もう一つの避難民キャンプへ

11月20日、スレマニは快晴。今日は金曜日で休日なので、町はガラガラ。買い物しようにも何も買えず確かに不便だが、日本のように休日なし24時間オープン、盆も正月も関係なし、では労働者は疲弊する。このように1週間に1回くらいは、店を閉めるべきだと思う。
さて、今日はスレマニ郊外の「アシティキャンプ」へ。アシティとは現地語で「平和」という意味だそうだ。
キャンプへ。青い空に白いテントが広がっている。このキャンプにはクルド人のラジディー教徒、約3000人、スンニ派アラブ人が12000人暮らしていて、キャンプの中に一本、トラックが入れる大きな道があって、この道が「境界」になっている。キャンプの入り口から見て右側がクルド人の居住区。こちら側には、コンクリートブロックとセメントが運び込まれていて、曲がりなりにも床にはコンクリートが打たれ、基礎にブロックが使われたテントなので、雨が降ってもぬかるまないし、強風が来てもそれなりの強度を保つ。コンクリートブロックもセメントも地元スレマニ政府が支給したもの。家自体は避難民のヤジディー教徒たちが作った。一方、キャンプ左側のアラブ人居住区は、ドロドロの地面の上にテントだけが張られている。いったいこれはどういうことか?
スレマニ政府からすれば、ヤジディー教徒は同じクルド人で、ティクリートやモスルから逃げてきた人々は、アラブ人だ。クルドはフセイン時代に大虐殺を経験していて、そのフセイン政権を支えていたのが、スンニ派アラブという構図。もちろん、避難民にすれば、それは政府の話であって、人々はフセイン政府に従っただけで、「弾圧する意思などなかった」のであろうが、現実はこのように「差別待遇」を受けてしまう。フセインによるクルドの弾圧は、過酷かつ大規模だったので、その憎しみの記憶がまだ存在しているのだろう。
ヤジディー教徒の家族に04年9月の出来事を聞く。「アラバットキャンプ」で聞いたものと、ほぼ同じ証言。
男性は虐殺、女性は「戦利品」として略奪。ISによる大虐殺を許すわけにはいかない。だが、ISを空爆したからといってISを根絶やしにはできない。こちらではISへの空爆を支持しつつ、米国も嫌いだ、という人が多い。大国に振り回されてきた歴史があるので、目の前の敵ISも許せないが、米仏ロの空爆も支持しない。それより「俺たちに武器を!」という発想。武器さえあれば、ISを追い出せると、考えている人が多い。
取材していて少し複雑な気分になるが、同じような意見は、シリアのアレッポでもよく聞いた。どちらに転んでも武器商人が儲かる結論になる。
さて明日は、キルクークの最前線に行く。

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このページは、nishitaniが2015年11月22日 16:12に書いたブログ記事です。

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