シリア周辺取材 1日目 無事アンマンに到着

4月14日、無事ヨルダンの首都アンマンに到着。空港からタクシーで、市内キンディー通りのキンディーホテルにチェックイン。アンマンに来るのは4年ぶりだが、高層ビルが建設され、道路は新しくなり、通行する車も増えて、だんだんと巨大都市になっていく。

03年のイラク戦争では、イラク難民を大量に受け入れ、06年のヒズボラVSイスラエル戦争でも、レバノン難民がやってきて、最近ではリビアからも富裕層が逃げてきて、そしてシリア難民が入ってきている。

今年の夏は、サウジやクウェート、UAEなどから、多くの長期滞在者がここへやってくる。
なぜか?

サウジやクウェートの夏は暑い。彼らオイルマネーで潤った人々は、夏に長期バカンスで避暑に出る。今までは、ダマスカス、ベイルート、カイロ、アンマンなどであったが、カイロは「エジプト革命」で危なそう。ベイルートも今回のシリア内戦でちょっと怖い。ダマスカスなんて絶対に入れない。すると残るのは…。
同じアラビア語が通じて、近代都市で、それほど暑くない夏を過ごせるのは、アンマンしかないのだ。かくて、市内のホテルは満杯。物価は上がるし、交通渋滞。よって高速道路が整備され、交差点は立体になり、5スターの高層ホテルが建設される。
ここアンマンは、良くも悪くも「戦争で翻弄される、中東の拠点都市」なのだ。

通訳のハーミドと4年ぶりに再会。弟のサイフもやってきた。それぞれとハグ。
思えばこいつらとのつきあいも、もう10年だ。03年のイラク戦争開戦時は、サイフは高校生だったし、ハーミドは大学を卒業したばかり。(当時は、彼らの親父、ハリルを通訳としていた)それが今や立派な社会人となり、ハーミドに至っては、バツイチである。まぁいろいろあったんやろな。

ハーミドの自宅で、明日からのシリア周辺取材の打ち合わせ。話をしながら感じたのが、今回のシリア情勢の複雑さ。何しろ、ここ地元というべき、隣国ヨルダンでも評価が全然違う。アサド政権を打倒すべしという人と、いや下手に打倒したら、シリアは分裂し、徹底的な内戦になり未曾有の難民が出てしまう、という人と。

現地のテレビも二分されていて、シリア放送では「ダマスカスの平和な一日」を放映している。レポーターがピクニックしている人々にマイクを向けて、人々が「ダマスカスは平和です。治安が守られているのはアサド政権のおかげです」というコメントが流れている。
チャンネルを回して、アルジャジーラ(カタール)やアルアラビーヤ(UAE)を見れば、「今日、ホムスで爆撃があり数名が殺された模様です」「ダラアでは反アサドのデモが行われています」など、反アサドの放送が続いている。

どちらが本当なのか?

おそらく爆撃の映像が流れているのは本当で、現地の人々が携帯電話で撮影したものを、命がけで、ネットを通じてアルアラビーヤなどに送って、それが衛星テレビに流れているのだ。

昨日はシリア全土で629カ所、本日も125カ所の反アサドデモがあり、本日だけで(現地時間夜8時現在)14人が殺された。殺された人の数は、数時間ごとに増えていくので、本日の死亡者のトータルは、もう少し増えるかもしれない。つまり、停戦合意など無視されて、人々が殺されている状況に間違いはない。

そんなシリアの中にもぐり込みたいのだが、大変危険である。とりあえず、まずは状況の把握、そして人々の声を拾い集めることから始めよう。

明日は、ヨルダン、シリア国境まで行く。


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このページは、nishitaniが2012年4月15日 03:28に書いたブログ記事です。

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