警官殺害現場の今

警官射殺現場 ブログ用.jpg

シャルリーエブド社のビルを撮影し、次に警官射殺現場を探す。犯人の兄弟は、犯行後、ビルから飛び出し一方通行の大通りに停めてあった車に向かったと思われる。
ビル前の路地を抜けて大通りへ。この通りはビルから見て右行きの一方通行。路駐した車に乗り込むため、犯人は焦っていたに違いない。
通行人に聞く。「知らないよ。警官が殺されていたの?」「あー、そんな事件もあったわね」。何人かに聞いていくが、警官射殺現場をなかなか特定できない。
それにしても事件からまだ半年しか経っていないのに、この関心の低さは何だろう? 地元住民に聞いてもなかなか分からないので、自力で探す。
事件直後の映像には、犯行現場には電光掲示板の広告が写り込んでいて、その動く広告の背後に信号が見える。その電光掲示板が見当たらない。
右行き一方通行の背後は公園になっていて、公園を抜けると左往き一方通行の大通り。つまりここは極めて幅の広い道路の中央に公園を挟んでいる、という構造だった。左往き大通りに出て、シャルリーエブド社に戻るように歩く。あった!
動く電光掲示板に、背後の信号。
犯人たちはビルを出て公園を突っ切って、反対側の一方通行で警官を射殺したのだった。シャルリーエブド側の道路が犯行現場だと思い込んでいたので、確認に手間取った。
あの時、警官は足を負傷していた。動けない警官を無慈悲にここで撃ち殺した。警官はイスラム教徒だった。「私はアフマド」というポスターもあった。殺害されたアフマドさんは当時英雄扱いだった。しかし「フランスの英雄」が殺害された現場は今、花もなく、追悼の碑もない。電光掲示板だけがあの日と同じように、広告を動かせている。あたかも「早くこの事件を忘れてくれ!」とでも願うかのように、何の痕跡も残されていなかった。


「リシャード・ルノアー駅」からナシオン駅へ。地上に上がると大きなラウンドアバウトがあって、その中央にやはり巨大な銅像。ここがナシオン広場で、当日のデモの最終地点。パリで160万人、全仏で370万人と言われる大規模デモの先頭には40カ国の首脳が立った。日本からの代表もデモに参加した。首脳たちの写真がアップになって翌日の新聞トップで報道された。

しかしそのデモは群衆と隔離された場所で行われていた。首脳たちは「デモをしたふり」をしたのだ。背後に見える群衆と思われた人々は、実はガードマンだった。そんな「首脳たちの詐欺的なデモ」は、この広場から見えるボルテール大通りで行われた。
首脳たちは「テロとの戦い」を叫びながら、テロに脅えていたのだ。なぜ脅えながら「テロと戦うふり」をしなければならなかったのか?おそらくそれは、「世界が団結して、ISやアルカイダと戦う流れになったんだよ」というメッセージを送りたかったのだろう。

ナシオン広場からセントマンデ駅へ。ここはすでにパリ郊外。地上に上がって数十m歩くと、ユダヤ系食品センターがある。ここに別のイスラム過激派が立てこもり店内にいた4名を射殺した。犯人はイスラム国を名乗った。

ユダヤ系食品センター前 ブログ用.jpg この現場はすぐに分かった。殺された4名の写真が飾られ、追悼の花が献花されていた。最近も追悼式が行われているのだろう、ローソクがイスラエル国旗、つまりダビデの星の形をして燃え残っている。何の痕跡もなかった警官の殺害現場とは対照的だ。はて、この違いは何だろう?この事件には「隠さないでいいもの」と「隠さねばならないもの」があるように感じる。

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このページは、nishitaniが2015年8月17日 05:44に書いたブログ記事です。

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