ガジアンテップ その1

2016年5月10日、無事トルコ南部ガジアンテップに到着。通訳のムスタファが空港まで迎えに来てくれている。実はガジアンテップ空港では一抹の不安があった。それはトルコ秘密警察。昨年、ガジアンテップに降り立った時に、警官が近づいてきて、「どこに行く?何をしに来た」としつこく尋問された。トルコ側からすれば、「外国人の安全確保」なのかもしれないが、下手をすればイスタンブールに送り返す、かのような対応だった。今回、そんな警官の尋問はなし。普通に空港を出る。
ガジアンテップはかなり大きな都市で、街の中心にお城がそびえている。ガジアンテップ城は、この街の人々の誇り。
それはこの街の名前にも表れている。第一次世界大戦でオスマントルコはドイツと組んで敗北する。敗戦後、この街を占領したのがフランス。ケマルアタチェルクの呼びかけに呼応して、市民は対フランス独立戦争に立ち上がる。壮絶な市街戦の末、市民はフランス軍を追い出して独立を勝ち取った。もともとこの街はアンテップという名前だったが、ガジ(戦士)の街として讃えられたので、ガジアンテップとなった。市民蜂起の中心となった場所がお城なのであった。
11日、ガジアンテップの新市街ガジケーンを訪問する。灰色の団地群に雑貨屋さん、携帯電話ショップなどが並ぶ、普通の街並み。そんな団地の一角に入り込む。周囲の団地と違って、ここだけが「スラム風」。団地の一階は、かつて商店だったが、その跡地にシリア難民が居住している。古びたシャッターに数多くの洗濯物。団地のあちこちに所在なさげに大人たちが談笑する。その周囲では子どもたちが遊んでいる。「ここには200家族を超える難民が住んでいる」。通訳ムスタファの説明を受けながら、何家族かインタビュー。アブドラ・ファミールさん(45)はアレッポの出身。2年半前にここに逃げてきた。アサド政府軍と自由シリア軍の戦闘が激しくなり、自宅にも流れ弾が飛び込んでくるようになった。ロケット弾攻撃や空爆も際限なく続く。妻と5人の娘、2人の息子の9人家族。子どもは学校に行っておらず、このままだとアラビア語もトルコ語も読めないし書けない。逃げてきてすぐに赤十字に登録して学校に行けるように申請したが、その後連絡はなく、そのままの状態である。
家賃は月に300リラ(約1万1千円)。それとは別に200リラの光熱水費が必要。今は2人の娘の内職で食いつないでいるが、難民であるアブドラさんが就職するのは大変難しい。
団地の十字路でシシトウを刻んでいるおばさんがいる。アニーサさん(50)もアレッポから逃げてきた。夫は3ヶ月前に空爆で殺された。トマトとシシトウをここで調理して、難民たちと分け合って食べている。このトマトとシシトウは、近所のレストランの食べ残し。その他スーパーで賞味期限切れの物をもらってくる。シシトウを刻みながら、この数年間で激変した自分の人生について語ってくれるアニーサさん。夫も家も失ったアニーサさんであるが、なんとか踏ん張って生きている。前向きな姿に感銘する。
さて、本日(12日)もガジアンテップで難民取材。では行ってきます。

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このページは、nishitaniが2016年5月12日 14:56に書いたブログ記事です。

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