モンゴル東部 ウラン鉱山へ ②

残土と立て札.jpg


11月17日、午前9時にダシュバルバルを出発し、再びマルダイへ。まずはかつてのウラン鉱山へ。鉱山は草原の中に巨大な穴ぼこを形成していた。ウランの露天掘り。その深さは300㍍近くまで掘り進められ、横穴は700㍍ほどあったとか。旧ソ連がここで採掘していたのが80年代から96年頃まで。その間、この地域はモンゴル人立ち入り禁止だった。ウランを採掘していた労働者の中には、旧ソ連時代の囚人たちも含まれていたという。かつての囚人たちが掘り進んだ鉱山は、現在、雨水が溜って池になっていて、その水が凍り付いている。鉱山への道は閉ざされ、池に降りていくことができないので、土手のところでガイガーカウンターで計測。0、3〜0、4マイクロシーベルト。あの凍りついた池まで、この土手から数十㍍はある。池の水は何シーベルトなのだろう?
鉱山の土手をおりたところにかつての鉄道跡がある。ここで採掘されたウラン鉱を、この鉄路でシベリアまで運んだ。シベリアにはウラン濃縮工場があって、そこで濃縮ウランが作られた。80〜90年代であるから、冷戦時代だ。そのウランの一部はロシア製核兵器になっているのだろう。
鉄路は現地のモンゴル人が引きはがして持ち去った。線路のない鉄道跡地が小高い丘となって、延々と北へ延びている。
かつて鉄道だった丘のすぐ近くにウラン鉱山から出た残土が積み上げられている。KEEP OUTという立て札一枚。放射能のマークと英語だけなので、遊牧民には理解できないだろう。
残土にガイガーカウンターを置く。ピーピー。一瞬にして数字は30マイクロシーベルトを超えて警戒音を発信する。そんな残土が小学校の体育館くらいの量で放置されている。
鉱山から10キロほどのところに、労働者のための団地と一軒家。団地は全部で15棟あって、全てが破壊されている。ガレキになった5階建ての団地。ガイガーカウンターをガレキに置くと、2〜3マイクロシーベルト。長年のウラン採掘でコンクリートも鉄骨も汚染されている。
一軒家に現地の人々が10家族住んでいる。みんなここにウラン鉱山があったことは知っているし、ウランが危険であるとは聞いたことがある。しかし、だからといってどうすることもできない。幸いなことに、ここには学校がないので、子どもたちは数十㌔離れたチョイバルサンの小学校に行く。学校に行っている間は被曝しないだろう。
草原の中、道なき道を西へと進む。ランドクルーザーで悪戦苦闘しながら1時間ほど行くと、突然巨大かつ立派な建物が現れる。中国の企業がここでウランの探掘権を得て、操業を開始しているのだ。門には警備員がいて、撮影禁止、進入厳禁だ。
この新しいウラン鉱を背に、やはり草原を30分ほど走ったところに遊牧民のゲルを発見。ブリヤート族の老夫婦が、ここに井戸を掘って家畜に水を与えている。冬はこの周辺で遊牧し、夏になると北側、つまりロシア側の山裾で家畜を育てる。彼らは近所にウラン鉱があることは知っている。しかしウランがいかに危険であるか、は知らされていない。そして近年、井戸水の水位低下にも悩まされている。「雨が少なくなった」のと、もしかしたら「鉱山で掘り進められた坑道が水脈を切った」のかもしれない。
もちろん、ここの遊牧民たちに中国企業からのお知らせやあいさつはない。遊牧民からすれば、「勝手に草原を掘られている」状態だ。
マルダイからチョイバルサンまで、草原の中の悪路を戻る。「核のゴミ」を埋めるとすれば、ここは有力な候補地だ。それは①首都ウランバートルから極めて遠い。②少数民族の村で、人口も少ない。③基本的に西風が吹くので、もし放射能が漏れても中国東北部、旧満州に流れていく。
モンゴル政府は今のところ、「核のゴミを受け入れない」と宣言している。しかしそれは「他国の核のゴミ」である。
日米政府は今、東芝や三菱、日立など原発企業と一体となって、ベトナムやトルコ、ヨルダンなどに原発を輸出しようとしている。その際に売り込みたいのが、「核燃料も廃棄物もトータルで面倒見ますよ」ということ。
つまりモンゴルで掘られたウランで原発を動かして、「ウランの生産地」にゴミを持っていく。モンゴルはNATOと互恵的関係を結んでいる。米国にとって「核の拡散」になるが、同盟国ならOKだ。核の管理と原発ビジネス。そんな商売に日米モンゴルが水面下で絡んでいる、という図式だろう。

さて、チョイバルサンからウランバートルへ。約700㌔の草原を走る。広大なモンゴルの手つかずの自然。ここに原発は似合わない。風がびゅーびゅー吹いているし、厳冬期でも太陽は輝いている。風力や太陽光で十分エネルギーはまかなえる。

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このページは、nishitaniが2012年11月19日 23:46に書いたブログ記事です。

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