リムさんのこと(ガジアンテップその5)

リムさん(12)、イスマイルくん(10)のきょうだいに出会った時、私は息を飲んだ。眉毛がなく、顔面が引きつり、唇がめくれ上がっている。顔面に大やけどを負ったことが一目でわかる。
2015年2月、アレッポ北部はアサド軍の総攻撃を受けていた。自由シリア軍の兵士だった父親はすでに戦闘で死亡していた。家には母ときょうだいが残っていた。アサド軍のヘリコプターがやってきた。ドーンという爆音とともにドラム缶が落ちてきた。タル爆弾に詰められたガソリンが爆発、家の中は猛烈な炎に包まれた。リムさんの記憶はここで途切れている。外では駆けつけた親族が必死で鉄の門扉をこじ開けようとしていた。アレッポ北部では、ISやアサド軍の襲撃が続いていた。だから万一の時に備えて頑丈な門扉に取り替えていた。逆にそれが仇となった。なかなか門扉が開かないのだ。5分、10分が経過、親族にとっては長すぎる時間だった。ようやく門扉が開き、炎に包まれたきょうだいが救出された。すぐにトルコ・アナダンの「やけど専門救急病院」に搬送された。1ヶ月後、リムさんが目覚めた時、彼女の顔面は焼けただれ、喉には気管切開で大きな穴が空いていた。
一緒に家にいた母と2人の叔父はすでに死亡していた。
孤児になったきょうだいは、アダナの病院からガジアンテップの大学病院に搬送された。数回の手術の後、叔父の借りているアパートにやってきた。
「右耳は焼けてなくなったの。目は見えるけど、まだ手術が必要だと言われたわ」。リムさんは喉の穴に指を置いて喋ってくれる。そうしないと息が漏れて言葉にならないのだ。アサド軍は「アレッポ北部にISがいるので空爆して掃討した」と発表している。実際は自由シリア軍が押さえている地域で、空爆されたのは普通の市民、子どもたちだ。民家へのタル爆弾投下は戦争犯罪であり虐殺である。こんなことが許されていいのだろうか。
アサドはロシアのプーチンに守られて今のところ安泰だ。しかし人々の間に「虐殺の記憶」は残る。彼女のやけどが何よりの証拠。戦争は人を狂わせる。そうならないように外交で解決するのが大統領の仕事だったはず。アサドは世襲で政権を受け継いだ。日本や北朝鮮もそうだが、「権力が世襲で受け継がれる」ことの危うさを感じる。人の痛み、嘆き悲しみを知らない権力者が一番危険だ。リムさんを取材して、絶対にアサドを許してはならないと、改めて感じた。

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このページは、nishitaniが2016年5月15日 02:29に書いたブログ記事です。

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