マザリシャリフからカブールへ

2月13日午後12時半、タクシーでマザリまで戻ることを選択。マザリからの飛行機は午後5時に飛ぶ。これを逃せば、またマザリでもう一泊しなければならない。あと4時間半しかない。来た道を戻る。ドライバーは「サラン峠?ノープロブレム。俺は何回も通っていて、そうだな、10時間くらいでカブールに着くよ」と言っていた。アフガンでは、人々の放つ「大丈夫」を鵜呑みにしてはいけない。このことは過去何回も経験していたのだが。
今更ドライバーに苦言を言っても仕方がない。それより安全運転で飛ばしてくれ。道中、何台かのトラックが大破していた。スピードの出し過ぎと、互いに道を譲らない強引さ。この国では交通事故が多いのだ。
プレホムリを午後3時に通過、あと2時間、これなら5時までに到着できそうだ。何カ所かトラックがチェーンを巻くために、スタックする場面があったが、行きよりは順調。サマンガンの町まであと10㌔ほど、この調子で行ってくれ!と願っていたときだった。

こんなところで渋滞するか?という何の障害もないところで、10数台の車がスタックしている。前方100mほどのところに銃を構えた米兵。米兵の後ろには、ドイツ国旗とハンガリー国旗がそれぞれ添付してある装甲車が10数台。おいおい、こんなところで道を遮断するなよな。
ISAF軍の車列を先頭に、みるみるうちに車が詰まってくる。どの車からもドライバーたちが「何が起こったんだ」と顔を出す。こんな時は、私の出番だろう。プレスカードを高く掲げて、米兵のところまで歩み寄り、ジャーナリストだということを確認させてから、交渉に入る。
「なぜ道を遮断しているのか?」「ハンガリーの装甲車がエンジントラブルを起こした」「エンジントラブル?でもここは公道だ。片側通行で、通してほしい」
「ダメだ。遮断せよ、という命令だ」「俺は5時の飛行機でカブールまで飛ばないといけない。せめて急用ある車だけでも通してほしい」「わかった、ボスに聞いてみる」。

結果、ダメだった。軍の命令は絶対なのだ。「アホ、お前らのおかげで間に合わんやないか。また無駄な一日をすごさなアカン。クソッ」心の中で毒づきながら、じりじりと復旧を待つ。4時、5時。あぁ、飛行機が飛んでいった。もう一日マザリで過ごすのか…。すっかり暗くなった国道を行く。6時半、ようやくマザリに到着。あそこで2時間スタックしなければ、間に合っていた。ダメ元で、空港へ。翌日のフライト時刻をチェックする意味もあった。

「カブールへの便は何時に出る?」「カブールか、急げ。みんなチェックインを済ませているぞ」。
何と、5時の便が遅れていて8時に飛ぶのだ。やった、さすがアフガニスタン。飛行機は予定通り飛ばないものなのだ。

かくして私は3時間遅れの便に、ギリギリ間に合い、現在カブールに無事戻ってくることができた。こうしてブログを更新できるのも、カブールにいるからなのだ。ホテルにチェックインして、熱いシャワーを浴びる。あー熱い湯が冷えきった身体の芯にまでしみ込んでいくようだ。ハードラックが続いていたが、どうやらこのへんで、ツキも戻ってきた。アフガンでの取材もいよいよ最終ラウンド。最後まで気を抜かずに、取材&支援を続けるつもりだ。

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このページは、nishitaniが2012年2月14日 21:21に書いたブログ記事です。

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