2013年12月アーカイブ

奥下 ボーナス明細 ツイッター.jpg 奥下 9月休暇 願 ツイッター.jpg

年末ギリギリになって、大阪市役所から情報公開請求していた文書が開示された。それは橋下市長の特別秘書である、奥下剛光氏に支給された冬期ボーナス明細だ。
557,966円。毎月の給与が453,631円なので、その2、05か月分、つまり92万9943円が予定の支給額だった。実際にはこの額の60%、55万7966円が支給された。なぜか?
彼は2013年6月21日から7月21日まで、「一身上の都合」で休職し、さらに9月1日から9月30日まで、やはり「一身上の都合」で休職したので、40%減額されたのだ。6〜7月の休職は、参議院選挙で日本維新の会の選挙運動をしていたからであり、9月は堺市長選挙で、維新候補の応援をしていたからであろう。念のため言っておくが、奥下秘書への給与もボーナスも税金だ。日本維新の会、あるいは橋下氏個人から給与が出ているわけではない。
問題点を列挙してみよう。
1 特別秘書で一般職員ではないが、選挙のたびに1か月、合計2か月も休職することが、なぜ認められるのか? 橋下市長は一般職員には常々「政治活動をするな」と厳命を飛ばし、外回り勤務の後、10分だけ喫茶店で休憩した職員を懲戒処分にしている。ならば、奥下秘書の休職は、認められず、2か月も仕事を休んだのなら、最大級の懲戒処分を受けるべきではないのか?
2 奥下秘書にはタイムカードもなく、業務記録もない。そもそも大阪市の秘書の仕事をしているのか、維新の会の仕事を手伝っているのか、何をしているか分からない状態で、毎月45万3千円の給与が支払われている。雇用主は大阪市長だ。これでは雇用責任が問われる。業務日誌はないが、彼の行動を垣間見ることができる。それはツイッター。12年末は日本維新の会共同代表としての橋下氏にくっついて全国遊説をしていたようだ。ちなみにこの時は(私たちが騒いでいなかったので)、休職もせずに、選挙の手伝いをしていたようだ。
3 そもそも特別秘書を雇う理由が見当たらない。市役所には一般職員の秘書がいるし、半年の間に2か月も休暇が取れる秘書を、なぜわざわざ条例まで作って税金で雇用しなければならないのか。
4 給与とボーナスの支給額に驚く。休職していなかったら、年末に92万円プラス45万円で、137万円!特別秘書は課長待遇だそうだ。タイムカードもなく、業務日誌も書かずにすんで、2か月も休暇が取れるほど「自由な」職場で、普段は市役所の維新議員団控え室でダベっていて、この報酬。
橋下市長は、大阪市立の保育士の給与が高すぎる。だから民間委託にする、と言う。私は、保育士は子どもの命を預かり、発達に責任を持ってくれる貴重な仕事なので、公務員として給与を保証し、人材を確保すべきだと思う。むしろ民間保育士の給与が劣悪すぎると思っている。給与水準を低い方に合わせて切り下げてきたから、ブラック企業がはびこり、出口の見えない消費不況に陥っているのではないか。
子どもの命を預かり、女性の社会進出を支えてくれる保育士の給与が切り下げられようとする一方、自分の特別秘書には税金で大盤振る舞いの報酬を与え続ける。こんな大阪市でいいのだろうか?橋下という人物をトップに選んでしまったことに、後悔する人がますます増えてくるだろう。


12月4日〜14日までのシリア取材を振り返ってみる。現在のシリアに入国しようと思うと、トルコ側から入るのが一番安全である。もちろんアサド政権の取材であれば、空路ダマスカスから入る方法があるが、それだと秘密警察の監視の元、現実に何が起きているかが分からないだろう。もちろん、トルコ側の自由シリア軍も、罪なき人々を殺しているのだろうが、民衆蜂起に対して虐殺で応えたのはアサド軍だ。多少危険であっても自由シリア軍からの取材を敢行することで、この内戦の真実(といってもほんの一部だが)を解き明かしていきたいと思った。
12年9月、13年3月と2度に渡り、シリアに入国したが、今回が一番状況が悪かった。過去2回は、トルコ・シリア国境地帯は、自由シリア軍の支配下にあったので、国境さえ越えれば、難民キャンプに泊まり込んで取材することもできた。しかし今回は、アルカイダ系のイスラム原理集団「ダイシュ(ISIS)」が、自由シリア軍と戦闘を繰り返し、外国人ジャーナリストである私は、拉致・殺害の対象になり得た。実際に12月10日から戦闘が激化し、トルコ・シリア国境は閉められてしまい、その状況が本日(12月26日)まで続いている。
私は12月9日にシリア国内に入ることができたが、決行するのが1日遅れていたら、「トルコ旅行」になっていたところだった。
今のシリアは雪がつもり、夜間の気温は氷点下まで下がる。支援物資の食料も届いたり届かなかったりで、「凍死&餓死」の危機にある。自由シリア軍とダイシュ(ISIS)の戦いをあざ笑うかのように、アサド軍のミサイル攻撃がやってくる。国境の町、バーバルハワーには無数のテントが林立しているが、そのキャンプに、12月11日、アサド軍のミサイル攻撃があり、約20人が殺された。
車の中から撮影した、あのテント群の中にミサイルが落ちてくる。夜は、自由シリア軍とダイシュ(ISIS)のロケット弾の撃ち合いになる。難民たちはそんな夜を震えながら過ごす。そしてシリア国内に入ろうとするジャーナリストが激減しているので、そんな現実が伝わりにくい。絶望的な状況だ。
来年、シリア和平について討議する「ジュネーブ2」が開催予定だが、この国際会議までに、「シリア内戦をすぐに止めろ!」という世論を作らないとダメだ。
そんなシリア取材から帰国したら、北朝鮮のナンバー2が処刑された。エジプトでは治安が急速に悪化し、自爆攻撃も起こり始めた。南スーダンでも内戦状態に陥り、韓国が頼んでいないのに日本は爆薬、銃弾をプレゼントした。これは武器輸出、取引ができるようにするための、規定事実づくりなのではないか。安倍首相は靖国に参拝し、集団的自衛権を行使する予定で、着々と戦争準備を進めている。秘密保護法、日本版NSCは、全てこの集団的自衛権を行使して戦争できるようにするための地ならしだ。残念ながら2013年は、「安倍内閣のやり放題」で終わりそうだ。
「戦争したいしたい内閣」が、シリア内戦を止めようとは思わないだろう。本来なら、今こそ憲法9条の精神で、アサド軍と自由シリア軍の仲介をして、武器を下ろさせて、外交で和平を実現すべき時なのに…。
年内は、撮影してきたシリア映像をまとめる作業をする予定。新年になれば、「戦争はなぜ起こるのか?」「一度始まればなかなか終わらないのはなぜか?」「メディアがちゃんと報道しないのはどうして?」「格差が広がる新自由主義と戦争」などなど、テーマを鮮明にして、またまた拙い作品を作らねばならないのだろうな。

12月12日、本日も国境が開かないのでシリア入国をあきらめる。
アンタキアからイスタンブールへ飛ぶ。トルコは広いので、移動はもっぱら飛行機を使うしかない。もう少し時間があれば、シノップという黒海沿岸の港町を訪問したかった。このシノップこそ、日本の原発が建設される予定地なのだ。安倍首相が売り込んだ原発、トルコの人々はこの原発輸出をどう考えているのだろう。
イスタンブール着。安宿のドミトリーで、同宿のエジプト人ジャマールと出会う。彼はカイロで観光業を営んでいたが、アラブの春以降、エジプトを訪れる観光客が激減し、カイロでは食べていけなくなったので、ここイスタンブールで新たな観光業を始めようと思って、やって来ている。
2011年2月11日、エジプトのタハリール広場で革命が成就した。独裁者ムバラクが倒され、エジプトに自由がきたかのように思われた。実はその翌日から、エジプト軍は革命部隊の分断を図っていた、と彼は言う。
タハリール広場に集う人々には様々なグループがいた。大ざっぱにいえば、群衆の半分近くがムスリム同胞団。10%ほどがコプト教徒(キリスト教徒)、さらにスーフィーヤと呼ばれるイスラム主義者、革命に立ち上がった学生グループ、青年実業家、社会主義者…。
ムバラク政権打倒で一致団結していた人々の中に、エジプト軍と資本家は分断のくさびを打ち込んでいく。資本家たちはテレビを持っていたので(15チャンネルほどあった)、連日、革命に立ち上がった学生を登場させて、ムスリム同胞団の悪口を語らせる。別の日にはコプト教徒を登場させ、また別の日には青年実業家が出て来て…。こうして、世俗的な活動家グループと、ムスリム同胞団、キリスト教徒などが、互いに離反していく。軍と資本家のターゲットはムスリム同胞団だ。世俗的な活動家たちを引き離したあと、実力行使が待っていた。
ムルシ大統領への批判を、このような方法で人工的に高めて、ムルシ批判のデモを起こさせ、その騒乱に乗じて軍事クーデターを敢行する。果たして、エジプトはその通りになった。ムスリム同胞団に批判的な人物も、「選挙で選ばれた大統領をクーデターで代えるべきではない」と、軍に反発していた。ムスリム同胞団と、民主主義をも丸太目に立ち上がった人に、エジプト軍は虐殺で応えた。ラムシース広場に集まった人々をアパッチヘリで撃ち殺していった。これではアサド政権と同じだ。
アルジャジーラの記者は「カメラを持っていた」という罪で拘束され、いまだに出獄できていない。エジプトのデモのニュースを取材するジャーナリストは殺されるか投獄されてしまう。かくして「エジプトのその後」はメディアから消えている。
アラブの春は一体なんだったのか?あれだけの血が流されて、多大な犠牲の上に勝ち取った自由。そんな宝物がいとも簡単にひっくり返されていく。民衆の分断、人工的に作り上げられた反ムルシの運動の背後に、アメリカとイスラエルがいる。おそらくCIAを使った分断作戦。エジプトの旧ムバラク政権の官僚たち、資本家たちは、軍のクーデターで、またまた巨大な利権にありついたのだろう。独裁政権の崩壊を見て、肝を冷やしていたサウジやUAEの王様たちも胸をなで下ろしているだろう。「次は自分」ではなくなっていくからだ。
リビアとシリアは崩壊させられる。サウジやバーレーン、UAEは安泰。バーレーンにはアメリカの海軍基地がある。反米独裁は倒され、親米独裁は生き残る。エジプトは結局、アメリカにコントロールされた軍隊が実権を握る。シリアはアサドを弱らせ、自由シリア軍(同胞団主体)も弱体化させる。ロシアも自由シリアの勝利を望んでいないし、アメリカ、イスラエルも望まない。シリアの民衆はアサドを許さないので戦い続ける。かくしてシリア内戦は3年も続いてしまう。エジプトもシリアも、結局犠牲になるのは、普通の市民である。
エジプトのラムシース広場で実際に起こった映像は、facebookをご覧ください。
https://www.facebook.com/tani.nishi.94

国境で衣服を運ぶ人々 ブログ用.jpg 国境が閉まっていたので、緊急の衣服を届けることができないシリアのおじさんたち

12月11日、朝から大雪。シリア側の山々が一晩で真っ白になった。昨夜もバーブルハワーの国境で、自由シリア軍とダイシュ(ISIS)の戦闘が続き、国境は閉ざされたまま。現地からの情報では、9日に訪れたキャンプには雪が20センチも積もっているそうだ。
リハニーヤから車で20分も走れば、バーブルハワーの国境に着く。国境は支援物資を運ぶトラックの長蛇の列。一昨日よりその列が倍増している。長さ3〜4㌔。難民たちは凍えながら、いつ来るか分からない物資をあの門の向こう側で待っている。
国境は閑散としている。正面に大きなトルコ国旗と雪を抱いた山。気温は3℃。夜間は氷点下まで落ちる。荷車に物資を乗せたまま、門の前で佇むおじさんたちがいる。急激に寒くなったので、キャンプに衣類を運ぼうとここまでやって来たが、国境がしまっていたので呆然としていたのだ。
国境の向こう側はシリアだが、トルコの携帯電波が届くので、通訳のシハーブさんが自由シリア軍の兵士とコンタクトを取る。
昨日30人ほどが戦闘で亡くなった。ダイシュ(ISIS)はアトマ村を制圧したようだ。自由シリア軍はバーブルハワーおよびその周辺数㌔まで押し込まれている。12年9月に、アトマ村の自由シリア軍兵士のお宅に宿泊したが、彼らは無事だろうか。
この門さえ開けば、雪のキャンプに行けるのだが…。

指がくっついた子ども ブログ用.jpg

プロパンガスの爆発でおおやけど。指が手のひらにくっついてしまった。

12月10日、今日はリハニーヤに逃げて来たシリア難民の貧困層を取材。シリア難民と一口に言っても、ヨーロッパまで逃げることのできる比較的余裕のある家族と、着の身着のまま命からがら逃げて来た貧困家庭とに2分される。
何しろリハニーヤの人口が、10万から30万へ、シリア内戦で3倍になったのだ。アパートは建てた尻から埋まっていくし、空き地にたくさんのビルが建築中。リハニーヤは「難民不動産バブル」になっている。そんなアパートに入れたシリア難民はまだラッキーだろう。今日訪れたのは、倉庫。寒々とした倉庫の中に、マットが敷かれ、裸電球1つ。倉庫は全部で8つあって、それぞれ7〜8人が寝ている。
子どもたちが飛び出してくる。学校に行ってないので、ヒマなのだろう。小さい子どもを抱えた女性。子どもの足にやけどの跡。左手の指が手のひらにくっついている。昨年、ハマという街でガス爆発になり、大やけどを負った。アフガンでも子どものやけどが多いが、これは戦争で都市ガスが止められ、家を破壊されたため、簡易なプロパンを使った結果である。病院には行ってないので、指は癒合したまま。隣で10歳くらいの兄が笑っている。毎日ゴミを拾って家計の足しにするのだという。ここリハニーヤにも隣のアンタキヤにも多数のシリア難民の子どもが、タバコを売ったり、ゴミを拾ったりしながら朝から晩まで働いている。もうすぐ寒い冬がやってくる。冷たい倉庫で寝て、早朝からかじかんだ手でゴミを拾う。大人たちが始めた戦争で、子どもたちが犠牲になっている。

シリア キャンプ 子どもアップ ブログ用.jpg

難民キャンプの子どもたち。本日(12月10日)から雪が降っている。

シリア側の難民キャンプ、アカラバートはオリーブ畑の中に急ごしらえで作ったテント群だった。アレッポ、ホムス、ハマ、イドリブ…。シリア中北部からトルコをめざして逃げて来た人たちが、トルコ国境を越えられずにここでテントを張る。青いビニールシートが汚れていない。つまりこの1〜2週間で作ったもの。毛布を配る。今日は太陽が出て日中はそれほどでもないが、夜間は冷え込む。まして明日から寒波が来て、雪になるという。着の身着のまま逃げて来ているので、裸足の子どもが多い。この冬を越せずに、かなりの人々が亡くなってしまうのではないか。
毛布を配ってから、薬を配っていく。キャンプの手前の受付テントで、トルコから同行の医師が、診察しながら風邪薬を配っていく。赤ちゃんを抱える母親の列。ホムスの家にとどまるも地獄、ここに逃げて来ても地獄。ロケット弾に当たって一瞬で死ぬか、ここで凍えてじわじわ殺されるか…。
「西谷さん、早く早く。もうすぐ戦闘が始まっちゃうよ」。通訳のシハーブさんが、取材を切り上げろとアドバイス。イラクからやって来たダイシュというアルカイダ系武装集団が、この国境地帯を奪いにやって来ている。日が暮れたらこの辺りは銃弾飛び交う激戦地になる。このダイシュという集団は、イラン&イラクがスポンサーとなってシリアに送りつけてきたもの。シリアを失いたくないイランは、イラン革命防衛隊の猛者たち、レバノンからヒズブッラーをアサド軍に送り込んでいる。そしてシーア派が権力を握ったイラクかモクタダサダルの民兵たちもアサド軍に入り込んでいる。そんなイラン&イラクが、搦め手としてアルカイダ系のイスラム原理主義者たちをシリア北部に注入し、自由シリア軍を双方から責め立てている。
今年3月にこの国境に来た時は、自由シリア軍のコントロールが利いていて、この地域を拠点にアレッポ、イドリブまで行けたのだが、今は無理。ダイシュの若手兵士は、「死ねば天国に行ける」と洗脳された集団なので、自爆テロも辞さない最強の兵士たちである。
キャンプの取材を切り上げ、急いで国境へと戻る。トルコ軍の検問と入国審査を無事通過。実はこの国境、深夜に閉じられて、現在も開いていない。ダイシュと自由シリア軍の戦闘が始まったので、危険性を感じたトルコ政府が国境を閉じてしまったのだ。(12月10日現在)危なかった。下手したら私もシリア側に取り残されるところだった。
トルコに帰り、ホテルでホムスから逃げて来た人とチャイを飲む。ホムスは周囲をアサド軍に囲まれていて、食料が届かず、野良猫野良犬を食べているとのこと。もうすぐ雪が降るので、またたくさんの人が亡くなるだろう。
本日深夜、ABCラジオ「道上洋三のおはようパーソナリティー」に電話出演させていただいた。道上さんが「シリアの人口の半分が難民になっているのでしょう?」と心配そうに聞いてくれた。「そうです。半分の1千万人が家を失いました。残り半分は、無事ではなくて、家から逃げられない人々も含まれています」。と答えた。シリアの状況を一言でうまく伝えるのは難しい。ダイシュの話になれば、それだけで5分、10分必要だし、日本のみなさんに理解してもらえるかどうか…。そもそもなぜこんなに悲惨な内戦になったのかを説明しようとすると、1時間は必要だ。しかし「分かりやすく状況を説明する」ことは絶対に必要だ。日本ではあまりシリアやアフガンのことは報道されなくなった。もう少しここで踏ん張って取材を続けるつもりだ。


シリア内 避難民キャンプ ブログ用.jpg シリア国内の難民キャンプ。まだできたばかり。これから夜間は氷点下の厳しい季節。

12月9日早朝、トルコのリハニーヤから、まずは国境へ。国境の手前からトラックが長蛇の列を作っている。全て、シリアへの人道支援物資。シリア国内は食料もきれいな水も不足していて、寒い冬を前に、このまま放置すれば多数の死者が出る。国連は中に入っていないので、現地の人々が命がけのドライブで、ホムスやハマまで物資を届けている。
国境でトルコ人業者が待っている。外国人はもうこの国境を通ってはいけないので、スマッグラー(運び屋)と呼ばれる業者を雇わないといけない。国境の門が半分閉められていて、多数のシリア人が門前でひしめいている。「並べ並べ!」。トルコの入国管理官が、人々に押されながらも整列させようとしている。そんな群衆をかき分けながら、スマッグラーと通訳のシハーブさん、私の3人が国境を越える。「シーニー?(中国人か)」「ラー、ヤバニー(日本人だ)」。東洋系の顔立ちが珍しいのだろう、いろんなシリア人が「中国人か?」と声をかけてくる。国境の門を越えると、また別の門が現れる。いかついトルコ軍のおじさんが、私のパスポートを取り上げて、「お前たちは問題がある。ちょっとこっちへ来い」。トランシーバーで何やら相談している。軍の上層部にかけているのか?
やがて「シリアに入ることは自己責任だ。トルコ政府は関知しない」と告げられる。どうやら親切心から「危ないのでやめておけ」と言って来たようだ。
無事トルコの出国審査を通過。普通なら次はシリアの入国審査となるが、こちら側は無政府状態。自由シリア軍の兵士が私のパスポートを見るだけで通過。「彼らはムスリム同胞団の兵士だ。パスポートの英語が読めるのかどうか怪しいよ」シハーブさんの解説。自由シリア軍には、元アサド軍の兵士、大学生、市井の世俗派の人々などの他に、ムスリム同胞団も混ざっている。もし自由シリア軍がこの戦争に勝利しても、今度は自由シリア軍の中で主導権争いが起こるだろう。今のリビアがそうなっている。
シリア側のバーブルハワーには延々と難民のテントが続く。9か月前に来た時よりも確実にその数は増え続けていて、この狭い国境地帯だけでも1万人を超える人々が狭いテントで生活している。
バールルハワーから自由シリア軍の車でアカラバートという避難民キャンプへ。オリーブ畑の中に巨大テント群が現れた。これら全て2〜3か月前に建てられたもので、まだまだ新しいテントが建てられ続けている。(続く)


リハニーヤ 自爆テロ現場 ブログ用.jpg


12月8日、今日は日曜で休日だ。日曜が休日なのは当たり前のように思えるが、イスラム圏では金曜日を休みにする国が多い。むしろトルコは例外で、ヨーロッパの仲間入りを国是としているので、日曜を休みにしているようだ。
ここリハニーヤはアラビア読みで、国際的にはレイハンルと呼ばれている。このリハニーヤが世界のトップニュースになったのは、今年の5月11日。街の中心で2台の自動車が爆発、50人以上の犠牲者が出たのだ。
爆弾テロのあった広場へ。モスクの玄関が新しくなっている。爆風で壊れたらしい。モスクの手前のビルが建築中。その隣、携帯電話の店が破壊された。実は3月にシリア入りした際に、ここで携帯電話を買った。あの日からちょうど2か月後にテロ。あの無愛想な店員は無事だっただろうか?
このテロ直後、トルコの人々は「シリア難民がこの町にやってくるから、テロが起こったのだ」と、シリア難民排斥の世論になった。夜間外出禁止令が出される中、エルドアン首相がリハニーヤに駆けつけて、「まだテロの犯人がシリア人だと決まったわけではない。慎重に捜査している。排斥運動をするのは待ってほしい」と呼びかけた。
捜査の結果、犯人はトルコ国籍でシリア難民ではなかった。排斥世論は沈静化し、シリア難民はこの町に住み続けることができている。
難民が流入し続ける国境の町では、常に地元住民と難民との衝突が起きる。「きつい、汚い、危険」のいわゆる3Kの仕事は、低賃金で難民が請け負うことが多い。結果、地元トルコ人が失業する場合もある。地元トルコ住民の寛容さ、忍耐強さが問われて来ている。今のところ、表面的には大きな摩擦は起こっていない。ただシリア内戦は泥沼の様相を呈している。平穏な状況が続く保証はない。解決方法は、1にも2にもこの戦争を終わらせることだ。国際社会が見て見ぬふりをするのも、もう限界に来ている。

左手を失った女性 ブログ用.jpg


12月7日、早朝から土曜市が出ているので野菜や果物を見て回る。オリーブやザクロ、リンゴ、ミカンなど1㌔1リラ(200円程度)と激安。その後リハニーヤの商店街で、通訳のシハーブさんと毛布の交渉。一枚42リラ(約2600円)で、150枚を購入。その後、薬局で医薬品の購入。2千ドル分の輸血キット、点滴、注射器、抗生物質などを購入。治安状況を見て、明日、これらの支援物資をシリア側の避難民キャンプに持っていくことにする。
お昼からは、民間のマンションを改良した病院へ。毎日多数の怪我人がシリアから運び込まれてくるが、全ての難民がトルコ政府の運営する病院に入院できるのではない。保険もないし違法入国なので、このような民間病院が必要になる。半分違法な状態で運営しているので、ジャーナリストの取材はNG。したがって病院の外観も撮影できないし、病室に入っていっても隠れながらの取材となる。
マムード君(13歳)は3か月前、アレッポからトルコに逃げようと国境を歩いていた。家族11人と一緒に山越えをしている時だった。突然シリア軍の兵士が、難民の行列を狙撃して来た。兵士はトルコに逃げようとする人々に、対空砲を撃って来た。飛行機を撃ち落とす砲弾を、同じ国民に対して撃ち込むのが今のアサド軍だ。
爆弾の破片が腹から背中に抜けて、彼は重症を負った。トルコに逃げることはできたが、このベッドで寝たきりの生活。お腹にチューブをつけて、そこからおしっこが流れ出す。隣には介護の妹。ハンカチと100リラを手渡す。
女性の病室にはフォージャさん(55歳)がいた。ハマの自宅の庭でオリーブの世話をしている時だった。突然ロケット弾が飛び込んで来た。私はこのハウワーンというロケット弾攻撃をアレッポで間近に経験したが、ビルに当たれば震度3くらい揺れるし、破片が周囲に飛び散って、多くの怪我人が出る。そのハウワーンの破片が左手、腰に突き刺さった。ハマの地下病院で、麻酔なしで左手を切断した。腰には鉄製のギプス。以後寝たきりの生活が9か月続いている。
「9か月ずっと寝たきりで、疲れたわ。毎日がつらくて…」。フォージャさんの目にうっすらと涙が浮かぶ。シリアではロケット弾が1日に何百発と飛び交っている。兵士にすれば、命令を受け、興奮し、ただ一気に撃ち込んでいるロケット弾だろうが、その一発一発が取り返しのつかない悲劇を生む。昨日、今日、明日…。悲劇は拡大再生産されている。

ゴミ拾いの少年 ブログ用②.jpg


12月6日、特定秘密保護法が強行採決され、可決したことをネットで知った。日本という国が壊れ始めている。安倍内閣の終わりの始まりとなるだろうが、安倍晋三は去っていったとしても法律は残ってしまう。日本がシリアのような警察国家になるのはイヤだなー。
本日は金曜日で住民のみなさんはモスクでお祈り。私たちはリハニーヤの「シリア難民一時避難所」へ。シリアから逃げて来た難民が、とりあえずここに宿泊して、病気や怪我の人は病院へ、元気な方は何泊化した後に、アパートを世話して、リハニーヤの街中に送り出す施設である。この「一時避難所」からシリア国境が見渡せる。毎日のように山を越え、あのフェンスを乗り越えてここまで走ってくるのだ。昨年、あのようなオリーブ畑に張り巡らされたフェンスを乗り越えて、向こう側、つまりシリアに潜入したのを思い出す。
リハニーヤの公園はちょっとしたピクニック会場になっていて、モスクでお祈りをすませた人々が、この公園に集まってくる。レストランやカフェもあって、シリア難民たちが、ここでゆったりとおしゃべりしながら1日を過ごす。
そんな公園に、2人の少年がズタ袋を持って、ゴミを拾い始める。バッシャール君(12)は、あの山の向こう側、シリアのハマから逃げて来た。「アサドと同じ名前だね」とからかうと、「それだけは言わないでくれ」と抗議の膨れっ面。8人家族の生活を支えるために、ここでゴミを拾う。金目のものを売りさばいて、1日5〜6リラ(250〜300円)。父親はまだシリアに居残って兵士として戦っている。この少年の稼ぎが一家の収入。隣のムハンマド君も12歳でイドリブから逃げて来た。7人家族で、国境を越える時に、シリア軍から撃たれて、何人かが死ぬのを見た。バッシャール君と2人でゴミを拾う生活なので、学校にはいっていない。「学校に行きたい?」との質問には「行きたくない。ここで仕事をしないと、家族が死んでしまうから」と寂しそうに答える。
和田中学校からあずかったハンカチと100リラを手渡す。ハンカチには「Every child deserves a life of peace and safty」(子どもには平和と安全に生きる権利がある)と書かれている。「英語読める?」「読めない」。学校に行けるあてもないので、このメッセージが彼らに届くのはいつの日か?
この子たちは、シリアではごく普通の小学生だった。故郷の学校で勉強できるようになるのは、いつの日のことだろう。

左足切断 男性 ブログ.jpg

2013年12月5日早朝、トルコのイスタンブールからシリアとの国境の町アンタキアまで飛ぶ。アンタキアは初期キリスト教の布教拠点となった街で、元々はシリア領とされていたがトルコ革命、つまり第1次大戦後のフランスとトルコの交渉の中でトルコに編入されたという歴史を持つ。住民はトルコ語とアラビア語の両方を話す人が多く、この辺りがトルコ民族とアラブ民族の境界だったんだな、と感じる。
そのアンタキアから車で30分も走ると、リハニーヤと呼ばれる国境の町。リハニーヤからシリアのバーブルハワーまでわずか7㌔。リハニーヤの郊外にはオリーブ畑が広がっていて、畑の中にフェンスが走る。あのフェンスの向こうはもうシリアだ。昨年9月、闇に乗じてあのフェンスを乗り越えシリアに潜入した思い出の場所。
リハニーヤの中心に警察署と観光庁の建物がある。憩いの広場には所在無さげにおしゃべりするおじさんたち。今年の春、この場所に自動車爆弾が仕掛けられ多数の人々が犠牲になった。リハニーヤには多数のシリア難民が逃げて来ている。難民の中には自由シリア軍の兵士もいる。自動車爆弾はそんな自由シリア軍兵士を狙ったもの、つまりアサド軍が仕掛けたものだと言われている。
リハニーヤの人口は、シリア内戦が始まるまでは約10万人。それが今や30万人に膨れ上がった。つまり20万人ものシリア難民がこの町に逃げて来て住み着いているのだ。街のメインストリートには新築マンションが並び、商店街で働いているのは、シリアからの人々だ。今はまだ小さな火種だが、このシリア難民に対して、トルコ住民からの嫌がらせがある。安い給料で働くシリア難民がトルコの人々の仕事を奪う。ここで小競り合いが発生する。戦争は常に差別と軋轢を拡大していくものなのだ。
リハニーヤの病院へ。病院といっても民家を改造してシリアからの怪我人を治療する診療所に毛の生えたようなもの。14人の患者が、2段ベットに横たわっている。足を切断した23歳の若者。パンを買うために外へ出た時に、スナイパーに撃たれた。麻酔なしで足を切断し、リハビリ中に転んでしまう。傷口に細菌が入り、膝が腐り出したので、さらに膝上のところで切断する予定。野戦病院のようなところで、抗生物質などの薬も不足しているから、こんなことになる。大学に通う途中に撃たれた学生。左足のかかとがはぎ取られ、歩くことができない。戦車砲が家に飛び込んで来て、破片が腰に飛び込んだ30歳代の男性。2人の子どものうち1人は奪われ、自身は歩けない身体に。ここに横たわる14人が14人とも、いきなり狙撃されたり空から爆撃された普通の市民だ。リハニーヤの、このような「民間病院」を取材するのは、今回で3度目だが、ずっとこの調子。いったいいつまでこの悲惨な内戦を続けるつもりなのか。
日本からの募金を忍ばせて、草木染めのハンカチを手渡していく。このハンカチは兵庫県丹波市立和田中学校の子どもたちが作ってくれた。中学生たちの英文メッセージがハンカチに染めてある。募金いただいたみなさん、和田中学校のみなさんにあらためてお礼申し上げたい。
さて、明日は支援物資の買い出しと、今後の取材日程の相談。今年の3月にはアレッポまで潜入できたが、アサド軍がかなり盛り返して来て、アレッポその他の都市も危険が増しているそうだ。内戦はこのまま泥沼化して、出口が見えなくなっている。国際社会はシリア戦争に対して無関心で、止める気がないように見える。今日も、明日も100人単位で人々が殺されていくというのに。

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