トリポリ2日目

ムハンマドさん と息子3人 ブログ用.jpg モハンマドさンと3人の息子 学校に行けるようになったのだが…。


9月6日、午前10時、アブー・マージッドの車でレバノン、シリア国境の町ファルトーム村へ。ファルトーム村は、アクルーム地方にある7つの村の1つで、この地域はキリスト教徒とムスリム、そしてトルコマン人が混住している。教会が現れたかと思えば、モスクのミナレットが見えてくるし、レバノンの国旗に混ざってトルコの国旗もたなびいている。シリア、レバノンはモザイク国家なのだ。本日から通訳がつく。マージィという青年で、オーストラリアで1年半仕事をしていたが、このシリア内戦と引き続くトリポリの内戦のニュースを見て、故郷に飛んで帰ってきた人物だ。戦場での取材は、通訳の出来、不出来が結果を大きく左右する。この通訳ならまぁ大丈夫だ。
アブー・マージッドは、この内戦後、ずっと人道支援活動をしているので、ファルトーム村に入ると、すぐに友人、知人が出迎えてくる。村からシリアまで約2㌔。高台からシリアのホムス県が見える。
「あそこに空港があるんだ。アサドはあの空港に飛行機を終結させ、空爆しているんだ」村人たちが、指差す方向を見るが、私は視力が悪いので、どれが空港で、滑走路がどのように延びているか分からない。しばらく撮影していると、ボン、ボン、という爆撃音。ホムス県のどこかの町をアサド軍が空爆している。空爆は連日続いており、村人たちによると、「夜になると、空爆の炎が見える」とのこと。
この村には約200家族が、あのボン、ボンと音のしているシリアの村から徒歩で逃げてきていて、10数家族を取材したが、ほとんどが3〜4ヶ月前に逃げてきた人々。アサドが国連停戦監視団の目を盗み、空爆を強めたので、家や家族を奪われた人々だ。難民たちは、着の身着のままで逃げてきているので、近所の人々のイスラム的な寄附と、地元NGOが配給する食料だけが頼り。インタビューさせてもらった家族に、100ドルずつ手渡していく。平均で10人くらいの家族なので、(妻を2人持っている人もいる)100ドルでは全然足らないだろうが、赤ちゃんの薬代くらいにはなるだろう。
その中の1つ、ムハンマドさん(43)の状況を紹介する。
ムハンマドさんはホムス市に住んでいたが、空爆が激しくなり、3ヶ月前に徒歩で逃げてきた。車も財産も仕事も失った。アリー君(10)、ラビーア君(13)、そして長兄のマフムード君(17)の3人の息子と1人の娘がいる。
レバノンに逃げてきてから、アリー、ラビーア君は学校にも行けず、この狭い避難家屋で日がな一日、何もすることなく過ごしてきた。さすがに難民の子どもたちをこれ以上放置できない、と地元行政も重い腰を上げ、この10月から学校へ行けることになった。(レバノンは10月が新学期)
「良かったね、学校に行けるようになって」と笑いかけると、2人とも暗い表情でうつむく。
「うれしくないの?」
「うん」
「なぜ?」
「学校に行くとお金がかかるから」
家も仕事も失った父親が、息子の後ろで黙ってインタビューを聞いている。
事態は単純ではない。不幸の悪循環のような状況に陥っている。
マフムード君は高校に行かず、アルミサッシの職人として働いている。
「月給は?」
「週に約50ドル」
やはり暗い顔で答える。今は不況なので、地元レバノン人でもなかなか仕事にありつけないという。仕事がないよりマシだが、家族で働いているのはこの子だけ。それも週にわずか50ドルでは…。
難民たちのインタビューの後、さらに国境に近づき、アサド政権軍を離脱した自由シリア軍の兵士の隠れ家に向かう。ときおりボン、ボンという空爆の音。村人はもう慣れてしまったのか、その音を聞き流しながら、普通に生活している。日常の中の非日常。これが戦争だ、といわれればそれまでだが。(続く)

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このページは、nishitaniが2012年9月 7日 02:25に書いたブログ記事です。

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