アミナちゃんと再会

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8月18日午前7時。平和村スタッフ中岡さんの運転で、フランクフルト郊外にあるリハビリ施設へ。オーバーハウゼンとフランクフルトは片道3時間のドライブ。アウトバーンに乗る。ヒットラーの造った高速道路網がドイツ中に敷かれていて、距離の割に結構早く着く。アウトバーンは無料。日本も早く、高速を無料にすべきだと思うのだが…。
午前10時、バドゾーデンザルランスターという長い名前の町に到着。ここのリハビリ施設セントマリアにアミナちゃんがいる。
2013年夏、カブールの赤新月社で出会った時は、彼女の両足は腐りはじめ、ハエがたかっていた。カンダハルで結婚式に参加しようと、母親と国道を歩いていた時に、仕掛け爆弾が爆発。母親は即死、彼女は瀕死の重症を負った。
セントマリア病院は主に高齢者向けのリハビリ施設だった。ドイツでも高齢者介護は社会問題になっているようだ。4階の病室にアミナがいた。
残念ながら彼女の両足はなくなっていたが、さっそうと車椅子に乗り、器用にどこへでも「お散歩」できるようになっていた。そして義足が完成して、歩行訓練を始めていた。
2年前に出会った時は、この子の表情は暗かった。顔面から血の気が消えていて、表情には「絶望」が浮かんでいた。あれから2年。彼女は笑顔で迎えてくれた。「義足はこうして履くのよ」「早くアフガンに帰りたいわ」「ここはお年寄りばかりで退屈」などとドイツ語で語ってくれる。学校で習う前の9歳で爆発にあったので、母語であるパシュトゥー語の文字は読めないけれど、ドイツ語の読み書きはできる。
両足を切断したのは2014年6月。つまりドイツに運ばれてから10か月は足を切らなかった。合計76回も全身麻酔を受けて、お風呂に入り、消毒した。医師も彼女も両足を切らずに完治させたかった。しかし無理だった。何しろ腐りかけてハエがたかっていたのだ。足を切ってからリハビリが始まった。1年2ヶ月で、彼女は義足で歩けるようになった。アフガンはバリアフリーではない。道路は舗装されていないし、段差だらけの社会だ。車椅子以上、つまり自力歩行が求められる。残念ながらアミナちゃんは、帰国便に乗れず、オーバーハウゼンの平和村にも戻れない。もう少しここでリハビリが必要だ。しかしきっと母国に戻れる時が来る。来年なのか、再来年なのか。その時は、一緒に帰国便に乗り、彼女の親族と再会したいと密かに願う。

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このページは、nishitaniが2015年8月21日 19:39に書いたブログ記事です。

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