ズハイル、 ゼタラと再会する

ゼタラちゃん 父と ブログ用.jpg ゼタラ 立ち上がる ブログ用.jpg 甲状腺がん 親子アップ2 ブログ用.jpg ズバイルくんブログ用 .jpg 写真は1年前のゼタラちゃんと現在。2年前のズハイル君と現在


8月19日午前9時、平和村の子どもたちのリハビリ施設へ。最初の部屋では包帯替えをしている。日本人スタッフの矢倉医師がテキパキと、かつ慎重に傷口から包帯やガーゼを取り外し、新しいものに取り替えていく。
アンゴラ、ウズベク、タジク、アフガン…。子どもたちが次々とやって来る。すでに1〜3年をここで過ごしているので、それぞれがドイツ語で受け答えしている。一般に子どもの方が語学習得能力が高いと言われるが、会話が成立していることも、治療がうまくいくカギの1つだろう。
子どもたちの中に見覚えのある顔があった。
ズバイルくんの首にできていた腫瘍は手術で取り除かれ、すっきりとしている。イラクやアフガンでは腫瘍を持って生まれてくる子が増えている。それも首筋に大きな腫瘍ができている場合が多いのだ。一体これは何なのか?がんなのかそれとも…。最初にバグダッドで同じ症状の子どもを見たとき、一瞬凍りついたのを思い出す。
リハビリ室へ。やはりここでも日本人スタッフの看護師、作業療法士たちが子どもたちの治療に当たっている。ドイツ平和村は、日本人スタッフやボランティアがいなければ、おそらく立ち往生してしまうだろう。ちょっと嬉しい。
リハビリ棟を出て、中庭へ。お目当ての子どもを捜す。その子は車椅子か義足をはめて松葉杖で歩いているはずだ。
いた。
ゼタラちゃんの右足に義足、骨髄炎で曲がってしまっていた左足は何度かの手術の後、徐々に真っすぐに矯正され、何と1年で歩けるようになっていた。
「えー、歩けるようになったの?僕のこと覚えてる?」
恥ずかしそうに首を振る。何や覚えてくれてないんや…。ちょっとがっかりしつつ、「一緒に飛行機に乗ってアフガンからここまで来たやん」と言うと、
「あー、あの時の…」。思い出してくれた。
「あの時は全然歩けなかったやん。今、見事に歩いてるやん。すごいよ、ゼタラちゃん」。
感動しつつ、ビデオカメラに彼女の姿を収める。アフガン北部マザリシャリフで地雷を踏んだゼタラちゃん。その後パキスタンで手術をするも、歩けるようにはならなかった。2年間の闘病生活。衛生状態の悪い中で座って過ごした。左足は骨髄炎になり、ヒザの関節は硬直し、アキレス腱が伸び切って、左足首が反り返ってしまって、彼女は這いずり回ることしかできなかった。
今、彼女は見事に立ち上がり、そして歩いているのだ。
アフガンの両親は奇跡が起こったと思うだろう。帰国できるかどうかはまだ微妙だが。
午後5時、デュッセルドルフ空港へ。タジクを発った飛行機が、アフガン、ウズベク、ジョージアを経由して、この空港に飛んでくる。
夕暮れの空港でその到着を待つ。午後7時30分、飛行機が飛んできた。数十名の救急隊員と10数台の救急車、バス2台が駐機場まで。
最初の救急隊員が子どもを抱えてタラップを下りてくる。一斉にたかれるフラッシュ。タラップの下では、平和村のスタッフが子どもたちの腕にまかれた番号を読み上げ、ドイツの病院に入院する子ども、平和村にいったん宿泊する子どもを選り分けていく。
午後9時、バス2台が平和村に到着。幼児宿舎、男子、女子宿舎にそれぞれが到着して、長い旅が終わる。これから1〜3年程度、ドイツで過ごす子どもたち。家族と離れて不安なのだろう、ママと泣き叫ぶ子どももいる。不安と希望。明日からは徐々に不安が消えていき、希望がわき上がる日々になるだろう。


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このページは、nishitaniが2015年8月22日 13:55に書いたブログ記事です。

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