シャンリウルファ その1

5月15日、早朝より車をチャーターしてシャンリウルファを目指す。国道400号を東へ。トルコは高速道路網がしっかりしているので快調に飛ばす。
ユーフラテス川を越える。この川の下流にはISの首都ラッカがあり、今も戦闘が続くイラクのファルージャへとつながる。
スルチという町への別れに到着。スルチの小高い丘を越えれば、そこはコバニ。ISとの激戦をクルド軍が制して、いまはペシュメルガ(クルド軍)が押さえている。かつてはこの高速道路から黒煙が見えたという。
2時間でシャンリウルファに到着。もともと人口60万人の町が、シリア難民40万人以上の流入で、あちこちに新築ビルが建設中だ。この町は単にウルファと呼ばれている。第一次大戦後、フランスに占領された町を、市民が蜂起して独立を勝ち取った際に、勇敢な市民に対して「シャンリ」と讃えられたので、シャンリウルファとなった。この点はガジアンテップと共通する。
シャンリウルファの歴史は古く、紀元前2千年頃から栄えたと言われ、2世紀にはキリスト教の町として、さらに11世紀には十字軍の拠点都市となった。「元祖キリスト教」の町だが、住民のほとんどはイスラム教徒である。
ハヤーティ・ハーディン地区へ。倉庫や空き店舗が並んでいるが、これらは全て難民たちの住居になっている。10数キロも行けばシリア、それもIS支配のデリゾールやラッカに近く、難民たちはまずはこの町にやってくる。
アリーくん(10)は1年前にここに逃げてきた。早朝4時から夕方6時まで、ゴミを拾う毎日。日曜日だけお休みなので、たまたまここで出会えた。「学校に行きたい?」と尋ねると、首を振る。「お母さんを助けないとダメなので、働かないと」。1日ゴミを拾って、わずか10トルコリラ(約300円)。しかしこれが唯一の収入なのだ。10才の子どもの両手は黒ずみ、何を聞いても笑わない。
シャンリウルファで耳をすますと、戦闘機の音が聞こえる。米軍、トルコ軍がIS支配地域を空爆しているのだ。空爆への対抗としてISは、またどこかでテロを起こすだろう。デリゾールやラッカの人々は、ISの恐怖政治と米軍、トルコ軍の空爆から逃れるために、この町に逃げてくるだろう。アリーくんのような少年がますます増えていく。北風と太陽。人々はいつまで北風に耐えることができるのだろうか?

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このページは、nishitaniが2016年5月16日 13:08に書いたブログ記事です。

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