ゴミ拾いの少年と遭遇

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12月6日、特定秘密保護法が強行採決され、可決したことをネットで知った。日本という国が壊れ始めている。安倍内閣の終わりの始まりとなるだろうが、安倍晋三は去っていったとしても法律は残ってしまう。日本がシリアのような警察国家になるのはイヤだなー。
本日は金曜日で住民のみなさんはモスクでお祈り。私たちはリハニーヤの「シリア難民一時避難所」へ。シリアから逃げて来た難民が、とりあえずここに宿泊して、病気や怪我の人は病院へ、元気な方は何泊化した後に、アパートを世話して、リハニーヤの街中に送り出す施設である。この「一時避難所」からシリア国境が見渡せる。毎日のように山を越え、あのフェンスを乗り越えてここまで走ってくるのだ。昨年、あのようなオリーブ畑に張り巡らされたフェンスを乗り越えて、向こう側、つまりシリアに潜入したのを思い出す。
リハニーヤの公園はちょっとしたピクニック会場になっていて、モスクでお祈りをすませた人々が、この公園に集まってくる。レストランやカフェもあって、シリア難民たちが、ここでゆったりとおしゃべりしながら1日を過ごす。
そんな公園に、2人の少年がズタ袋を持って、ゴミを拾い始める。バッシャール君(12)は、あの山の向こう側、シリアのハマから逃げて来た。「アサドと同じ名前だね」とからかうと、「それだけは言わないでくれ」と抗議の膨れっ面。8人家族の生活を支えるために、ここでゴミを拾う。金目のものを売りさばいて、1日5〜6リラ(250〜300円)。父親はまだシリアに居残って兵士として戦っている。この少年の稼ぎが一家の収入。隣のムハンマド君も12歳でイドリブから逃げて来た。7人家族で、国境を越える時に、シリア軍から撃たれて、何人かが死ぬのを見た。バッシャール君と2人でゴミを拾う生活なので、学校にはいっていない。「学校に行きたい?」との質問には「行きたくない。ここで仕事をしないと、家族が死んでしまうから」と寂しそうに答える。
和田中学校からあずかったハンカチと100リラを手渡す。ハンカチには「Every child deserves a life of peace and safty」(子どもには平和と安全に生きる権利がある)と書かれている。「英語読める?」「読めない」。学校に行けるあてもないので、このメッセージが彼らに届くのはいつの日か?
この子たちは、シリアではごく普通の小学生だった。故郷の学校で勉強できるようになるのは、いつの日のことだろう。

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このページは、nishitaniが2013年12月 7日 13:01に書いたブログ記事です。

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