マザリシャリフにて②

2月11日、少々風邪気味。昨日、裸足で凍りつくようなアリー廟を歩いたせいかな?タクシーでマザリシャリフ市立病院。駐車場から病院玄関まで、外来患者であふれている。徹夜したのだろうか、この寒い中、ベンチで寝てたら余計に悪くなるやん、と思いつつ、でも他に方法がないのだろうな、日本とは事情が全然違うのだ。彼らはそれこそ「清水の舞台から飛び降りるつもり」で、バス代を払って、ここに来ているのだ。したがって病院の玄関では、ちょっとしたバトルが繰り返される。「中へ入れろ」「何時間待たせるんだ!」怒号飛び交う中、数人のISAF軍兵士が佇んでいる。なぜ病院に?プレスカードを見せて、しばし取材。
彼らはノルウェー軍の兵士だった。「人道支援」のため、ここで働く2人のノルウェー人医師の警備をしている。装甲車に防弾チョッキとM16ライフル。病院にそんなんいるか!と突っ込みたくなる。
マザリは治安が安定していて、そんな重装備は必要ないと思うのだが、「NATOの基準」というのがあるのだろうな。後に病室を案内してくれた医師も「ここは病院だぜ。患者が怖がってしまう。迷惑だよ」と苦言を呈していた。
院長の許可を得て、病室を取材。白血病など血液のがん患者が多い。劣化ウラン弾との関連が気になるが、この国では因果関係を調査するのがタブーである。
子ども病棟へ。カブールでもそうだったが、この季節、肺炎で重症になった赤ちゃんが多数。1つのベットに2人はザラ、下手すると3人、4人と折り重なる様に寝ている。母親が付き添っているが、ずっと赤ちゃんを膝に抱いて、座って寝ているのだそうだ。
新生児集中治療室もひどかった。1つの保育器に、未熟児が2人、3人と入っている。保育器から出ていても、重篤な赤ちゃんは酸素吸入をしているのだが、1つのベットに2人、3人が寝ているため、酸素吸入と点滴のチューブがこんがらがりそうにからまっている。
この病院にも、かつては日本からの援助が入っていたのだが、なぜか援助がストップして、劣悪な環境の中で、多くの命が消えてしまっている。
原因は?おそらくマザリから日本人スタッフがいなくなったからではないだろうか?同じことがカンダハルでもヘラートでも起きている。危険だからと引き上げてしまえば、継続的な援助はできなくなるのだ。外務省の、特にJICAのみなさんが、現場にいることが重要なのだと思う。
成人の病室に、白い肌で赤毛の青年が座っていた。右足と両目の眼球がない。今から16年前、1996年にパキスタン軍の空爆でやられた。7歳だった。
なぜパキスタンが?答えはタリバンである。タリバンはパキスタンに支援された軍隊で、96年当時、このマザリはタリバン対北部同盟(ドスタム軍)の激しい闘いが続いていた。タリバンが北部同盟を打ち破るよう、パキスタン軍は「空爆で援助」していたのだ。昨日のブログにも書いたが、「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵」。結果、このような罪なき子どもたちが負傷し、人生を狂わせる。
病院取材を終え、アリー廟の前で物乞いする人々に取材。ビデオカメラを回しながらインタビューするのだが、たちまち黒山の人だかり。聞いてもいないのに、撮影する対象でもないのに、「俺の話を聞け」「僕を映して」などちょっとしたパニックに。仕方がないので写真を撮って見せてあげると、大喜び。またまたパニックに。みんな純朴な人たちやなー、と感心する。
さて、飛行機の時間が迫ってきた。空港へと急ぐ。空港といっても滑走路があるだけで、何もない広場のようなもの。兵士がいる。「カブールまでだ、通してくれ」「今日のフライトはキャンセル」。
えっ、何で?カブールが大雪で飛行機が降りられないのだった。そう、私は厳寒のアフガンを取材しにきたのだ。こうなることは予想できたはず。でも実際に予定が狂ったときは「しまった」と思う。後の祭り。もう一日マザリだ。

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このページは、nishitaniが2012年2月14日 04:47に書いたブログ記事です。

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