再び国境を越えてトルコへ

アリーと トルコのホテルで ブログ用.jpg 国境を越えてトルコのホテルへ。ロビーで運び屋アリーと無事帰還記念撮影。

9月11日午後10時、無事トルコとの国境アトマ村まで戻ってきた。自由シリア軍兵士モハンマドの家で、シャワーとお茶。ほぼ3日ぶりのシャワー。このアトマ村は比較的安全地帯なので、電気もお湯もOK。普段何気なく暮らしている、この「普通の生活」が、何物にも代え難いものであることを痛感する。ここでは空爆に脅えなくてもいいし、通学路で撃たれることもない。アトマ村からトルコ国境までわずか数㌔。車で30分も走れば、国境の緩衝地帯だ。
モハンマドがトルコ側の運び屋アリーに電話している。後は、あの国境を暗闇の中、歩いて越えていくだけだ。

午前1時、アリーから電話。トルコ国境警備隊の警備も薄くなったようで、今なら越えれる、との連絡。
自由シリア軍の兵士たちとハグし、モハンマドの車に乗り込む。闇の中、オリーブ畑のあぜ道を行く。トルコ側の灯りが見えてくる。
車を降りて、ビデオカメラのスイッチを入れる。ナイトショットモードにして、「今から国境を越える」と自分を撮影。モハンマドの先導で、ビデオカメラを回しながら国境のフェンスへ。闇の中から難民家族が現れた。手には家財道具。この穴を越えて行くのだ。サラームアレイコム(こんばんは)小声であいさつし、難民家族を撮影。
「ヤッラ、ヤッラ」(早く早く)。鉄条網に気をつけながら穴を越える。トルコ側に出た。難民たちは、草むらを真っすぐ進んで行く。

ここで私は躊躇した。穴のところで待っているはずの運び屋アリーがいない。
「アリーがいない場合は、フェンスにそって右へ真っすぐ行け」とモハンマドがアドバイスしてくれていた。1人でフェンス沿いに真っすぐ進むか、それとも難民家族と一緒に草むらを行くか。

1人で行くことにした。フェンス沿いを歩く。私は超ド近眼なので、時折穴ぼこに足を突っ込んでは転びかける。
「参ったなー。アリーはどこや」。途方に暮れかけた時、草むらの中でピカピカと白い光。
あれか。光は100㍍以上離れている。あそこにアリーがいるのか。おそるおそる近づいていく。光はじっとこちらを照らしてくる。あの光は罠か?逃げるか?行くか?
逃げようがなかった。行くしかない。光に向かって進む。アリーであってくれ!
祈りながら闇を行く。その光の主は…。

トルコ軍だった。

「ここで何をしている」「ここは撮影禁止だ」「日本人か?どちらへ送ってほしい、トルコか、シリアか?」
最後の最後で大失敗。数人のトルコ軍の背後にアリーがいた。そう、アリーは軍に拘束され、私を違法に運んでいる「現行犯」で捕まり、穴まで来れなかったのだ。
「違法出入国」「撮影禁止地域の撮影行為」「国家機密漏洩」…。私の頭の中を様々な「罪状」がぐるぐる回る。撮影したテープは没収。留置場へ。日本大使館への連絡。新聞記事…。あーぁ、最後にやらかしたなー。2日、いや下手すれば1週間は塀の中かなー。(私は同様の罪でパキスタン軍に拘束されたことがある)
ビデオカメラを奪われ、回していたテープは没収。トルコ軍人がアリーと私に、「連行する!」と叫んだと思った。
アリーはといえば、「国境でカメラを回したらダメだ!」と私を叱責。
こいつと一緒に事情聴取か…。

とぼとぼとアリーの後を行く。
あれ?軍人は?
ついて来ないぞ。軍人たちは同じ場所で、さらに灯りを灯し続けている。
これってもしかして…。
アリーの家まで早足で歩く。
「アリー、俺たちは捕まらないの?」
「お前が撮影していたテープの没収だけだよ」
その場で、へなへなと座り込んだ。よかった、シリアのテープを守ることができた。刑務所にも行かなくていいんだ!
アリー、み、水をくれ。
助かった!貴重なテープ、証拠がまだ私の手の中にある!
ということで、私は辛うじてシリア〜トルコ国境を越え、こうして取材素材を守ることができた。
ありがとうトルコ軍(笑)!

※シリアの映像は、9月27日(木)午後6時半〜 大阪市立いきいきエイジングセンターで報告させていただきます。

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このページは、nishitaniが2012年9月17日 22:32に書いたブログ記事です。

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