ハッタイにて①

国境の山火事 ブログ用.jpg シリアとの国境、爆撃で山火事になっていた。


9月9日、ハッタイ初日。通訳のジハードの車で市内の「シリア難民収容所」へ。難民キャンプがあるのに、なぜ「収容施設」があるかというと、それは負傷者があまりにも多すぎて病室が一杯になり、溢れ出た「治療を要する患者の行き先がないから」、である。
本来なら長期入院せねばならないところだが、そんなこと言ってられないので、「簡易病院」のような施設になっている。国境ですぐに治療しなければいけない人々も大勢いるので、なんとカタールから「移動病院車」が送られてきている。(写真)
移動病院車 ブログ用.jpg
レバノンでもさんざん見ているが、それぞれにストーリーがあるので、カメラを回しながら撮影しようとしたら、「ここにたくさんのジャーナリストが来た。彼らは写真を撮って、その後何もしてくれていない。お前たちには期待しない」と責任者が撮影拒否。
まぁ気持ちは分からないでもない。このような状況になってすでに1年半以上が過ぎた。事態は改善されるどころか悪化しているのだから。
ジハードの車で、シリアとの国境へ。トルコ軍がいるので国境ゲートを隠し撮り。ゲートの手前は山林になっているが、一部が見事に焼けている。
「ロケット弾だよ」。シリア軍がここを狙って爆撃してきて、山火事になったのだ。この国境に近いヤイラダギー難民キャンプと、郊外にあるアバイドン難民キャンプを訪問。それぞれ6千人、4千人の難民たちがテント生活している。
キャンプ取材は許可証がいる。本日は日曜日なので内務省が閉まっていて、明日以降に許可証をゲットして中に入ることに。
アバイドンキャンプの前で、ジハードが携帯電話で中にいる友人を呼び出してくれた。
ムハンマド・アユー(24)さんは、シリア陸軍の歩兵だった。「自分の国の民衆を殺害せよ」という理不尽な命令に背いたら、自分が殺されてしまう。1ヶ月前、そのシリア軍の爆撃で、ホムス市に大量の負傷者が出た。軍の命令で救急車を追いかけ、病院の中にいる負傷者の調査をしているときだった。
大量の負傷者でごった返す病院。軍司令官の目、同僚の目が群衆に向いているその隙に…。
一目散に走って逃げた。見つかれば自分が処刑される。しかしこの戦争が始まってから、ずっと狙っていた脱走の瞬間がやって来たのだ。
必死に走りきって、民家に飛び込む。ホムスの民家のほぼ全てが自由シリア軍に通じているので、すぐに自由シリア軍に連絡してもらって、トルコまで逃げてきた。
難民となって1ヶ月。元兵士の彼は、そろそろ出番の時期が来たと感じている。
そう、近日中に自由シリア軍兵士として、ホムスに戻り、シリア軍と戦う予定なのだ。私のビデオカメラを見て、「カメラよりも武器を持ってきてほしかったよ」。笑いながら彼は言うが、目は真剣だった。24歳の若者の無事を祈る。

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このページは、nishitaniが2012年9月10日 01:23に書いたブログ記事です。

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