ウランバートルで街角インタビュー

ノモンハン戦勝記念碑 ブログ用.jpg


11月18日午前9時にチョイバルサンを出発。町の出口のところに「ノモンハン戦争勝利記念碑」がある。左に旧ソ連軍の戦車、右には小さめの日本軍の戦車。中央にこの戦争を勝利に導いたソ連軍のジューコフ将軍(だと思う)。
ノモンハン戦争は、日本陸軍+満州国軍VSモンゴル、ソ連連合軍の戦いで、2万人以上が殺された悲惨な戦争だった。発端は領土問題。満州国とモンゴルの国境線を、ハルハ川に引こうとする日本&満州と、ハルハ川よりかなり東側、現在の国境に線を引くモンゴル&旧ソ連の争いだ。

歴史に、「もし」や「たら」はないが、もしこの戦争に日本&満州が勝っていたら、満州国が少し広くなり、結果として中国の面積が少し広がっていたことになる。満州国軍といっても実際は内モンゴル人が兵士となって闘っていたので、モンゴル人にとっては同族同士の争い、いや、大国日本とソ連に翻弄された中での無用な戦争だったと言える。
実際、モンゴル人にとってはこの戦争に勝利し、社会主義国となってソ連の衛星国となったが、スターリンとコミンテルンの「指導」により、次々とリーダーたちが殺害され、チベット仏教徒も殺されていった。かといって、満州国に従属されれば、当時の日本陸軍に弾圧されただろうし、どっちに転んでも虐げられていく歴史になるのだが。

チョイバルサンを出ると、ずっと草原の中の悪路。8時間かけてウンドルハーン。そして5時間半かけてウランバートル。途中休憩を入れて合計14時間車の中。さすがに疲れきったので、夜食もとらずに爆睡。

11月19日、ウランバートルで街行く人にインタビュー。まずはバス停。質問は2つ。「あなたは核の最終処分場がモンゴルに来る計画を知っていますか?」
知っている人には賛成か反対かを重ねてたずねていく。2番目は「モンゴルに原発を造る計画があるのを知っていますか?」。
ざっと20人くらいに聞いた。ウランバートル在住の人々はほとんど知っていて、そして知ってる人は最終処分場には全員反対だった。原発については、6対4くらいの割合で反対が多かった。知らない人は地方から来た学生や遊牧民たちだった。特に遊牧民はまったく聞いたことがないという反応。彼らの土地に作られる計画なのだが。

ウランバートルの中心は歩行者天国になっていて、零下10度くらいだが、人々は元気に通行している。その中に所在無さげに通行人をぼんやり見ているおじさんたちの一群。
彼らは、いわゆる「マンホール、アダルト」。住居がないので、厳冬期に下水で暮らす。1万トグルグ(約600円)渡してインタビュー。
—寒いでしょう?
「凍え死にそうだよ。俺たちには身分証明書がないので、仕事にあぶれてしまうんだ」。
—夜はマンホールの下で寝ているの?
「いや、今はマンホールにカギをかけられているので、入れない。団地の中に忍び込んで、階段の踊り場で寝ている」

普段寝ている団地へ。モンゴルの5階建て団地は、寒さを防ぐために入り口にドアがついている。ドアを開けて中へ。1階と2階の間の踊り場に小さなヒーターがあって、おじさんたち3人は、ここで身体を寄せ合って眠る。汚れた衣服に酒やけの赤ら顔。インタビュー中に団地の居住者が通り過ぎると、おじさんたちは両手をあわせて「すいません」と詫びる仕草。居住者に嫌われたら出ていかざるを得ないので、なるべく穏便に接しているという。

なぜこのおじさんたちに身分証明書がないのか?
それは刑務所である。酒に酔ってケンカして人を傷つけ、刑務所に。刑務所から出てきたら、モンゴルは社会主義国から「民主化」され、別の国になっていた。免許証やパスポートを更新しないと、身分証はもらえない。しかし「おつとめ中」に両親が亡くなり、身分を証明する人がいない。証明書がなければ、仕事に就けない。社会主義時代と違って、自由経済なので、物価はどんどん上がっていく。その結果、マンホールに住み、そこを追い出され、団地の踊り場に住む。ホームレス歴10年だ。

今、ウランバートルには高級車があふれ、町にはルイヴィトンやグッチなどのおしゃれな看板。豊かになったように見えるが、ホームレスも増えた。グローバル化、新自由主義の下で、格差は急拡大している。
ホームレスのおじさんたちは、最終処分場のことも原発のことも知っていた。
「自然を大事にしないモンゴル人が増えて、草原に車からゴミを放り投げるヤツがいる。そんなゴミを掃除しないといけないのに、なんで他国の原発のゴミを受け入れる必要があるのか」。酒くさい息で一気にまくしたてる。
このおじさんたちの方が、政府の役人よりまともではないか、と思えてしまうのだった。

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このページは、nishitaniが2012年11月21日 17:10に書いたブログ記事です。

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