レバノン トリポリにて

4月17日、首尾よくレバノンのベイルートに入る。アンマンから車で6時間程度でベイルートに行けるのだが、途中、必ずシリア領内を通らねばならないので、陸路は不可能。よって交通は航路のみ。よって全てのフライトが満席である。
午後2時、ベイルートから北へ30キロ、世界遺産ビブロスのホテルにチェックイン。戦争さえなければ、この町は観光客であふれているはず。美しい地中海とフェニキア人が作ったお城、そしてマロン派の教会に石畳の道。
そんな美しい街を観光せずに、泣く泣く北部主要都市のトリポリへ。
リビアのトリポリではなく、レバノンのトリポリ。語源は同じで、3つの都市、つまり「トリポリス」から名付けられている。
トリポリは、住民のほぼ100%がイスラム教スンニ派なので、シリア難民が多数流れてきているという読みである。
つまり、現在のアサド政権は、シリアの少数派で、アラウィー派というシーアの流れを汲む教派である。現在は主に多数派のスンニ派住民が攻撃されてるし、激戦地ホムスから最も近いのが、このトリポリなのである。
トリポリはレバノン第2の都市で、1982年のレバノン内戦の被害を引きずっている都市。レバノン内戦後、この地を支配したのがシリア軍で、10年ほど前に、親シリアの住民対反シリアの住民で、内戦状態にもなったことがある。
トリポリの中心街を貫く大通りは、「シリア通り」と呼ばれていて、この「シリア通り」から山側が、親シリア住民が、海側には反シリア住民が住む。
この構図は、今回のシリア暴動以後も同じで、シリア難民は海側の「反シリア住民」の家や空き店舗などに居候している。
この土地で、シリア難民にインタビューすることは極めて難しい。新シリア住民にカメラの前でインタビューを受けていることがバレると、チクられて、下手したら捕まってしまう。なので、顔を隠しての撮影や、匿名での記事発表が条件になる。
ババアムルから逃げて来た42歳の女性。5人の子持ちで、夫はこのシリア内戦で、射殺された。ババアムルは、最も激しく破壊された町である。
この女性と子どもたちは、27日間、地下シェルターで過ごした。電気も水もなく、食料も不足した。地上では、ロケット弾が飛び交い、ビルというビル、家という家は破壊されつくした。
27日後、自由シリア軍がシェルターにやって来て、救い出してくれた。その後、ホムスの郊外、学校のグラウンドで野宿すること10日、そのホムスもシリア軍が迫ってきたので、25日前に、国境を越えて、レバノンに逃げてきた。
母親と5人の子どもがよく死ななかったものだ。
アサドの軍隊は、「町を焼きつくして、殺しつくしている」ようだ。ただインターネットも電話も切られているので、その事実が報道されないだけ。
本日は、夜間のインタビューで、時間も限られていたため、明日、じっくりと聞いて回ることにする。
シリアの事態は、想像以上に悲惨である。

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このページは、nishitaniが2012年4月18日 04:00に書いたブログ記事です。

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