シリア 13年12月 ①

左足切断 男性 ブログ.jpg

2013年12月5日早朝、トルコのイスタンブールからシリアとの国境の町アンタキアまで飛ぶ。アンタキアは初期キリスト教の布教拠点となった街で、元々はシリア領とされていたがトルコ革命、つまり第1次大戦後のフランスとトルコの交渉の中でトルコに編入されたという歴史を持つ。住民はトルコ語とアラビア語の両方を話す人が多く、この辺りがトルコ民族とアラブ民族の境界だったんだな、と感じる。
そのアンタキアから車で30分も走ると、リハニーヤと呼ばれる国境の町。リハニーヤからシリアのバーブルハワーまでわずか7㌔。リハニーヤの郊外にはオリーブ畑が広がっていて、畑の中にフェンスが走る。あのフェンスの向こうはもうシリアだ。昨年9月、闇に乗じてあのフェンスを乗り越えシリアに潜入した思い出の場所。
リハニーヤの中心に警察署と観光庁の建物がある。憩いの広場には所在無さげにおしゃべりするおじさんたち。今年の春、この場所に自動車爆弾が仕掛けられ多数の人々が犠牲になった。リハニーヤには多数のシリア難民が逃げて来ている。難民の中には自由シリア軍の兵士もいる。自動車爆弾はそんな自由シリア軍兵士を狙ったもの、つまりアサド軍が仕掛けたものだと言われている。
リハニーヤの人口は、シリア内戦が始まるまでは約10万人。それが今や30万人に膨れ上がった。つまり20万人ものシリア難民がこの町に逃げて来て住み着いているのだ。街のメインストリートには新築マンションが並び、商店街で働いているのは、シリアからの人々だ。今はまだ小さな火種だが、このシリア難民に対して、トルコ住民からの嫌がらせがある。安い給料で働くシリア難民がトルコの人々の仕事を奪う。ここで小競り合いが発生する。戦争は常に差別と軋轢を拡大していくものなのだ。
リハニーヤの病院へ。病院といっても民家を改造してシリアからの怪我人を治療する診療所に毛の生えたようなもの。14人の患者が、2段ベットに横たわっている。足を切断した23歳の若者。パンを買うために外へ出た時に、スナイパーに撃たれた。麻酔なしで足を切断し、リハビリ中に転んでしまう。傷口に細菌が入り、膝が腐り出したので、さらに膝上のところで切断する予定。野戦病院のようなところで、抗生物質などの薬も不足しているから、こんなことになる。大学に通う途中に撃たれた学生。左足のかかとがはぎ取られ、歩くことができない。戦車砲が家に飛び込んで来て、破片が腰に飛び込んだ30歳代の男性。2人の子どものうち1人は奪われ、自身は歩けない身体に。ここに横たわる14人が14人とも、いきなり狙撃されたり空から爆撃された普通の市民だ。リハニーヤの、このような「民間病院」を取材するのは、今回で3度目だが、ずっとこの調子。いったいいつまでこの悲惨な内戦を続けるつもりなのか。
日本からの募金を忍ばせて、草木染めのハンカチを手渡していく。このハンカチは兵庫県丹波市立和田中学校の子どもたちが作ってくれた。中学生たちの英文メッセージがハンカチに染めてある。募金いただいたみなさん、和田中学校のみなさんにあらためてお礼申し上げたい。
さて、明日は支援物資の買い出しと、今後の取材日程の相談。今年の3月にはアレッポまで潜入できたが、アサド軍がかなり盛り返して来て、アレッポその他の都市も危険が増しているそうだ。内戦はこのまま泥沼化して、出口が見えなくなっている。国際社会はシリア戦争に対して無関心で、止める気がないように見える。今日も、明日も100人単位で人々が殺されていくというのに。

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