背中を撃たれ、全身を焼かれた人々 トリポリにて③

焼かれた青年 ブログ用.jpg

4月19日、早朝からレバノン人によるシリア難民救済活動を取材。このNGOが入るビルの前に、2人のコーヒー売りが所在無さげに佇んでいる。
「あいつらは秘密警察だろう。普通、コーヒー売りは歩き回っているし、2人でチームも組まない。このNGOビルに入っていくシリア難民を調べているんだ」とは、通訳のモハンマド。昨日まではヨルダン人のハーミドだったが、彼は昨日、私と一緒に尋問を受けてしまったので、もうここでは動けない。ベイルートからヨルダンへと帰国した。
NGO取材の後、いよいよシリアとの国境へ。この町から国境までは車で1時間ほど。レバノンは岐阜県くらいの広さ。つまり大阪から大津くらいまでがレバノンで、米原はもうシリア、といった感覚。
シリアとの国境には川が流れ、渓谷になっていた。レバノンの町ハルバー側の山からシリア側の山を撮影。山裾に白い家とモスクが見える。あちらは、ホムス州タッカラ町。川底にシリア軍の検問所。あの検問所から、白い道が真っすぐタッカラの方向に伸びている。民家の陰に隠れて、検問所を撮影。何しろ、国境で撮影していることがバレたら、撃ってくる。スナイパーはゴルゴ13級の腕前なのか、武器の性能が発達したからか、ジャーナリストも撃たれて亡くなっている。
緊張しつつ、三脚で撮影。三脚がないと手ぶれして何を撮っているか分からない。でも三脚は目立つ。こちら側から見えているということは向こうからも見えているということ。
「さっと撮影しろよ」モハンマドが注意する。
25日前、タッカラで大虐殺があり、多くの難民がこちらへ逃げてきた。ハルバーのレバノン人たちは、川まで降りていって、負傷者を引き上げた。負傷者はシリアからすれば「生き証人」なので、国境で撃たれてしまう。助ける方も命がけ。
ハルバーの、避難民一時滞在所へ。デモに参加して撃たれた、パンを買いにいって撃たれた、家で寝ている時にロケット弾が飛び込んできた…。そんな話と怪我人であふれている。
ここは青年男性が寝泊まりしていて、デモの先頭に立っていた人たちが多かったので、シリア警察に捕まった人も多数。
彼らは顔を出して撮影するのを極度に怖がっていて、また匿名を条件に取材に応じてくれたので、まずはA氏の体験から。
Aさんは、さっき見てきたタッカラの町でデモに参加していた。6ヶ月前のこと。突然デモに戦車砲が撃ち込まれた。即死する人、血だらけになって逃げ回る人、その場で倒れ込む人…。彼は負傷して、道に倒れ込んでしまった。
軍がやって来た。彼らは道ばたに倒れて、まだ息がある人を次々に射殺していった。自分の番が来た。死を覚悟した。背中を撃たれ意識を失った。
「生き証人」を殲滅したと思った軍が帰ると、次に来たのがゴミ収集車。トラックに積み上げられた遺体は、一カ所にまとめて投げ捨てられた。
近所の人々が泣きながら、息子や従兄弟の遺体を埋葬しようと思ってやってきた。イスラムは土葬で、埋める前に身体を洗い、清めなければならない。Aさんの遺体を洗おうと思ったら、まだかすかに息があった。死んでいない!そう確信した近所の人々は、自由シリア軍に連絡して、秘密裏に国境を抜けて、この町へと運んだ。
この時の虐殺は、少なくとも40人以上と言われている。そして助かったのはAさんを含めてわずか3人だ。この時の模様は、YOUTUBEにアップされている。
次にBさん。Bさんは6ヶ月間ホムスの刑務所に拘留された。Bさんが衣服を脱いでくれたとき、私は息を飲んだ。
全身の皮膚がむけて白い肌が露出している。
ガスバーナーで焼かれたのだ。足や手、腹に背中。何度も何度も焼かれているうちに彼は気を失い、48時間後に目覚めた時は病院のベッドの上だった。
彼の仲間は何人もこの拷問で命を落としている。
2人とも驚異的な生命力で何とか死なずにすんだが、当然障害が残り、Aさんは歩けなくなった。この戦争犯罪を許してはならない。アサドは国際法廷で裁かれるべきである。

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このページは、nishitaniが2012年4月20日 16:34に書いたブログ記事です。

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