今回の旅を振り返って

第1に、アフガンが20年に一度の大寒波に襲われている時に、約800枚の毛布と、テントシートを届けることができた。生死の境目ギリギリのところで、支援できたことはよかった。ただチャライカンバーレはじめ、避難民キャンプの総数は急増しており、800枚では全然足らない。政府レベルでの支援が必要である。課題として、早期に政府のしかるべき部署の方に、この窮状を認識してもらう必要がある。
第2に、子ども病院にやけどの薬、粉ミルクなどを支援することができた。こちらも個人のNGOの限界があるので、政府の支援金が、病院の外壁塗り変え工事から、保育器ややけどの薬、抗がん剤、血液検査機、やけど専門病棟の設立、など、本当にアフガン国民が求めているものに使われるようなシステムに転換してもらえるよう、陳情せねばならない。
以上が、緊急に日本、特に上京した際にやらねばならないことであるが、以下は今回の取材で得た新しいアフガンに関する状況。
まずカブールに関していえば、治安状況は上向きつつある。警官の検問も少々「和やかに」なっているし、自爆テロも減っている。カンダハルやヘルマンド、パキとの国境付近では、まだ米軍の空爆やタリバンの仕掛け爆弾などがあり、相変わらずであるが、全体としては落ち着いてきたように感じた。
町で目立ち始めたのは、「アフガン特殊警察」である。内務省やインド大使館など、かつて自爆テロの対象となっていた建物の前には、訓練を受けた特殊警察官が目を光らせていて、テロを未然に防いでいる。
イラクでもそうだったが、町の治安はその国の人々が守るべきで、米軍などが表へ出てくると、彼らに対する反発から、町は不安定になる。バグダッドのスンニ派地区やファルージャなどでは「覚醒グループ」が、劇的に治安を改善していったが、今後カブールなどでも、このような治安回復が進んでいくのではないか。米軍はいろんな意味で、早期に撤退すべきなのである。
マザリシャリフについて。マザリは、今やアフガンの中で、安全に取材できる数少ない都市の1つになった。マザリの他に入れそうなのは、ヘラート、ジャララバード、バーミヤンぐらい。あとは、米軍に従軍するか、相当覚悟して潜りこむか。今回は緊急事態だったので、陸路を使ってみたが、「移動は飛行機」が原則。かつては、ペシャワールからカイバル峠を越えてジャララバードへ、というのがバックパッカーの「憧れルート」だったが、今は不可能。カイバル峠付近は、米軍の無人戦闘機による爆撃地域になってしまっているので、しばらくは近づかない方がいいだろう。
今年7月に東京でアフガン復興会議が開催されることになった。アフガン人が世界で最も信頼を寄せる国は、実はこの日本である。和平の気運が盛り上がりつつあるときに、地元日本で会議が開かれるわけなので、日本政府は何らかの具体的な和平&復興へのロードマップを示すべきだろう。
とはいえ、今の野田内閣では不安だ。沖縄の基地問題、東北の復興、原発問題など、何一つ解決せず、失政を繰り返している。しかし、これら重要課題を前へ進める主体は、NGOでも国連でもなく、やはり各国政府しかないと思うのだ。
今回のアフガンへの旅、支援の内容に満足するとともに、その限界も見えてきた。無事に帰国できてホッとするとともに、また大きな荷物が背中にのしかかってきたような気分でもある。

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このページは、nishitaniが2012年2月19日 11:21に書いたブログ記事です。

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