国境の町ラムサにて

ムハンマドさんと家族 ブログ用.jpg 写真は、ラムサに逃げてきたムハンマドさんとその子どもたち。子どもたちは後日、父を追いかけてここまで逃げてきた。ダルアーでは電気も水道もなく、食料にも事欠く状態だという。


4月15日、アンマンからシリア国境の町ラムサへ。ラムサまでは車で1時間半。ヨルダンとシリアは意外に近いのだ。

ラムサで通訳ハーミドの友人、ムハンナドに会う。本日の行動は彼がコーディネートしてくれている。
「公式な国境がいいか、非公式(非合法)な国境がいいか?」。どうやらシリア難民が多数逃げて来るので、「非合法な国境」があるようだ。

ちなみにこのラムサ、人口は約12万人の小さな町なのだが、昨年3月のシリア暴動以来、たくさんのシリア難民がここに逃げてきていて、なんとその数約15万人。つまり、「地元民より難民の方が多い」という逆転現象が起きている。
そしてラムサの町は人でいっぱいになった。市内中心部の商店街は、人と車であふれている。
なぜみんなラムサに逃げて来るのか?

「親族を頼ってやってくる」のである。

ラムサの町から、シリア側の民衆蜂起で有名になった町、ダルアーまでわずか15㌔。そしてラムサとダルアーは姉妹都市のようなもので、互いに行き来が頻繁で、婚姻関係にある家族も多い。ここアラブは大家族を形成するので、「夫の姉の旦那の家」とか「弟の嫁の実家」などに避難して来るのだ。
さて、「公式の国境」は封鎖されているだろうし、やはりここは「非合法な国境」を見るべきだろう。
「国境からシリアが見える。近づきすぎると撃たれる恐れがあるので、慎重に行こう」とのアドバイスにうなずきながら、「非合法な国境」まで30分ほどのドライブ。

「あの白い建物は、もうシリア側だ。見ろ、パトロールの車が走っているぞ」。
ムハンナドの指し示す方向に、白いモスクと軍の見張り台のような建物。その建物の前は、道路になっているようで、時折車が通過する。
牛が放牧されている。
「あの牛はシリア側にいる」。
そうか、あのあたりからシリアなのか。
さらに近づいていく。あの見張り台に兵士がいるなら、こちら側からカメラと三脚を担いだ3人が近づいて来るのが見えているはずだ。

国境は、「枯れ川」だった。アラビア語で「ワジ」と呼ばれる枯れ川は、大地を2分しており、雨が降ると今でも水が流れるようで、草木が生い茂っている「豊かな土地」である。遊牧民が羊を追っている。
のどかな風景。
そんな「日常」の中に、いかつい軍の「見張り台」がある。これが「非日常の風景」。

ヨルダン側の畑に三脚を据え付けて、シリア側をズームで撮影。
数分後に、なんとシリア側から1人の男が駆け出して、こちら側に走ってくるではないか。
フェンスを乗り越えて、放牧地を走る男性。数百㍍先なのでその表情などは捉えきれないが、今、1人の難民が無事こちら側にたどり着いたようだ。男性はその後、灌木の茂る森のようなところに入ってしまったので、見失ってしまった。ただ発砲音などはしなかったので、無事逃げ切ったと思う。白昼、兵士が監視する中で、大胆な逃走だった。

国境取材の後、枯れ川にそって遊牧民を撮影していたら、運悪くヨルダン軍の国境警備隊に見つかってしまった。
「撮影した映像を消せ」と命令される。しばし交渉するも、消せ!の一点張りだったので、泣く泣くさっきの映像を削除。しかし早送りと巻き戻しを繰り返しながら、消したふりをしたので、さっきの男性の逃走については、映像を守ることができた。まぁ不幸中の幸いか。

ラムサの中心街に戻って、難民たちを取材する。
ムハンマドさん(30)は、シリアでの暴動のしょっぱなからデモに参加していた。実はこのシリア紛争、発火点は、まさにダルアーの町からであった。
2011年2月11日、エジプトでムバラク政権が倒れたとき、ダルアーの少年10人が、壁に落書きをした。
「アサドよ、次はお前の番だ」。
翌日、シリアの秘密警察が犯人をあぶり出し、10名の少年たちは牢屋に入れられた。9歳から15歳の少年は、そこでレイプされ、顔を焼かれ爪をはがされた。
ダルアーの大人たちは、秘密警察署長に直談判し、子どもたちをかえしてくれと叫んだ。
「子どもたちは返さない。もし子どもがほしければ、女たちに別の子どもを産ませればいいのだ。生ませる能力がないなら、俺たちが代わりに生ませてやってもいいぜ」。秘密警察署長でアサドの従兄弟であるアッターフ・イジーブの対応に、大人たちは激怒した。そして…。
11年3月の「ダルアー暴動」につながったのだ。

平和的にデモをするこの「暴動」は全土に飛び火していった。ホムス、ハマ、アレッポ…。アサドは徹底的に暴力でねじ伏せた。結果、この国では1万人以上の人々が殺され、大量の難民が発生し、町は焼かれ、国自体が崩壊の危機に直面した。

ムハンマドさんがシリアを捨てるキッカケになったのは、やはりデモだった。ダルアーのデモにシリア軍が発砲してきた。隣の友人が撃たれ、意識不明になった。シリア側の病院に運ぶと殺されてしまうので、ヨルダン側へ運ばねばならなかった。バイクの3人乗りで、意識不明車をサンドイッチのように挟んで、ラムサの町を目指した。枯れ川を渡るとき、やはりシリア軍が撃ってきた。運転していたムハンマドさんには当たらなかったが、銃弾は3人目の友人の足に当たり、バイクを捨てて逃げた。意識不明の友人をその場で寝かせて、足を撃たれた友人は、河川敷に隠れた。彼は走ってヨルダン側へ逃げ込んだ。

結果は、意識不明者は、その場で射殺され、河川敷に逃げ込んだ友人は、負傷したまま夜を迎え、闇夜に乗じて、徒歩で逃げてきた。
彼はラムサの町につくや否や、気を失ったという。すぐにラムサの病院で手当を受け一命は取り留めた。

ムハンマドさん以外にも、たくさんの難民に出会った。検問所を通過する時に撃たれた男性や、息子がデモに参加していて家宅捜査を受け、秘密警察に逮捕され、14日間も拷問を受けた63歳の男性などから話を聞くことができた。
詳細は後日、映像にまとめる予定だ。
ラムサの町には難民キャンプはなく、全ての人々がいわゆる「借り上げ住宅」のような家に住んでいる。
1つのビルに850人も住んでいるところがあるという。女性や子どもは、どうしているのか?ここには国連がいないし、難民のための学校もないので、明日はそのあたりを取材することにする。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 国境の町ラムサにて

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/447

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2012年4月16日 16:33に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「シリア周辺取材 1日目 無事アンマンに到着」です。

次のブログ記事は「ラムサにて ②」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01