ラムサにて ②

ダルアーで撃たれた青年 ブログ用.jpg 写真は昨年12月26日、ダルアーでシリア軍に撃たれた青年。デモでは両手を上げ、「シリアに自由を」というポーズで行進していた。


4月16日、本日も国境の町ラムサへ。ヨルダンは高速道路が整備されているので、あっという間にシリアとの国境へ。ラムサの町の郊外にできた「シリア難民居住団地」へ。ここは地元ヨルダン人の篤志家が、自分の土地に4階建ての団地を4棟建てて、急増するシリア難民を受け入れているのだ。
この団地だけで約850人。毎日百人近い難民が国境を越えてやって来るので、それでも住宅が足らなくなる。本来は国連の出番だが、ここには国連は来ない。

なぜかというと、ヨルダン政府は、公式にはシリア難民の受け入れを認めていないからだ。つまりヨルダンに20万人近くいると考えられるシリア難民は、難民ではなく「旅行者」にカウントされている。
なぜヨルダンが難民を認めないのか?

それはパレスチナとイラク問題である。元々ヨルダンには、パレスティナ難民が多く居住していて、その数は地元民を追い抜き、実はヨルダンの人口の多数派は、パレスティナ人なのである。
さらに03年からのイラク戦争で、この国にはイラク難民も多数住んでいる。その上にシリア難民である。
「これ以上の難民は受け入れられない」というヨルダン政府の意向を反映して、逃げて来たシリア人は、「旅行者」扱いなのである。

だからラムサの「シリア人居住団地」で、取材することは非常に難しい。ヨルダン政府にとって、この団地は「存在しないこと」にしたい。どこの馬の骨か分からないジャーナリストに、「こんなに難民が流れ着いています」などと実態を知られると具合が悪い。だから許可は降りない。
仕方がないので、昨日同様「普通の家に紛れ込んで生活している」難民たちを取材。詳細は、またDVDなどで紹介するが、ここでは1人の青年の例だけ。

彼はシリア南部ダルアーの町で、反政府デモに参加していた。デモが解散し、11歳の従兄弟と家路についた。ただ歩いているだけのその時、シリア軍のスナイパーに撃たれた。11歳の従兄弟は即死。左腰の背後から銃弾が入り、前部へと突き抜けた。

12月26日のことだった。野戦病院に運び込まれ、従兄弟が死亡、彼が緊急の手術を受ける様子が、YOU TUBEに流れている。ただ単に歩いているだけ。もちろん武器も持たず、武器の使い方も分からない少年と青年に、シリア軍は銃撃を加えている。
18歳の青年は、ダルアーの野戦病院で応急手当を受けて、ヨルダン側へ逃げてきて、ラムサで手術を受け、一命を取り留めた。まだ痛みは残っているし、薬を飲み続けねばならない。しかしその薬を買う金がない。そして故郷ダルアーには、もう二度と戻れない。もし戻れば、確実に殺されてしまう。

シリア難民にとって、アサド政権が続く限り、決して故郷には戻れない。戻ろうとすれば、おそらく昨日見たあの国境で射殺されてしまう。わずか15㌔先の故郷なのだが、この人たちにとっては永遠に踏むことのできない土地になってしまった。
もちろんアサド政権が倒れれば戻れるが、まだ崩壊の兆しは見えない。そしてアサドが倒れれば、かなりの確率でシリアは内戦に突入してしまうだろう。

「八方ふさがり」。
シリア問題を取材すればするほど、この問題は「解くのが困難な3次方程式」のようなものだと思うようになった。この点については、また後日まとめてみる。
明日は、レバノンのベイルートに飛ぶ。なので早めに寝るとする。

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このページは、nishitaniが2012年4月17日 04:11に書いたブログ記事です。

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