2018年9月アーカイブ

エジプトで何が起きたのか?今後のエジプトはどうなっていくのか?15年に偶然出会った一人のエジプシャンが色々と教えてくれました。カイロで観光業を廃業した彼は、おそらく新天地イスタンブールでも厳しい生活を送っているものと思われます。観光は平和でないとダメです。もしかすればモロッコ辺りに居を構えているかもしれませんね。以下、新聞「うずみ火」に書いた原稿です。


2015年の春にトルコ〜シリア国境を訪問し、シリア難民の状況について取材した。当時も今も急増する難民に周辺国は手を焼いていて、ついにトルコ政府が国境に壁を建設、物理的に難民の流入を阻止し始めていた。「イスラエルと同じことをしてる。エルドアンも独裁者になってきたな」。延々と続く壁を撮影しながら、いつ終わるともわからないシリア内戦の被害者に思いをはせる。
取材後、日本への帰路につく。広大な国土を持つトルコ、まずはイスタンブールに飛んで大阪への便を待つ。イスタンブールの旧市街を散歩している時だった。
「ハロー。日本人?どこに行くの?」。アラブ系の中年男性が声をかけてくる。イスタンブールではよくあることで、ガイドをするからチップをくれという輩のようだ。「ガイドはいらないよ。ブラブラしてるだけだよ」。断ったのだが、横に張り付いて話しかけてくる。うっとうしいなー、と感じつつ、強い言葉で断りを入れようとしたら、「俺はエジプトから来てるんだ。イスタンブールは初めて。ガイドじゃないよ」。
聞けば、カイロで旅行業を営んでいたが2011年の「アラブの春」以降、観光客が激減した。ようやく観光客が戻ってきた頃、シナイ半島の有名なリゾート地シャルムエルシェイクでテロが勃発。IS(イスラム国)による悲惨なテロ事件が大体的に報道されるようになって、観光客がまたまた激減。カイロの店をたたむしかなく、同じ観光地のイスタンブールで新たな商売ができるかどうか、視察に来たのだとのこと。
この男性、ムハンマドさんの話に興味を持ったので、しばしエジプトの状況を聞く。
2011年2月、首都カイロのタハリール広場に集まった群衆が、ついに独裁者ムバラク大統領を倒して民衆革命を成功させる。「アラブの春」の結果、政権に就いたのが「ムスリム同胞団」のモルシ大統領だった。
この頃、私はカイロ経由でリビアに入ったので、カイロの状況について思い当たることがある。当時、革命を成功に導いたのは、自由を求める大学生や知識人たちとともに長年弾圧されてきたムスリム同胞団であった。革命の成功に勢いづいた「イスラム過激派」が、少数派のキリスト・コプト教徒を弾圧し始めていた。コプトの教会に火が放たれ、コプトの人々が住む街で小規模な虐殺も起きていた。イスラム教スンニ派の過激集団が、コプト教徒に対し、イスラムへの改宗を迫り、拒否した人々を殺害したのだった。コプト教会やコプト居住区にはエジプト軍が張り付いて、検問を始めていた。この頃、欧米はムスリム同胞団モルシ大統領への非難を始めていた。曰く、民主主義政権ではない。ムスリムを優遇し少数派を差別している…。やがてカイロの町はモルシ派と反モルシ派のデモが繰り返されるようになる。そして…。
7月に軍が治安出動し、政権を制圧。モルシ大統領は逮捕され、権力の座に就いたのがシーシ将軍だった。これは明らかなクーデターだ。ムスリム同胞団に少々行き過ぎのところがあったとしても、モルシ大統領は正当に選挙されたのだ。しかし欧米の(日本も含む)メディアはこの暴挙に対してほぼ沈黙し、シーシが大統領になるまで事態を静観した。
旅行業を営んでいたムハンマドは、民主化を求める一連のデモに参加していた。
彼はムスリム同胞団員ではない。しかしクーデターには大反対だった。シーシはモルシ以上の独裁者で、軍のトップである。こんなことを許せば、せっかく「アラブの春」を成就させたエジプトが、また冬の時代に戻ってしまう。
彼は一連の「クーデター反対市民集会」に参加した。しかしこの手の集会やデモはシーシ大統領によって徹底的に弾圧された。広場で、サッカー場で普通の市民が大量に虐殺されたが、不思議と欧米メディアはシーシの犯罪についてあまり報道しなかった。
私の見方は以下の通り。
1 当初、欧米やイスラエルは「アラブの春」の動きを見守っていた。リビアでは反米のカダフィーを倒すために積極的に空爆し、介入した。しかし親米のバーレーンでは民衆を弾圧するハマド国王の犯罪を見て見ぬ振りをした。
2 中でもエジプトとシリアが厄介だった。エジプトではムスリム同胞団が権力をつかんだ。パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスはもともと「ムスリム同胞団ガザ支部」である。イスラエルにすれば隣国エジプトでムスリム同胞団の政権ができるのは我慢ならない。
3 アラブの春以後、一部のイスラム過激派が台頭している。彼らが起こす騒動に乗じて、民主化を求める市民を弾圧し、欧米・イスラエルの傀儡であるシーシに「反革命」を起こさせ、大統領に据えれば、ムバラク時代よりもエジプトは親米・新イスラエル政権になる。
事態はこのように進んだと思われる。だからラムセス広場で約600人が虐殺されても、アルジャジーラの記者が20人逮捕されても、エジプト関連のニュースは大きく取り上げられなかった。そしてエジプトは今や「有志連合」の中核としてシリアを空爆するまでになっている。安倍首相が「イスラム国への攻撃をする国に2億ドル支援します」と演説したのもエジプトだった。
理不尽な「反革命」を目の当たりにすれば、エジプト人の中で「イスラム国」に合流する人々が出てくる。パレスチナに近いシナイ半島のリゾート地でテロが起きたのは、いわば「必然」だったのかもしれない。。
そんなシナイ半島に自衛隊が派兵されるという。今や自衛隊は集団的自衛権が認められ、駆け付け警護という任務が付与されている。
国連PKO部隊として本格的に合流すれば、自衛隊も攻撃の対象とされるだろう。南スーダンやイラクと同様、現地の状況が隠蔽されたまま、「とりあえず派兵」となる公算が強い。そんなことをする前に、国際社会は「シーシ政権の正統性」を問わねばならない。クーデターを否定し、虐殺事件の真相を明らかにした上で、公正な選挙のやり直しが必要だ。そのような「民主国家として真っ当な手続き」を踏んでエジプトを再生させないと、「イスラム国」にテロの口実を与えるだけだ。シナイ半島への自衛隊派兵は、逆にテロリストを喜ばせる結果を招く。軍隊ではなく、平和的な人道支援を続けることこそ、本来の日本の姿だろう。


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