シリア潜入 2日目

4月9日午前9時、ようやく兵士たちが起き出して遅めの朝食。今日は病院とキャンプを訪問して、昨日来た道を抜けてトルコに戻る。午後4時までに戻らないと、ジャンダルマ(トルコ軍)があの門を閉めてしまうので、急がねばならない。しかし…。
アブドッラーがいない。支援物資の調達に行っているのか、私たちの安全確保のための調整をしているのか、それともまだどこかで寝ているのか…。
11時、12時…。じりじりしながらアブドッラーの到着を待つ。何しろ彼がいないと検問所を通過できないので、来ないことにはこの拠点ビルから一歩も出られない。午後2時、ようやくアブドッラーが現れ、まずは難民キャンプをめざす。ヤッラヤッラ(早く早く)。あれだけ待たせておきながら、行動を起こすとなるとせっかちだ。
まずは国道沿いにできた名もない避難民キャンプ。半年前にホムスから逃げてきた人々300名が丘の上にテントを張って暮らす。電気なし、水道なし。食料は不足がちだが、国際支援物資が入ってくる。今何が欲しいか?という問いには、「電気」だった。水は届いている。次は電気ということだ。
このキャンプをさっと取材して、次へと移ろうと国道を走行中、少年がズタ袋を担いで歩いている。検問所が近いので、車の中から彼にインタビュー。
「どこから来たの?」「アレッポ」「いつからここへ?」「2か月前」「アレッポの家は?」。ここで少年はクビを振る。通訳のジャラードが何やら早口のアラビア語で聞いている。「ニシさん、この子はホムスに住んでいて、爆撃で逃げ出し、まずはアレッポへ。そこもまた空爆されたので、この街に来たのです」。
朝9時から6時間、ゴミ拾いをして約200シリアポンド。(150円程度)
少年の顔がゴミとすすで黒ずんでいる。風呂には何か月も入っていないのだろう。20トルコリラ(1000円)札を握らせると、その時だけちょっと微笑んだ。「シュクラン」。アラビア語でありがとう。彼はまたとぼとぼと国道を歩いていく。空き缶を探しながら。
昨年末にも訪れたアカラバット地区へ。ここは山々が一面のオリーブ畑になっている風光明媚な場所だったが、そこに巨大なテント群が出来上がっている。
新しいテントばっかりやなー、と車内から隠し撮りをしていた時だった。
「火事だ!」アブドッラーとジャラードが同時に叫ぶ。車を急停車させ、燃え上がるテントの方へ走り出す。他のテントにいた難民たちも、わらわらと火災現場の丘の上をめざして駆け上がっていく。巨大な火柱が立ち上がり、黒煙が噴出する。泣き叫ぶ女性たち。
私も丘を駆け上がっていこうとするが、その手をジャラードに掴まれ、オリーブの木陰に引き込まれる。
「ダメです!カメラを持って近づいたら、危険です」。
「そうなの?もう少し近づいて撮影してもいいんと違う」。ジャラードと口論になりかけたその時、パンパンパン!銃声が響いた。火事の混乱、行きどころのない怒り、家族を失った悲しみ…。そんな感情が混ざり合って、誰かが銃を連射したのだ。野次馬同然で、大きなカメラを回していたら、撃たれかねない。ジャラードの判断は正しかった。何しろ、住民たちの間にマグマのような怒りがたまっているのだ。
ウーウー、10分以上経ってから消防車がやって来た、それも1台だけ。消火する水もない。あの消防車は数ある検問に引っ掛かっていたのかもしれない。さらにその5分後、救急車が。その間もテントから赤い炎がチロチロと舌を出し、黒煙が噴き出し続けている。難民たちは着の身着のままで逃げてきたので、ガスコンロも粗末なものだ。故郷ではガス爆発などありえない事故だが、キャンプでは常に危険と隣り合わせの生活なのだ。
泣きっ面にハチ、踏んだり蹴ったり…。泣き叫ぶシリア難民たちを見ながら、そんな月並みな言葉しか頭に浮かばない。
時間が迫ってきた。アトマ村の「ハンドインハンド」病院へ。これはイギリスのNGOが運営している。中に入る。栄養失調の子どもが多数入院している。やはりこの冬、援助物資が届かずに母親が飢えてしまい、母乳が出なかったのだ。アフガンのカブールでも見た、危篤状態の赤ちゃん。弱々しく泣いているだけ。
「シリアのアフガン化」が始まっている。
ヤッラヤッラ。病院取材中もジャラールが私をせかす。午後3時半、あと30分しかない、その時アブドッラーの携帯が鳴った。何やら大声でしゃべっている。
「ニシさん、アトマ村で銃撃戦が勃発した模様です。あの門は、今日は閉ざされてしまいました」。えっ、あの門が閉まったら、「密入国者」の俺は、どこから出ればいいのだ?正式な国境も密入国の門も閉まっている。
「ブックラ(明日)、あるいは明後日…」。おいおい下手したら、ここで缶詰かいな。「明日までにイスタンブールに行かないと、日本に帰国できなくなる。何か他に方法はないのか?」
アブドッラーと兵士が相談している。30分後、追加の兵士と車がやって来た。
「さらに秘密の道を通って、トルコへ抜けましょう。今からチャレンジします」
護衛を追加して、イドリブの危険地帯を走る。運転席のアブドッラーだけでなく、人道支援者のフォワッドまでが拳銃を手にしている。どうやら、自由シリア軍の支配地域外を、突っ切らねばならないようだ。
アブドッラーの無謀運転に拍車がかかる。ブォーン、ひときわ大きなクラクションを鳴らして、おんぼろ道を100㌔で走る。私のとなりに兵士が乗り込んでいたのだが、たびたび車の天井に頭をぶつけては、苦笑いしている。
山道をぶっ飛ばすこと1時間。ハーレンという村に入る。やがて小さな橋のない川が現れる。この川が国境。川岸を進むと、赤いビニールロープとタライ船が。岸のこちら側にシリア人が数名たむろしている。
「ここは撮影厳禁です。ムハーバラート(シリアの秘密警察)、ジャンダルマ(トルコ軍)の双方がいるかもしれません。ジャラールの忠告にうなずき、カメラを隠して下車。ヤッラヤッラ(早く早く)。兵士たちにせかされながら、アブドッラーとハグ。こいつのおかげでシリア取材ができた。ありがたい。兵士たちと短い別れのあいさつを交わし、川岸に止められたタライ舟に乗る。「屈め、屈め」と船頭が指示する。川を渡っているところを見つかると、良くて刑務所行き、悪くて銃殺…。
タライ舟で向こう岸まで。船頭は思いっきりロープを引っ張って、タライ舟を進めていく。トルコ側に着岸。河川敷の道なき道を突っ走る。
ヤッラヤッラ。草むらで待ち構えていたトルコ親父が、耕耘機を指差す。荷台に飛び乗る。ジャラードと、ファワッド、私の3人が荷台に寝転がるやいなや、耕耘機が走り出す。ガタンゴトン、かなりの悪路に、身体を浮かせながら、荷台から見上げる青空。これって映画にすれば面白いかも…。
「やったー、トルコに抜けたぞ」。ジャラードも笑いながら、荷台の上で身体をくねらせている。
かくして、私は「密出国」に成功した。川の向こうは戦争、こちらは平和。あらためて国境ってなんだろうと思う。
その後、私はトルコのリハニーヤでやり残した取材を済ませ、イスタンブール経由で大阪に戻ってきた。泥沼のシリア内戦は4年目を迎え、すでに15万人以上の人命が奪われた。しかしそれでもなお、戦闘は今日も続き、さらなる犠牲者を生み出している。帰国してもメディアをにぎわしているのは「小保方さん」や「マー君」であり、シリアはほとんど取り上げられない。毎日50〜100人が理不尽に殺されている状況なのに。本来ならもっと大騒ぎして報道すべきだと思うのだが…。

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このページは、nishitaniが2014年4月16日 12:08に書いたブログ記事です。

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