取材レポート: 2005年11月アーカイブ

今回もアンマンからイラクへ白血病のクスリなどを送ろうとして悪戦苦闘していたのだが、結論として薬を送るのは無理となった。なぜか?
イラク政府が、「人道支援」であってもクスリを受け取ってはいけない、と病院に厳命しているのだ。
今のイラク政府はアメリカの傀儡なので、米政府に「クスリを受け取るな」と命令されたのだろう。つまりこういうことだ。
アメリカは劣化ウラン弾の使用は認めたが、それによるがん患者の急増は認めておらず、「劣化ウラン弾は通常兵器」と開き直っている。だからイラクでがん患者が急増している事を認めたくはない。
よって、クスリは必要ない。だから援助を受け取るな。
連日、アメリカの空爆とイラクか以来政府の攻撃とテロリストの自爆にさらされている、イラクの普通の人々にとっては、「がん患者どころではない」状態だろう。ちょうど東京、大阪大空襲のときに、障害者が「邪魔者扱い」にされていたように。
今のイラクでは、ただ「スンニ派である」という理由だけで人々は殺されている。マスメディアが発表する「本日は何人死亡」という記事は、「メディアが把握しただけ」の数字であって、実際にはその数の数倍は死んでいる。何も爆発だけで死んでいるのではない、銃の撃ちあいで殺されたり、重傷をおって即死は免れたが、病院で死亡するケースも多々ある。
で、今回の援助は「食用油」にした。イラクには「レイションカード」といって生活物資を配給するカードがあるが、こちらの情報によると、中でも「砂糖、米、油」が不足しているらしい。アラブ料理は何でも油でいためたり、直接オイルをかけて食べたりするので、油は欠かせない。
20日に訪れた「ヒマワリの種で作った油」工場から、ファルージャ難民へ向けて「出荷」しようと思う。
問題はやはり治安である。トラック運転手に高額の「輸送料」を支払わねば、誰も行きたがらない。
当たり前だ。私も行きたくはない。で、現在交渉中である。限られた予算でやりくりするが、「アラブの交渉術」になれないといけないな、と思う。
誠実な人ばかりだと信じたいが、時としてだまされたりするので、何とか値切れるとことは値切って、多くの油を、と考えている。

24日から26日まではレバノンのベイルートで過ごした。ベイルートではどういうわけかネット環境が悪く、ブログにアップしようとして1時間ほどかけて書いた原稿が、一瞬にして消えてしまった(泣)。で、アンマンに帰ってからこの日記を書いている。
ベイルートは美しい街だ。地中海に面していて、高くそびえる山々には雪が積もっている。海に面しているので、魚料理が食べられるし(中東では珍しい)、ワインもGOOD!レバノンにはキリスト教徒が多く住んでいるので、レストランで酒が飲める。願ってもない国ではないか。天木さん(元レバノン大使)はいいところに住んでいたんだなぁと実感。
そんな美しいベイルートであるが、その歴史は血に染まっている。
内戦を繰り返してきたので、あちこちのビルには弾痕が残っているし、空爆によるものなのか、爆弾テロなのか、半壊したビルも珍しくない。
ハリリが暗殺された場所へ。この場所は、いわば「レバノン人の追悼場所」のようになっていて、写真を撮りながら祈りをささげる人が訪れる。ハリリ暗殺には諸説ある。シリア政府の犯行だ、いやイスラエルだ、アルカイダかも…と、日本でもそれぞれ自説を展開する人がいるが、現場を見て感じたのは、「これは大規模な計画で、政府レベルの機関による犯行に間違いないだろう」ということ。
ハリリが立ち寄るはずのホテルが丸ごと吹っ飛び、近隣のビルや商店も被害を受けている。
狙った獲物は絶対に殺す、という、明らかに「プロ中のプロ」の仕業。
個人的には、やはり「シリア政府ではないか」と感じる。ブッシュに「悪の枢軸」と名指しされ、国連からは「レバノンからの撤退」を迫られ、ハリリがその圧力をバックにシリアの撤退を迫っていた時期である。シリアのアサド大統領自身が、「言うことを聞かねばハリリを殺す」と宣言していた。シリアは独裁国家なので、アサド大統領を止める人物がいなかったのだろうと感じる。ちょうど今の北朝鮮のように。
北朝鮮との類似点に、「拉致問題」がある。
何しろシリアによると思われる拉致被害者は、少なくとも数百人。イスラエルもレバノン人を拉致していると考えられており、単純化していうと、「キリスト教徒はシリアに」「ムスリムはイスラエル」に拉致されている疑いが強い。この国での内戦はキリスト教徒対ムスリム、いわばイスラエルとシリア(アラブ)の代理戦争の様相を呈していたようで、互いが「調査のため」にそれぞれの兵士を引っ張っていったのだと考えられている。
拉致問題は、私たち日本人にとっても身近な問題である。国連の前でテントを張って息子や娘たちの生還を願う人たちを取材した。その姿は横田夫妻や有本夫妻とダブって見えた。
おそらく、アメリカの次のターゲットはシリアであろう。イランを転覆させるには強大すぎる。シリアはいわゆる「独裁社会主義国家」で、ここを「民主化」すれば巨大なマーケットが、またアメリカの手に落ちる。もちろん、シリアをつぶすことでイスラエルを防衛することになる。
1982年に現イスラエル首相、シャロンによって2000人以上が殺されたパレスティナ難民キャンプを訪れた。入り組んだ路地に建物がひしめきあって建っており、下水や道路が整備されておらず、そこだけが「発展途上国」のようだった。中東諸国の歴史をたどると、結局はパレスティナ問題に行き着く。イギリスとアメリカによる(意図的な?)ボタンの掛け違え、が21世紀になった今も、民衆を苦しめている。

本日から3日間はレバノンのベイルートです。ハリリが暗殺された現場や、シリアとの関係がどうなっているのか、ヒズボラとイスラエルとの戦闘は?パレスティナ難民キャンプは今?シリアに拉致されたレバノン家族の嘆き、などを取材できればいいなぁと思っています。で、以下はアンマンで書いたものです。

11月22日はラディソンSASホテルを訪問した。11月9日、結婚披露宴会場に3人の自爆テロリストが突っ込み、60人以上を殺害したあのホテル現場である。テロリストはザルカゥイの組織を名乗るイラク人で、うち2人は夫婦だった。妻の方は爆弾を身体に巻きつけていたものの、不発に終わり、現在アンマンの治安当局に勾留されている。
ホテルの正面に「テロに屈せず団結して戦おう」という横断幕。その横には犠牲となった60人余の名前が記されている。多くはアラビア語表記だが、3名の中国人だけは英語表記である。
「ワ・サタバカー・ビクラークム・フィ・ヌフーシマ・ダーイマン」(あなた方は永遠に私たちの心の中で生き続けています)とアラビア語で大書された看板。驚いたことに、その看板に千羽鶴がかかっている。日本が大好きなヨルダン人たちが、ヒロシマ・ナガサキから学んだのであろうか。それにしても大きな爆発だ。ホテルと駐車場を区切る植え込みの木までが爆風で倒れている。急いでホテルを改修したようで、周囲には爆風で飛ばされた階段や壁の一部、部屋の枠組みなどがゴミとなって捨てられている。
アルカイダをはじめ、テロリストグループが使用する爆弾は、悲しいことに性能が向上し、多くの人を殺傷できるようになってしまった。街には「テロに屈せず、ヨルダン人は団結しよう」というポスターが張り巡らされている。アンマンが平和であっただけに、人々は大きなショックを受けている。
24日、ヨルダン病院の入院患者を取材。ジアッド(38)はその時、SASホテルで行われている結婚式に参加しようとしていた。一族の長に続いて、ホールから披露宴式場に入ろうとしたその時、白い閃光に続いて爆音がとどろき、体ごと吹き飛ばされた。鉄片や木くず、人肉が「シャワーのように」降ってきた。一族の長が「壁の役割」になって、ジアッドは一命を取りとめた。
「妻は?母親は?」慌てて式場に駆け込み、家族の無事を確認してから、負傷している人々の救助に当たった。人々を助け出しているうちに、力尽きてその場に倒れてしまった。倒れてから、腕や足を骨折して、出血している事に気がついた。救急車でこの病院に運ばれ、昨日、はじめてちょっとだけ歩けるようになった。傍らには新妻がかいがいしく看病している。2人の赤ちゃんが生まれて40日後の出来事だった。

「テロリストがイラク人であったことについてどう思うか?」とたずねたら、「何人でも同じ。無実の人を殺してはいけない。彼らは本当のイスラム教徒ではない。洗脳されているんだ」と答えた後、彼は「日本も標的になるかもしれないよ」と付け加えた。

一昔前なら、人々はこの表題を見て驚くか、ニヤつくか、眉をひそめたことであろう。昨夜、私はアンマンの繁華街にある「ターキーバス」、つまり「正式な」トルコ風呂を経験した。受け付けで「入浴料」を支払い、服を脱いで「マッサージルーム」へ行くと、フィリピンからの出稼ぎ女性が入念に全身をマッサージしてくれる。フィリピン女性が全身マッサージ、と聞くだけで世の男性諸兄は「ムフフ」状態であろう。しかし繰り返し言うが、ここは「正式な」トルコ風呂である。足裏や首のツボ、背中や肩のマッサージで、驚くほどに肩のこりがスッキリ。
マッサージ嬢はフィリッピン出身なので英語OK。いわゆる世間話で生い立ちを聞くと、彼女は9人兄弟の6番目で、5年前からヨルダンに出稼ぎに来ている。フィリッピンでは裕福な家庭のメイドをしていた。単身でアンマンに来たときは、本当に心細かったという。朝10時から夜11時まで働いていて、マッサージ嬢は全てフィリピーナ。この5年間で故郷に帰れたのは1回だけで、休日もろくにもらえないため、ボーイフレンドもおらず、32歳になった今も独身だ。
中東ではこのようなフィリピンや中国、インド、バングラディシュなどからの出稼ぎ者が多い。フィリピン、インドは英語をしゃべるので、仕事をするにもアドバンテージがあるのだろう。
「トルコ風呂」に入浴したのは、通訳のハリルと、ファルージャから逃げてきた建設会社社長のザキー、そして私の3人。ザキーはイラクの富裕層で、お金を持っているがゆえに、身代金目的で、昨年長男を失った。
貧しいがゆえにフィリッピンから出稼ぎに来ているマッサージ嬢が、戦争のために息子を失った社長の肩をもんでいる。
さてどちらが幸福なのだろうか?誰が幸せで誰が不幸せなんて、他人が計れるはずがないが、憲法9条に守られ、戦後の高度成長の中、平和と豊かさの中でに暮らすことのできた私が、一番苦労知らずに育ってきたことだけは確かなようだ。

昨日(11月21日)はもう一つ重要な仕事があった。それはイラクからアンマンへ逃げてきた人へのインタビューだ。イラク南部のシーア派の街、ナジャフ出身のムハンマドさんにインタビュー。彼に「今からイラクに行くかもしれない」といったら、ビックリしていた。危険だといったが、幸運を祈ってくれた。バスラ〜サマワの道が危険だという。主にサマワの自衛隊について尋ね、彼は以下のように答えた。

概してイラク人は日本人が大好きだ。自衛隊も人道支援をしている限りはグッドである。しかしさまざまな問題が出てきている。例えば、自衛隊はジェネレーターを購入してくれた。これはユーフラテス川からの水をくみ上げて、浄水を作るために必要だ。しかしそのジェネレーターはわずか8時間動いただけでストップしている。サマワ政府が、ジェネレーターを動かすためのガソリンを供給しないからだ。政府関係者は汚職にまみれ、人々の生活を改善しようとはしない。彼らサマワ政府の役人たちは、新政権になってからサマワ以外の地域から送り込まれた「よそ者」で、サマワの人々からは信頼されていない。自衛隊はそのサマワ政府の役人としかコンタクトを取らないため、サマワの普通の人々の要望が反映されているわけではない。
加えて、一般のイラク人には受け入れがたい事態が進行している。それは急速な「イスラム化」である。私はシーア派であるが、宗教的な人物ではない。因みに私には4人の姉妹がいるが、2人はスンナ派と結婚し、2人はシーア派と結婚している。フセインの時代(戦前)は、誰もそのことを気にする人はいなかった。
例えば、私は大学に6年通って技術者になったが、学生時代は誰がスンナかシーアかなんて気にしなかった。私たちは「イラク人」だった。戦後、ダーワ党やムクタダ・サドルのグループなどが宗教的に区別していく。クリスチャンでも、ユダヤ教徒でさえ、私たちは区別しなかった。老人が困っていたら、「老人だから」助けていたのだ。
ダーア党、サドルのグループなどは戦前、「アンチ・フセイン」で南部の人々から人気があった。しかし今は尊敬していない。もし来月の選挙でこれらの宗教政党が勝てば、イラク南部はイランに支配されてしまうだろう。イランやサウジのような宗教が支配する国にはしたくない。アメリカは「イラクを自由にする」と言った。しかし結果としてイラクにできた政権が宗教的なものになれば、自由はなくなる。アメリカは「自由」といいながら結局、フセイン時代より不自由な国に作り変えようとしているのだ。

ムハンマドさんは以上のように答えた。
イラクでは治安の回復が一番の問題である。と、同時に「政教分離」の国であり続けなければならない。日本でも小泉首相の靖国参拝が問題になったが、政治の場に宗教が介入してくるとろくなことはないのだ。イラクはかつて中東で一番「政教分離」されていた国だった。女性の社会進出も他国と比べて進んでいたし、教育水準も高かった。フセイン政権の負の部分が強調されがちだが、良かった点もあった。来月の選挙で、人々はどのように判断するだろうか?もちろんフセイン時代のような独裁国家ではダメだ。しかし「イスラム国家」も、窮屈で、多くの人々が望んでいないのも、また現実なのだ。

今日(11月21日)はアンマンの「ヨルダン病院」を訪問した。雨の中、(アンマンは寒い!)病院の受付で取材依頼。エントランスには花束を抱えた小学生の一団が。自爆テロ被害者のお見舞いにやって来ている。その小学生の一団と一緒に、患者の部屋へ。一人の女性がベッドで眠っている。彼女を撮影したかったが、彼女本人へのインタビュー許可は下りなかった。爆発のショックで精神的に不安定で、親族以外の誰ともしゃべることのできない状態であるという。
ベッドのそばで心配そうに立っている男性が、彼女の弟、サーミー(34歳)。彼は結婚式に10分遅れで参加した。急いでホテルに向かっているときに大爆発が起こった。新郎新婦は彼の親族で、18人が殺され、25人が傷ついた。まだ6人が入院している。新郎新婦は生きているが、新郎の両親は死んでしまった。自爆テロリストは、イラクから来た夫婦。一人(妻)は自爆に失敗して生き残っている。
ベッドに眠っているサーミーの姉(40歳)の状況について、かかりつけの医師に聞いた。
自爆テロ直後の様子は?
約60人が運ばれてきた。この病院だけでは手当てできない数なので、他の病院へ回された患者もいる。60人は生きている、死んでいるにかかわらず運ばれてきた。何体かは人間の原型をとどめず、ピース(人体の一部)となってやってきた。バラバラになって頭がない遺体もあった。運ばれてきたときはもうすでに危篤状態で、2人が治療の甲斐なく死んだ。逆に助かって帰宅できた人もいる。サーミーの姉のケースは、首に刺さった爆発の破片が脳に回ってしまった。彼女は左半身不随だ。今はしゃべれない。心の傷でしゃべりたくないようだ。ショックが大きすぎる。私は当日だけで10回の手術をした。13分以内に他の病院からも医療スタッフが集まった。病院の施設も良くて、医師の技術も高かった。
テロリストについてどう感じているか?
全ての人が無実だ。結婚式という幸せの絶頂から地獄に落とされた。人間性のかけらもない。どうして無実の人を狙うのか…。

病院を後にするとき、女子高校生の一団が花束と国旗を持って見舞いに来ていた。先週、アンマンでは約50万人もの人々が、「テロを許すな」というデモをしたそうだ。ザルカウィはそのアンマン出身者である。「アメリカを許さない」という人は、ここアンマンでも多数派だ。人々はイラクやパレスティナにシンパシーを感じている。しかし無差別に人々を殺戮するアルカイダなどのテロリストも許してはならないのは当然である。

11月20日午前11時(現地時間)、ようやくアンマンに到着。空港でハリルと再会。ほとんど寝ていないが、いきなり「植物油工場」を視察。ここでは「ひまわりの種の油」を作っていて、製品はイラクへ輸出される。1990年代、経済制裁で多くのイラク人が死んでいったので、せめて食料だけは輸入できるようにと、国連で「石油と食料の交換決議」が通り、以後、この工場から油が輸出されている。
ハッサン副工場長の話によると、イラクでは「食糧配給カード」がもう6ヶ月も発行されておらず、貧しい人々は食料が手に入りにくい状態にある、とのこと。フセイン政権のときは、曲がりなりにも飢えてはいなかったのだが、新政権になって、どういうわけか人々の命綱である「配給カード」が途絶えだしたのだ。
もちろんヨルダン〜バグダッドの一本道をトラックに積んで運ぶのだが、途中「強盗たちに襲われる危険」が一杯である。ハリルは何度か、そのトラックと一緒にイラク入りをしている。「俺はニンジャだよ。危険をこの鼻でかぎわけるのさ」とハリル。中東では、ニンジャ、サムライ、ゲイシャガールなどはそのまま通じる。
今回の人道支援は、食料と毛布にしよう。家を失った人にとっては、この冬をいかに過ごすか、が火急の課題だ。
ハリル家に到着。奥さんの手料理と熱いシャワーに癒される。ビールを買ってきてもらい、ハリルと乾杯。イスラム圏だが、家の中で酒を飲む人は多い。さすがに外のレストランでおおっぴらには飲めないが、こうして「隠れて」飲むのはオーケーという人が多い。祈りの時間を告げるアザーンが響く。今日はぐっすり寝て、明日から取材だ。

本日(11月20日)午前5時半、ドバイ国際空港に到着。21ドル出せば、インターネットつなぎ放題の店があるので、そこでブログを更新しようとしたが、なぜか私のPCに接続できない。店のPCはネットに接続できるが、肝心のホームページがアラビア語か英語に文字化けするので、店のPCは使えない。ここでブログを更新するのは無理なようだ。
さて、今回の取材はどこまで踏み込むことができるだろうか?昨晩のBBCニュースによると、またもイラクで自爆テロがあり数十人が死亡した模様。バグダッド近辺は危険だろう。バスラルートで入れるかどうか?
アンマンで支援物資の調達と、輸送ルート、輸送車の確保、先日の自爆テロの取材、そうしたことを続けた後に、イラク入りについて判断しよう。
大阪市旭区の中学生が送ってくれたおもちゃも、持っていければと思う。バスラで、原爆アオギリの植樹先を探そう。アオギリについては、ぜひバスラ政府の方とコネクションをつけて、アオギリを植えた周囲を公園にしてもらうなり、ヒロシマとバスラを結ぶモニュメントを作成するなりして、後世に残したいと思う。
いつか、日本の学生たちがバスラを訪れ、アオギリの前でイラクの子どもたちと記念撮影する日が来ることを願う。

今日から中東で2週間を過ごす。関空からドバイまで11時間くらい。ドバイで3時間ほど待って、アンマン着が明日の午前11時頃だ。(日本時間午後5時) ドバイ空港はゴージャスで、働いている人はフィリピン系か、中国系。客は全世界からやってくる。一般的に欧米系の人々はカフェやバーでくつろいでいるが、インド系の人々は、ソファに寝転がっている人が多い。
長時間待つ場合は、20ドル払えば、インターネットつなぎ放題、ビール、つまみ食べ放題の店があるので、そこを利用している。ドバイが中継点になって、アフリカやヨーロッパへ旅立っていく人々を見ていると、ここは「ハブ空港」だな、と感じる。うら寂しい関空から飛んだ先が、繁華街のようなドバイ空港だから、よりいっそう際立つ。関空は失敗だったな、と。
アンマンで数日過ごし、イラク情勢を探る。先日の自爆テロ犠牲者のインタビューを行うつもりだ。幸せの絶頂、結婚式が、一転して葬式になるのだから・・・。実行犯はイラク人だという。イラク人が外国で自爆テロを行うのは大変珍しい。イスラム原理主義者は、イラクでは少数だと思っていたが・・・。
さて明日から「アラビア語と英語の世界」が始まる。今のうちに日本の新聞や雑誌を読み漁っておこう。

アンマンのホテルで同時自爆テロが起こり、多くの人が亡くなった。私は19日からそのアンマンにいく。一昨日、通訳のハリルに電話したら、「無事だ。町は平穏を保っている」とのこと。私はあのような高級ホテルには泊まらないので、もし今週からアンマン入りしていても、おそらく巻き添えにはならなかっただろうと思うが、それでも危険度が増している事は容易に想像できる。「アメリカ寄り」といわれるヨルダンであるが、西にイスラエル、東に(フセイン時代の)イラク、北はシリア(ここもバース党)に囲まれて、石油も出ないヨルダンにとっては「外交」で生き延びるしか手段はなかったのだと感じる。
実際、ヨルダンでは、パレスティナ問題をめぐって、内戦が生じた経験もあり、「戦争に巻き込まれない」知恵、のようなものがいやがおうにも発達していたと思う。
だから政府はアメリカ寄りだが、国民は違う。私がであった人の中では、パレスティナ、イラクにシンパシーを感じている人が圧倒的である。
東南アジアやアフリカなどと比べて、アラブは「実力がある」と感じる。国民生活はそれほど貧しくないし、教育水準も高い。社会的インフラも整っている。テロにあったホテルなどは、日本のそれと変わらない豪華さを誇る。
そんな「平和で繁栄した」アンマンが狙われた事に、ある種の危険性を感じる。同じアラブの国を「イスラム原理主義者」が狙うという構図。イギリスやアメリカの「帝国主義軍隊」ではなく、同じ言葉をしゃべる同じ民族が、同じ「労働者階級」を大量に殺害する。明らかに9.11テロ直後と、状況が変化してきている。
ブッシュの言う「テロとの戦い」がいかに、偽善に満ちたもので、「戦争の口実」に過ぎなかったが、イラク占領の失敗で、証明された。この「テロとの戦い」で、アラブにプレッシャーを加え続けていることが、ますます「自爆テロリスト」を養成する。アメリカは、むしろ「イラク占領を失敗させ」て、アラブを不安定な状態に追い込む政策を取っているようにさえ、感じてしまう。
その「遠大な謀略」にテロリストが乗っかっている、こう考える事はできないだろうか?
サウジが「民主化」されると困るのはアメリカである。膨大な石油利権で、アメリカ共和党政権とサウジ王家は癒着している。クエートもアメリカ・イギリスの支えなくしては、成り立たない国だろう。イラクやシリアを「悪の枢軸」と非難して、叩く。そしてその混乱状態を長引かせる。
米軍なしには安定しない、という「既成事実」が醸成される・・・。
アンマンで、実際に聞き取り調査をしてみようと思う。「普通の」アラブ人が、今、何を感じているかを。

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