ドバイ便で出会ったおばあさん

2016年12月20日、関空からのドバイ便。ギリギリに乗り込んだ私の隣に座っていたのは、小柄なおばあさん。私は一人で飛行機に乗るので、隣に座る人も一人旅の人が多い。バックパッカーのお兄さんや出稼ぎに行くイラン人など「濃いめ」の人が多いのだが、今回は全く普通の、いやむしろ海外旅行などしたことなさそうなおばあさん。一人で寂しそうに座っていたのだ。
「どこまで行かれるのですか?」「サンパウロです」。
おばあさんは50年前にブラジルに移住したのだった。
「当時は大変だったのですね。ブラジルへ行けば仕事があると…」「何も食べるものがなかったからね」
おばあさんは沖縄の人だった。8歳の時に終戦、沖縄戦ではガマの中で過ごした。米軍に「保護」されて捕虜収容所で暮らしたが、一番しんどかったのは「食べるものがないこと」だった。
「ブラジル、ドミニカ、ボリビアなどへ行けば食べるものがあるよ」。当時の琉球政府は、南米への移住を奨励していた。移住先がサンパウロになったのはラッキーだった。ボリビアやドミニカの田舎に行った人は荒れ地をあてがわれて、筆舌に尽くしがたい苦労をした後、おばあさんらが移住したサンパウロの村に逃げてきた。そんなウチナーンチュの移住者達とブラジルで生活すること50年。どうしても、死ぬまでに故郷沖縄を見てみたい。
おばあさんは一人で、サンパウロからドバイ、そしてドバイから日本にやってきて、2ヶ月間、故郷沖縄ですごした。そして本日、ドバイまでの便に乗り込んでいたのだった。
「沖縄は変わったわー。いっぱい建物が建ってる」。おばあさんは沖縄の発展ぶりに驚いた。でも変わっていないものもあった。
「オスプレイが落ちたね。知事さんも苦労するわね」。
島民の4人に1人が殺されたと言われる沖縄戦。そして捕虜として収容され、米軍の占領が続いたのち、貧困のために南米への移住を選択。
「戦争がなかったら、普通の人生だったと思います」。ドバイ到着後にポツリと一言。おばあさんは今、ドバイでサンパウロ行きの飛行機を待っている。

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このページは、nishitaniが2016年12月21日 16:51に書いたブログ記事です。

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