チョイルへ 

チョイル ブログ用.jpg 写真はチョイル郊外100㌔のところ、旧ソ連がウランを探屈していた。

11月20日、午前8時ウランバートルを出発し、中南部の町チョイルに向かう。チョイルまで250㌔、そしてモンゴルにしては珍しく道路が舗装されているので、3時間くらいで着く。
11時過ぎ、チョイル着。ここはゴビスンベル県の県都。ゴビスンベル県は相撲の日馬富士の出身地だ。今度相撲中継を見てみよう。「ゴビスンベル県出身、伊勢が先部屋」というアナウンスが聞けるはず。
チョイルは思ったより大きな町で、鉄道の駅もあり、レストランも旧ソ連が建てた5階建ての団地群もある。
実は、ここチョイルに核の最終処分場が作られるのではないか、とスクープしたのが毎日新聞だ。やるな、毎日新聞。(私も連載してたよ!)
当初、モンゴル政府はここに原発を造る計画だったようだ。しかしここには原発を冷やす川も湖もない。原発はダミーで、最終処分場ではないか、との疑いだが、あのスクープ記事がモンゴル語になって現地の新聞、テレビで紹介されたため、ここは候補地ではなくなった、と思う。人のウワサも75日、将来、こそっとここに持ってくる可能性がないとは言えないが。
このチョイルから100㌔ほど草原を南へ下ったところに、ハラトゥというウラン鉱山がある。何もない草原を突っ走ると、遊牧民のゲルがあり、ゲルの向こうにゴツゴツした岩肌が見える。ゲルから人相の悪いおじさんが出てきた。遊牧民ではない。警備員だ。「何しにきた?」と威圧的態度だったが、こちらが4人と多数なので、警備員の対応がしどろもどろになってくる。
最初、「ウラン鉱山なんかないよ」と言い切っていたのが、だんだん「いや、実は旧ソ連が…」という話になり、「試掘していた」と変わっていく。
警備員を車に乗せて、ウラン鉱山へ。鉱山の入り口ゲートにはカギがかかり、看板の文字は完全に削られている。おそらく放射能を示していたであろう、三角の看板。車ではゲートを越えられないので、徒歩で入る。ガイガーは2〜3マイクロ。やはりウランが眠っているのだ。
この鉱山は、現在探屈権を中国企業が取得しているようだ。鉱山の中にかつてのロシア人労働者の家と、重機を動かすためのガソリンスタンド。ウラン鉱山には採掘権と探屈権があって、ここは地中に探査用の機器を入れて、ウランを探屈中だったようだ。
ここハラトゥはマルダイと同じく、周囲は見渡す限りの大草原なので、遊牧民以外、工事が始まっても気づく人はいないだろう。確かにここなら、最終処分場になる可能性はある。
ハラトゥからチョイル、そしてチョイルからウランバートル。本日も合計600㌔に及ぶ長旅だった。モンゴルは広い。そして人口密度は低い。日米の原子力ムラの人々は、決してモンゴルをあきらめていないと思う。

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このページは、nishitaniが2012年11月22日 09:56に書いたブログ記事です。

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