イラク北部で取材開始

11月18日イラクに入国し、北部のクルド地区スレイマニア市で取材を開始。通訳のファラドーンと今回の取材方針とスケジュールを調整する。スレイマニア市では昨日から豪雨に見舞われている。避難民キャンプでは地面ドロドロ、雨漏りに悩む人々の上に容赦なく雨が降り続いているとのこと。イラクといえば砂漠を連想し、暑い国というイメージが定着している。首都バグダッドや南部バスラ、サマワ周辺についてはそのイメージであまり違いはないが、北部のクルド地域は山岳地帯で、冬は雪が積もる厳しい気候なのだ。ISがクルドの山岳地帯に攻め込んできて、2度目の冬を迎える。まずはヤジディー教徒たちのキャンプを訪問することにする。
スレマニから車を飛ばすこと30分でアカラバット避難民キャンプに着く。半年前ここに来たときは、山裾までテントが続いていた。テントの数が少し減っているので、「避難民が帰還できたのか」と尋ねると、現実は逆で、避難民がどんどんやってくるので、地元政府がここから数キロ先に別のキャンプを作って、「主にヤジディー教徒のクルド人」と「主にスンニ派のアラブ人」の2つのキャンプに分けた、とのこと。
キャンプの玄関にUNHCR(国難民高等弁務官事務所)の大きな看板。プレハブの事務所に入ると、キャンプ全体の地図が貼ってある。あまりにキャンプが大きいので、どの地域から逃げてきた人々が、どのあたりのテントに住んでいるか、地図が必要なのだ。
キャンプの中へ。ドロドロ道の両サイドに新しいテントが続く。このキャンプにやってきた「新避難民」は、まずはこのテントに住んでから、出身地の村人たちが多く住むテント群に振り分けられていく。その中の一つに入る。靴を脱ぎ、テントの中に敷かれた絨毯を踏む。じわっと靴下に水が染み込む。昨日からの雨で、絨毯が湿っている。天井に穴の空いたテントシート。これでは子どもが風邪を引いてしまう。人々は「毛布と上着が欲しい」と訴える。12月には、この雨が雪に変わる。今回の支援物資を毛布に決定する。
避難民の多くは、イラク中部のティクリートから逃げてきたスンニ派アラブ人だった。ティクリートはフセイン大統領の出身地として有名な都市で、「スンニ三角」を形作っていた要衝の町である。いったい何が起こったのか?
「イラク政府軍とシーア派民兵が町にやってきた。彼らは『スンニ派狩り』というべき大虐殺を行った。そのシーア派主体のイラク軍と戦っている、その隙に…」。ISが町を占領してしまったのである。彼らは「イラク軍とISはつながっている」と訴えた。ユスラさん一家もティクリートの家を奪われ、徒歩で町を逃げ出した。1週間、歩き続けた。大人でも厳しいその逃避行で、7歳の息子が疲労のため亡くなった。遺体は道路脇に埋めた。11ヶ月前に、このキャンプに到着して、テント生活が始まった。現在はスレマニで建設労働の仕事につけたので、生活はなんとかやっていけている。しかし子どもの上着と毛布を買うお金がないので、この冬が恐ろしくて仕方がない。ティクリートに比べて、スレマニは寒いのだ。
ユスラさん一家は、03年から始まったイラク戦争に振り回されてきた、と言える。フセイン時代、確かに政治的な自由はなかったが、家や命まで奪われることはなかった。「イラク人に自由を与える」としてブッシュ大統領が強引にイラク戦争を始めた結果、イラク社会が崩壊し、武器があふれ、簡単に人が死ぬ、ルールなき社会になってしまった。当時バグダッドで聞いた人々の声を思い出す。
「アメリカがイラクに与えてくれた自由は、人を殺しても、誘拐しても捕まらない自由だよ」。あれから12年、イラクの混乱は泥沼の内戦を招き、そしてISが出現するに至った。ブッシュやラムズフェルド、チェイニー、ブレア、小泉首相など、「イラク戦争を開始した人々」は誰もこの責任を取っていない。

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このページは、nishitaniが2015年11月18日 23:31に書いたブログ記事です。

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