日、早朝よりラワルピンディーの市場で、支援物資の買い出し。80世帯700人分、約2トンの小麦、米、食用油、砂糖を買い出し。トラックに積み込み、ラワルピンディーからチャウサダへ。
テントからたくさんの被災者が出てくる。食料援助をみんな大喜び。パニックにならないように一列に並ばせ、配布スタート。
聞けば、今年になって初めての援助だとのこと(水はのぞく)。災害も戦争も、起こったときは、たくさんの支援が集中するが、やがて忘れられていく。

そもそも昨年の大洪水は、現地の人には責任がなく、おそらく地球規模で進む気候変動が原因だ。アフガンやパキスタン北部に大量の雪が降り、その雪解け水で増水しているところに長雨が続いた。
一方、東アフリカのソマリア中心に大干ばつが襲いかかり、100万人単位で餓死寸前に陥った人々がいる。

砂漠か洪水か。

地球規模で緑が奪われ、人口が爆発し、化石燃料が燃やされた。そのしわ寄せが一番弱い立場の人々に押し付けられている。
支援物資の配布が何とか終了。時計を見るとすでに午後5時。ここからイスラマバードまで約3時間。私の帰国便は午後10時に飛ぶので、急がねばならない。

ハプニング続きのパキスタンであったが、現地に入ることによって、また「テロとの戦い」の本質に少しは近づけたのではないかと感じる。
私がパキスタン入りした3日後、リビア情勢が激変し、そして22日にトリポリが陥落した。リビアに行けなかったのは残念だが、世界の歴史が、激しく動き出しているのを実感する。今年になり、日本では311地震、原発事故が起こり、中東・北アフリカでは次々と独裁者が倒れていった。そして911関連としてビンラディンが殺害され、アフガンから米軍が撤退を初めた。アフガン情勢を考える時、決定的な影響力を持つのがこのパキスタンだ。
さて、今年後半、来年はどうなっていくのか?

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: パキスタンにて その6

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/416

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2011年8月26日 12:48に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「パキスタンにて その5」です。

次のブログ記事は「橋下前知事と維新の会 マニフェストを嗤う」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01