カブール最終日 ハザラ人居住地区を訪問

2月15日、とうとうカブールも今日で最後。今回の取材テーマの1つに「戦争被害者の自立」を撮影したいと考えていた。ホスマンドの自宅へ。彼とは3年前、カブール市内で出会った。ISAF軍本部の前で「障害者にも仕事をよこせ」「アメリカは出ていけ」などのシュプレヒコールを唱えながらデモ行進していたうちの1人で、その時の様子は、報道ステーションでも流させてもらったし、拙著「オバマの戦争」で取り上げた。彼は今から約20年前、アフガン西部のヘラートという街に住んでいて、そこで当時のナジブラ政権軍兵士だった。
ヘラートはイランに近く、イラン軍が国境を越えて侵攻してきた。彼は若く、軍の中では下級だったので、イラン兵士&ムジャヒディーン(イスラム聖戦士)の敵陣近くまで攻め込まされた。そこで地雷を踏んだ。以後、障害者として生活しながら、同じような境遇の人々の生活改善に取り組んでいる。彼は片足で器用にホンダのスーパーカブに乗る。3年前まで郵便局員として郵便配達の仕事があったが、その仕事はパシュトン人に取って代わられた。みんな大きな声ではいわないが、この国ではハザラ人に対する差別がある。
ホスマンドの自宅はカブールから車で30分くらいのハザラ人居住区にあった。ハザラ人は一目で東洋系と分かるので中国かモンゴルの下町に迷い込んだ感じ。
ホスマンドの紹介で18歳の少女に出会えた。3歳の時、カブール郊外の自宅がロケット弾の直撃を受け、両足を膝下から失った。自宅から小学校まで歩いて通えなかったので、11歳まで学校に行かず、家で過ごした。国際赤十字が義足を作ってくれて、歩行訓練をして歩けるようになった。
小さい子に混じって学校に通い始め、今は7年生(中学一年)である。
彼女はミシン裁縫を習っていて、自分で洋服が縫えるようになった。洋服が売れれば自立できる。
次に紹介されたのもロケット弾で両足を失った22歳の青年。彼はパソコンの修理技術を習っていて、やはり一人前になれれば自立できる。あとは彼らを支える政府や地域の支援があれば。
ホスマンドも、18歳の少女も、22歳の青年も、アフガン内戦当時に障害を負った。このような人たちには、政府から年間に1800アフガニー(3600円)しか手当が出ない。逆に01年以後のテロとの戦いに巻きこまれて障害を負った人には、月に2000アフガニー(4千円)、年間4万8千円の手当が出る。カルザイ政権はアメリカが作り上げたので、現在の戦争被害者にはやや厚めに手当をするが、それまでの戦争は自分たちの責任ではないと切り捨てているのだ。
大阪空襲訴訟で、軍人や軍属には年金、恩給が出ているのに、空襲で家を焼かれ、障害を負った民間人には手当が出ていないことが明らかになったが、裁判所が「戦争だから受忍せよ」と、老齢の原告たちを突き放したのと似ている。
戦争だから仕方がない、俺たちの政権にあの戦争の責任を負わせないでほしい、というのはアフガンも日本も同じなのだ。いや、まだ少ないながらも手当が出ているカルザイの方がマシなのかも。
さて、飛行機の時間が迫ってきた。今日のカブールは快晴。この状況ならキャンセルはない。暖かくなってきたとはいえ、まだ氷点下である。空港までの道のり、途中にパルワンドゥーがあるので、この旅行中に着ていたズボン下、シャツ、靴下、手袋などを寄附。またもや感謝の祈り。ユニクロで千円のシャツに祈ってもらわなくても…。
さて、日本では橋下市長がまたまた大変なアンケートで世間を騒がせているようだ。帰国してからも忙しい日々が続くのだろうな…。

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このページは、nishitaniが2012年2月16日 07:01に書いたブログ記事です。

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