イスタンブールでエジプトのその後を取材する

12月12日、本日も国境が開かないのでシリア入国をあきらめる。
アンタキアからイスタンブールへ飛ぶ。トルコは広いので、移動はもっぱら飛行機を使うしかない。もう少し時間があれば、シノップという黒海沿岸の港町を訪問したかった。このシノップこそ、日本の原発が建設される予定地なのだ。安倍首相が売り込んだ原発、トルコの人々はこの原発輸出をどう考えているのだろう。
イスタンブール着。安宿のドミトリーで、同宿のエジプト人ジャマールと出会う。彼はカイロで観光業を営んでいたが、アラブの春以降、エジプトを訪れる観光客が激減し、カイロでは食べていけなくなったので、ここイスタンブールで新たな観光業を始めようと思って、やって来ている。
2011年2月11日、エジプトのタハリール広場で革命が成就した。独裁者ムバラクが倒され、エジプトに自由がきたかのように思われた。実はその翌日から、エジプト軍は革命部隊の分断を図っていた、と彼は言う。
タハリール広場に集う人々には様々なグループがいた。大ざっぱにいえば、群衆の半分近くがムスリム同胞団。10%ほどがコプト教徒(キリスト教徒)、さらにスーフィーヤと呼ばれるイスラム主義者、革命に立ち上がった学生グループ、青年実業家、社会主義者…。
ムバラク政権打倒で一致団結していた人々の中に、エジプト軍と資本家は分断のくさびを打ち込んでいく。資本家たちはテレビを持っていたので(15チャンネルほどあった)、連日、革命に立ち上がった学生を登場させて、ムスリム同胞団の悪口を語らせる。別の日にはコプト教徒を登場させ、また別の日には青年実業家が出て来て…。こうして、世俗的な活動家グループと、ムスリム同胞団、キリスト教徒などが、互いに離反していく。軍と資本家のターゲットはムスリム同胞団だ。世俗的な活動家たちを引き離したあと、実力行使が待っていた。
ムルシ大統領への批判を、このような方法で人工的に高めて、ムルシ批判のデモを起こさせ、その騒乱に乗じて軍事クーデターを敢行する。果たして、エジプトはその通りになった。ムスリム同胞団に批判的な人物も、「選挙で選ばれた大統領をクーデターで代えるべきではない」と、軍に反発していた。ムスリム同胞団と、民主主義をも丸太目に立ち上がった人に、エジプト軍は虐殺で応えた。ラムシース広場に集まった人々をアパッチヘリで撃ち殺していった。これではアサド政権と同じだ。
アルジャジーラの記者は「カメラを持っていた」という罪で拘束され、いまだに出獄できていない。エジプトのデモのニュースを取材するジャーナリストは殺されるか投獄されてしまう。かくして「エジプトのその後」はメディアから消えている。
アラブの春は一体なんだったのか?あれだけの血が流されて、多大な犠牲の上に勝ち取った自由。そんな宝物がいとも簡単にひっくり返されていく。民衆の分断、人工的に作り上げられた反ムルシの運動の背後に、アメリカとイスラエルがいる。おそらくCIAを使った分断作戦。エジプトの旧ムバラク政権の官僚たち、資本家たちは、軍のクーデターで、またまた巨大な利権にありついたのだろう。独裁政権の崩壊を見て、肝を冷やしていたサウジやUAEの王様たちも胸をなで下ろしているだろう。「次は自分」ではなくなっていくからだ。
リビアとシリアは崩壊させられる。サウジやバーレーン、UAEは安泰。バーレーンにはアメリカの海軍基地がある。反米独裁は倒され、親米独裁は生き残る。エジプトは結局、アメリカにコントロールされた軍隊が実権を握る。シリアはアサドを弱らせ、自由シリア軍(同胞団主体)も弱体化させる。ロシアも自由シリアの勝利を望んでいないし、アメリカ、イスラエルも望まない。シリアの民衆はアサドを許さないので戦い続ける。かくしてシリア内戦は3年も続いてしまう。エジプトもシリアも、結局犠牲になるのは、普通の市民である。
エジプトのラムシース広場で実際に起こった映像は、facebookをご覧ください。
https://www.facebook.com/tani.nishi.94

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このページは、nishitaniが2013年12月14日 01:16に書いたブログ記事です。

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