ウクライナの独立広場

燃えたビル 遠景 ブログ用.jpg 写真はキエフの独立広場。革命防衛隊が泊まり込み、今も多くの人々がここで犠牲者を悼み、革命を祝福している。

3月26日午前10時、イスタンブールから飛行機を乗り継ぎ、無事ウクライナのキエフに到着。空港で通訳のヘレナが待っている。ヘレナは母がウクライナ人で、父がロシア人。ウクライナの女性はきれいな人が多いが、40歳くらいからお腹や足元などに「貫禄」がついてくる。「あー、この人もたくさん食べはったんやろなー」「みんな、若い頃はきれいやのになー」と「率直な感想」を心に秘めつつ、年齢を聞くのは失礼なので、「キエフは暖かいね?」などと「当たり障りのない会話」をしていたら、彼女の方から「私は53歳なの」。
えっ1960年生まれ?——何と私と同い年で、誕生月まで一緒。「スコーピオ?」。ヘレナが尋ねてくる。蠍座のO型で、星座も血液型も一緒だ。相性はどうなのかな?(私は占いを信じないが)
ヘレナの案内でエアポートタクシーを使わず、空港を出てから普通のタクシーを拾う。これで市内までの料金が半額の200フリブナ(約2千円)になる。エアポートタクシー会社と空港がつるんでいて、高額な値段設定がなされているようだ。ちなみにウクライナの通貨フリブナは「銀の塊」という意味。そしてルーブルは「切り取ったもの」。ロシアの通貨「ルーブル」は「フリブナを切り取ったもの」という意味だった。つまりウクライナのキエフが先に栄えて、モスクワはその後塵を拝していたのである。そもそもウクライナとは「辺境」ということだが、それは「オスマントルコやヨーロッパから見て辺境」であった。キエフから見たモスクワは、さらに「さいはて」の地。キエフは東西のシルクロードと、スカンジナビアからコンスタンチノープルまで、ドニエプル川を下って、南北に走るルートの交差点であり、(その黒海への出口がクリミアだ!)貿易と商業で栄えた街なのであった。歴史が進みキエフとモスクワの立場が逆転してロシアに併合されてしまうのは最近のことなのだ。
ヘレナがあらかじめ手配してくれたアパートへ。ここは日本で言うウィークリーマンションみたいなところで、ホテルに泊まるより割安。4日間のウクライナ取材の段取りを相談する。
まずはキエフの中心、独立広場へ。インデペンデント・マイダンという名前で、旧ソ連からウクライナが独立した1991年に、その祝福シンボルである塔が建てられた。マイダン(広場)は、元々はアラビア語。キエフはアラブにも近い。その旧ソ連から独立したウクライナが、ヤヌコビッチという「プーチンの操り人形」のような独裁者によって、事実上ロシアに隷属してきた。そんなウクライナの真の独立を、ということで民衆がここに集まった。大規模な民衆デモは昨年の10月頃から続き、やがてデモを弾圧する治安警察と民衆のにらみ合いとなり、この2月に流血の騒乱を経て、ヤヌコビッチが逃亡。民衆が勝利したのは既報の通り。
「革命」から1か月以上が過ぎているのに、広場にはテントが建ち並び、人々はそのテントに泊まり込んでいる。5月に予定されている総選挙まで、独立のシンボルであるこの広場を守り切ろうというのだ。ロシアがクリミアを併合したこともあって、まだ「反革命」が起こるかもしれない。だから彼らは「革命防衛隊」となっている、とのことだ。
広場のあちこちに治安部隊に撃たれて犠牲になった人々の写真と花が飾られている。基本的にその場所は「彼が殺されて地点」だ。バリケードが何重にも築かれていて、治安警察はバリケードの向こうから発砲してきた。人々は道路から石のブロックをはぎ取り、それをバリケードの向こうに投げつけた。催涙ガス、実弾などが飛び交う中、一進一退の攻防だった。その治安部隊の背後にスナイパーがいた。広場を見下ろすウクライナホテルの屋上から、スナイパーが投石する人々を狙い撃っていった。撃ち殺された、その場所にロシア正教の十字架とキャンドル、花束が供えられている。
バリケードには、古タイヤがうずたかく積み上げられている。治安警察とスナイパーから身を守るために、人々はタイヤを燃やし、黒煙で広場を覆いつくした。だから広場の周囲の建物はいまだに黒いすすで汚れている。道路も街路樹も。「もう少し早くここに来たかったなー」。広場を撮影しながら「後悔」する。仕事の都合で延び延びになってしまったのだが、まぁ仕方ないか。(続く)

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このページは、nishitaniが2014年3月27日 15:42に書いたブログ記事です。

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