2017年9月アーカイブ

イラク北部、クルド自治州の独立への機運が高まり、本日(9月24日)に独立の是非を問う住民投票が行われるようである。おそらく「独立賛成」が圧倒的多数になり、クルド自治政府はイラク中央政府からの独立を本格的に求めていくことになるだろう。
私は2003年に初めてイラク北部のアルビルという町に入ったことがあり、その後14年間にわたって、クルド地区の取材を続けてきた。その個人的な経験から、今回の「独立劇」を分析してみたい。
一番に焦点となるのは、「油田都市キルクーク」をどちらが支配するのか?ということだ。キルクークの帰属問題はサダム=フセイン時代からの揉め事であった。キルクークはもともとクルド人が多数住んでおり、クルドから見れば「我が領土」である。クルドからこのような要望が出てくることをあらかじめ予想していたフセインは、「キルクークのアラブ化計画」を行った。すなわち、南部のシーア派アラブ人をキルクークに移住させて、「アラブ人をマジョリティー(多数派)」にすることで、「キルクークはアラブ(イラク中央)」という主張を成立させていた。背景には、キルクーク油田を支配していたイギリスの石油メジャー企業から、「油田の国有化」に成功したフセインが、多額の油田収入をイラクに還元した(大半は自分と家族のために使ったとも言えるが)ことで、このような乱暴な政策も支持されるという読みがあったのでは、と考えられる。
順風満帆に見えたフセインの統治が、一気に崩れるのが、イラン・イラク戦争である。
1980年フセインはシャットル・アラブ川の国境問題を理由に、イランに攻め込んでいく。イラク・フセインとイラン・ホメイニの壮絶な戦争は8年も続く。
国力はイランの方が上で、イラン優勢に傾いた時期もあったのだが、ここで米国がイラク・フセインを応援する。
なぜか?この当時の「一番の反米国家はイラン」だったからだ。イランのホメイニ革命は、中東のシーア派を勇気づけた。イラクもバーレーンもシーア派が多数派なのに、政治を仕切っていたのはスンニ派だった。サウジでもシーア派住民の蜂起があった。米国が恐れたのは「ホメイニ革命の波及」だった。米国の支援を受けたからこそ、フセインは大国イランと互角の戦いができた。戦争が長引いたおかげで、100万人単位で人々が殺されていった。軍事産業は儲かった。
泥沼のイラン・イラク戦争で二人の独裁者を悩ませたのが「クルド問題」だった。
イラン・イラクに住むクルド人が、戦争の混乱に乗じて「独立!」を求めたのだ。ホメイニはイラク側のクルド人に武器を与えて、「イラク中央を攻撃しろ」とけしかけた。フセインは逆にイラン側のクルド人に武器を与えて、「ホメイニを倒せ」と鼓舞する。バグダッドの中央政府で指揮をとるフセインにすれば、イラク南部のシーア派地域でイランに攻め込まれ、北部のクルド人地域でも蜂起したクルド軍(ペシュメルガ)が南下して自分を倒すかもしれない。あせったフセインは…。
クルド人(自分の支配下の国民だ!)に毒ガス兵器を使用し、大量虐殺していくのである。有名なのが1988年3月ハラブジャの悲劇。独裁者フセインは何十万人ものクルド人を、大量破壊兵器(毒ガス)で殺害し、蜂起を鎮圧したのだ。
この時米国は「大量破壊兵器を使ったにもかかわらず」、フセインを罪に問わなかった。その15年後2003年に、米国は「大量破壊兵器がないのに」、フセインを殺しにいった。
イラン・イラク戦争は実質上の「引き分け」で終わった。周辺国から大量の戦費を借りていたフセインは、原油輸出で負債を返そうとした。その時なぜか隣国ククェートが「原油の叩き売り」を始めて価格を暴落させ、フセインを困らせていく。そして…。
1990年8月、イラクがクェートに侵攻。フセインは一躍「世界の鼻つまみ者」つまり大悪役になり、やがて湾岸戦争につながる。ここでも軍事産業は儲かった。
2006年、故郷ティクリートの穴倉でフセインは米軍に捕まって、裁判にかけられる。そして十分な審理もないまま、「南部のシーア派を虐殺した罪」で死刑に処された。この時、実はクルド人たちから「裁判を継続せよ」という声が噴出していた。「ハラブジャはじめ、クルド人大虐殺問題」を審理せず、この点では罪に問うていなかったからだ。
なぜだろうか? クルド問題に関してフセインが「本当のこと」を裁判で語れば、米国の都合が悪くなるからだ。罪の規模が違うが、あの籠池夫妻が補助金不正受給で逮捕され、アッキーとの本当の関係を語ることができないように、留置されているのと同じだ。
つまりイラク中央政府もクルド自治政府も、本音では「一番罪深いのは米国」と思っているだろう。そんな状況の中で独立を問う住民投票が行われる。
これは非常に危険だ。下手をすればまた戦争になる。両者はどこかで妥協せねばならない。
私案だが、キルクークを含めるクルド自治州を「準国家」に格上げし、イラクを連邦制にする。つまり「イラク・クルド連邦共和国」として、一国二制度を公式に認めるのだ。(今までも非公式だが、実態は一国二制度だった)
肝心なのは油田の取り分。イラク戦争後、米国はイラクをわざと無政府状態にした。その上で石油法を定めて、欧米石油メジャー75、イラク25の分配とした(ナオミ・クラインのショックドクトリンによる)。これを通常の石油法に変えることだ。中東ではどんな弱小国も51%以上は自国の取り分。2016年12月にクルド地域を取材した時のことだ。昨今の原油安でクルドの公務員の給料が半年ほど遅配になっていた。キルクーク油田からの石油収入はいったん、イラク中央政府が吸い上げてからクルド自治州に交付するシステム。これを改めて「イラク中央とクルド自治州で折半」くらいにしないと独立運動は収まらないだろう。そのためにも欧米企業が75もとっていく制度を改めねばならない。
中東問題は複雑でわかりにくい、とよく言われる。私は「わざとわかりにくいようにしている」と見る。そこに石油があり、武器が売れる。だから「誰にも勝たせずに戦争を長引かせ、石油と武器で儲ける」ことが米国の大原則だからだ。

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