取材レポート: 2006年1月アーカイブ

この正月に、シリアのアサド大統領が、レバノンのハリリ元首相暗殺に関わっていたのではないか、という記事が出た。レバノンとシリアの関係については、日本ではあまり知られていないが、中東情勢を知る上で、結構シリアという国の歴史を知ることは重要だ。シリアはイラクとも敵対し、シリアの息のかかったテロリストもイラクに入国してくる。アサドの独裁政治が続いているので、その意味では「問題国家」なのだろう。アメリカはシリアを「悪の枢軸」と決め付けている。イラク戦争が泥沼化しなかったら、次はシリアを空爆したのかもしれない。
いずれにせよ、国連の調査が入っており、今後ますます、アサドは窮地に陥っていくだろう。で、以下は毎日新聞に書いたもの。

レバノン・ベイルートは美しい街だ。前方には青い海、後方には雪を抱いた山々がそびえている。レバノンは中東では珍しく、キリスト教徒が人口の約半数を占める国なので、お酒には寛大。レストランでおおっぴらに赤ワインを楽しめる。私にはとても過ごしやすい国だ。
今年2月、この美しい街ベイルートでハリリ前首相が暗殺された。暗殺現場は現在も立ち入り禁止。大きなホテルが丸ごと吹っ飛び、近隣の商店街も焼け崩れている。暗殺というとゴルゴ13のようなスナイパーの銃撃を想像するが、ハリリの場合はホテルごと吹っ飛ばす大規模なもの。「狙った獲物は確実に殺す」という、明らかなプロの仕業だ。
ハリリ暗殺は隣国シリア政府の関与が噂されており、実際この暗殺事件で国際世論は「シリア非難」に転じ、レバノンを実効支配していたシリア軍が撤退。レバノン情勢は劇的に変化した。
ベイルートの国連前にはテントを張って座り込む集団がいる。テント周囲には数多くのセピア色の写真。「息子たちはいつまでシリアの牢獄につながれねばならないのか」アラビア語の横断幕がかかっている。そう、彼らはシリアによって息子や夫を拉致された被害家族。今年の4月からこのテントで泊り込みを続けている。シリア軍が撤退したので、「言論の自由」が復活したのだ。
ハナ・アフマドさん(56歳)が息子ムスタファ君(当時16歳)の写真を持って座り込んでいる。1980年ムスタファ君らは、友人たちと街頭テレビに熱中していた。イラク対シリアのサッカーが中継されていた。試合は一進一退の好ゲームで、終了直前、イラクが劇的な決勝ゴール。イラクチームのファンだったムスタファ君はテレビの前で万歳と叫んだ。
「シリアが負けて喜んでいる少年たち」を、物陰からシリア秘密警察がチェックしていた。翌日、街頭テレビの前で歓声を上げた少年たち約30人が一斉に行方不明となった。以来息子は還ってこない。25年の月日をじっと耐えて待つ母。その顔には深いしわが刻まれている。
「息子さんは生きているの?」「生きていると信じている。私はね、息子を探しにシリアを旅行したのよ。息子と同じ監獄で過ごした人から、『ムスタファは生きている』という証言を得たわ」「今までは拉致家族は公の場で声を上げることができなかった?」「そう。ハリリが暗殺されてシリアが撤退するまでは。こうして国連の前で毎日『奪還』を訴えているの」。
ハナさんのインタビューをしている間にも、「俺の息子の写真を見てくれ」「私の夫は1978年に…」などと拉致家族がわんさと寄ってくる。そうした家族に「横田めぐみさんを知っているか?」と尋ねた。ほとんどの人が首を振ったが、中には「聞いたことがある、北朝鮮だろ」という人も。何しろシリア、イスラエルの犯行と考えられるレバノン人行方不明者は、千人単位だと言われており、こちらでは「石を投げると拉致家族に当たる」という状態。はるか日本の拉致被害者の情報はあまり入っていないようだ。
レバノンは南にイスラエル、北にシリア。国内はキリスト教徒とイスラム教徒が約半分ずつ。長年続いたレバノン内戦は、イスラエル対シリアの代理戦争の様相を呈し、その過程で、キリスト教徒はシリアに、ムスリムはイスラエルに拉致されていった可能性が高い。
ベイルートにはまたイスラエルによって2千人以上が虐殺されたパレスティナ難民キャンプがある。入り組んだ路地に建物がひしめきあって建っており、下水や道路が整備されておらず、そこだけが「発展途上国」のようだった。レバノン内戦の引き金も、やはりパレスティナ問題だ。中東諸国の歴史をたどると、結局はパレスティナ問題に行き着く。

実は、シリアもアメリカにとっては重要な国だ。イラクからの石油はシリアを通って地中海につながる。このパイプラインの敷設をめぐって利権が絡む。
ここでも、「オイル」が隠れたキーワードだ。

バグダッド空港を警備していたのは米兵ではなく、ネパール人とフィジー人であった。危険箇所はPMC(民間警備会社)が守っている。戦争が民営化されているのだ。そのあたりのことを毎日新聞に書いたので、それを紹介したい。

みなさんに質問を一つ。イラクに駐留する軍隊の中で最大の部隊は米軍。その数10数万人程度といわれている。では次に大きな部隊は?イギリス軍?韓国軍?自衛隊?
正解は、イラク全土に2〜3万人はいると言われる「傭兵たち」だ。
齊藤昭彦さんがイラクで殺害された。彼の所属する会社は「ハートセキュリティー社」。こうした会社は英語でPMCと呼ばれている。Pはプライベート(民間)、Mはミリタリー(軍事)、Cはカンパニー(会社)で、つまり民間軍事会社である。
世界に300社はあるといわれる民間軍事会社であるが、ほとんどは子会社、つまり親会社の系列に組み込まれている。例えばサウジアラビア駐留米軍の軍事訓練などを担当しているのはビンネルといって、その親会社はカーライルグループである。このカーライルは「世界中の大金持ちが利潤を求めて儲かる企業に投資する」という会社で、その役員は父ブッシュだ。つまりブッシュ大統領が戦争を始める→戦争が民営化される→父ブッシュが大もうけする、といった構図。
このカーライルには世界でもっとも裕福な国の一つ、サウジアラビアの大金持ちも出資している。サウジの大金持ちの名は「ビンラディン」という。つまりこういうことになる。「ブッシュ一族とビンラディン一族は、9.11テロの前から、同じ会社の役員と大株主だった」。「テロとの戦い」「正義の戦争」の裏側は金にまみれている。
ハリバートンという石油関連会社がある。この会社もやはり民間軍事会社を持っている。KBRという子会社で、イラク戦争における米軍への給食サービスや油田の消火などを行っている。ハリバートンの元役員はチェイニー副大統領である。いったいチェイニー副大統領はイラク戦争を強引に推し進めたことで、どれくらいのお金を手にしただろうか…。
バグダッド空港2階ロビー。黒人の傭兵がもっとも危険な場所を警備している。声をかけてみた。「どこから来たの?」「フィジーだよ」「フィジーって、あの太平洋の?」「そう。この空港を警備してもう8ヶ月さ」「空港の前は?」「モスル(イラク北部の町)にいた。あそこはひどかったよ。ミサイルは飛んでくるし、道路には仕掛け爆弾。同僚が亡くなった。ここかい?空港の中は安全だが、ここまで来る道中が危険だね」。
あまりにもたくさんの米兵が殺されていくので、危険な場所は「傭兵たち」が警備している。イラクには大量破壊兵器はなかった。ブッシュ大統領の「先制攻撃」で、たくさんの罪なき人々が殺された。た結果、ブッシュ大統領に関係する人々が大儲けした。殺された人の命は戻らない。そして今、イラクで殺し合いをしているのは、貧しい国からやってきた傭兵と、石油と仕事を奪われた貧しいイラク人である。こんな「不正義な戦争」に協力してはならない、と感じる。

以上が記事の内容だ。この記事では触れなかったが、もう一つの「黒幕企業」がある。それはベクテルという世界最大のゼネコンで、イラク戦争後の復興事業受注率ナンバーワンの「死の商人」である。ベクテルの元役員はシュルツ。レーガン時代の国務長官だった男である。ベクテルは神戸空港や関空の工事にも絡んできている。ブッシュやチェイニーを操っているのは、このあたりの「軍産複合体」なのかもしれない。

結論から言うと、私は今回の中東訪問で、イラク入国を果たすことはできなかった。「外務省の壁」を感じた旅であったが、バグダッド空港まで入った事は収穫だった。そのあたりをやはり毎日新聞に書いたので、まずその記事を紹介したい。

今回の旅で私が最も訪れたかった街は、イラク南部の都市バスラとサマワだった。バスラは湾岸戦争、そして今回のイラク戦争と2度にわたって大量の劣化ウラン弾が使われたところ。ウラニウムの残存放射線や化学毒性によると思われるがん患者であふれる街である。私には「バスラに原爆アオギリを植樹する」という夢がある。原爆投下で焼け野原になったヒロシマ。そんな中で、けなげにも生き残った原爆アオギリの苗木を、バスラに植樹する。そのアオギリを中心に平和公園を作り、2度と戦争を起こさないという誓いの碑を建てる…。イラクと日本、ともにアメリカの空爆で攻撃され、ヒバクシャが苦しんでいる、そんな両国の「平和の架け橋」を作りたいのだ。こうした「平和メッセージ」をバスラの有力者に送ったところ、「大歓迎する」というメッセージが返ってきて、彼らがバスラ空港で私を待ってくれることになった。彼らと一緒なら私の安全度も飛躍的にアップする。これはもう何としてもバスラ入りしなければならない。
アンマンの空港でバグダッド便に乗り込む。バグダッドでバスラ便に乗り継げば入国できる。期待と恐怖が入り混じった興奮を、森山直太朗の「さくら」で落ち着かせる。iPODは一人旅には必需品だ。眼下には広大な砂漠。やがてユーフラテスの大河が現れる。砂漠を貫く大河の周囲だけが緑色。そして人間の住む街が大河にへばりつく。ここはメソポタミア文明発祥の地。
「ファルージャだ」通訳のハリルがつぶやく。「見ろ、人も車も通っていない。壊滅状態だ」。
灰色の街…アメリカの集中攻撃によって、虐殺され、焼き尽くされたファルージャをカメラに収める。
飛行機はバグダッド空港を旋回する。普通に着陸すれば武装勢力のミサイル攻撃にあうので、上空から「きりもみ着陸」するのだ。1回、2回…合計7回回転した。回転しながら外の景色を撮影する。空港とアブグレイブ刑務所の中間点あたりで煙がもうもうと上がっている。「自爆だな」とハリル。
空港の一階ロビー。「かばんの中を見せろ」とアジア系の兵士。「中国人か?」と聞いてきたので「日本人だ」と答えると、「俺はネパールから来た」と言う。彼は「民間軍事会社」に雇われた傭兵である。バグダッド空港は危険で、あまりにも米兵が殺されていくため、このような「金で雇った兵隊」が守っている。
バスラへの乗り継ぎ便カウンターの手前で、イラク政府役人が立ちはだかった。「日本人はイラクに入らせない」と言う。「なぜだ?」「日本政府からの命令だ」「俺たちはバスラに行く。バスラでは有力者が待っている。ほら、招待状もある」。ハリルと私が猛抗議している間に「ドッカーン」という爆発音。後で聞いたらこの日には空港周辺で2回爆発があり、14人が殺されたという。こんな事が連日続くイラクであるが、日本ではニュースにすらならない。
イラク政府役人と私たちの交渉は続く。彼は何度も「エクセプトジャパン」(日本だけが例外だ)を繰り返す。カナダやドイツのジャーナリストたちが入国していくのを横目に、「日本だけが例外」という厳しい現実に直面。外務省のいう「邦人保護」のため、結局私はパスポートを取り上げられ、アンマンへ「強制送還」されてしまった。確かに今のイラクは危険だ。それこそ「自己責任」で行かねばならない。しかし日本政府がここまでして日本人の入国を阻止する目的は?それは「本当のサマワ」を見られるのがいやなのではないのか、とついかんぐってしまうのだ。

で、広島市からアオギリの苗木を受け取ることになった。秋葉市長が熱心な核廃絶論者で平和主義者なので、ぜひ市長のメッセージを添えて、バスラとサマワに植えたいと思う。「軍隊ではない人道支援」の象徴として。

みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年早々「重い話題」で恐縮ですが、今年は「ツワイサ」から始めます。

バグダッド南方、30キロほどのところにツワイサ核施設がある。湾岸戦争後、ツワイサは国連安保理の管理となったが、今回のイラク戦争後の混乱の中で、徹底的に荒らされ、厳重に保管すべきウラン物質が、川に流されてしまった。占領軍であるアメリカは、「わざと」混乱に拍車をかけたようで、人々が暴徒化し、銀行やメソポタミア遺跡などを荒らしまわった時、厳重に警備するどころか、「自由に取れ」と警備せずに「開放」したようだ。
つまりアメリカ軍が「きちんと占領」しておれば、ツワイサの悲劇は防げたはずだ。(複数のバグダッド在住のイラク人の証言による)以下は毎日新聞に書いたものである。

バグダッドの南方、車で1時間くらい走ったところに「ツワイサ核施設」がある。1980年代、独裁者フセインはここで核兵器を作ろうとしていた。イランイラク戦争のさなか、「親米」のフセインにアメリカ、フランスなど西側諸国からさまざまな武器が流れ込み、イラクの軍事力が急速に増強されていく。「イラクが核を持つかもしれない」とあせったイスラエルは、このツワイサ核施設を爆撃した。1981年のことだ。やがてフセインは「クゥエート侵略」という暴走を始める。この時点でフセインは「悪の枢軸」に祭り上げられ、世界は湾岸戦争に突入。湾岸戦争後、ツワイサは国連安保理の管理下におかれる。施設内にはいくつもの監視カメラがあり、警備は厳重。その映像は瞬時にニューヨークの国連本部へ送られていた。
そんな「最重要警備施設」であったツワイサが、今回のイラク戦争でめちゃくちゃに荒らされる。2003年4月9日〜11日、フセイン体制の崩壊で、イラク全土が「無法地帯」になる。ツワイサに盗賊団が忍び込み、ウランの粉が一杯詰まったコンテナーをひっくり返していく。イエローケーキと呼ばれるウランの塊は、ツワイサに流れるディヤル川に捨てられた。そしてこのディヤル川はチグリスの大河につながっている…。
写真の赤ちゃんは、2年前にツワイサを訪れた時に撮影したもの。背中に大きな腫瘍を持って生まれてきたこの赤ちゃんは、生後ずっと泣き続け、一度も仰向けになって眠ることなく、わずか5ヶ月でその生涯を閉じた。
アンマンに逃げてきたがん治療の専門医師に、最近のツワイサのことを尋ねた。彼はイラク新政府に無断でイラクを脱出してきたため、写真による顔出しはNGだが、証言を新聞に掲載することは許可してくれた。
「ツワイサは最悪の状態だ。周辺の村は、いまだにディヤル川からの水を飲んでいる。家畜の牛や羊に奇形が現れている。この写真のような子どももたくさん生まれている。私たちが治療に当たってきたが、抗がん剤の不足で、バタバタと死んでいるのが現状だ。周囲の村は貧しくて、引越しすることもできず、きれいな水も配給されていない。ウランは確実に人体に蓄積されている。14歳までの子どもが特に危ない。イラクから連れ出すことができれば治療は可能だ」。
本来なら一刻も早く、国連の調査団を派遣し、NGOなどが人道支援をしなければならないのだが、ツワイサには国連も、支援団体も入ることができない。なぜか?
アメリカは劣化ウラン弾を使用したことは認めているが、このような環境破壊があったことは認めていない。もしイラク全土が戦争によって取り返しのつかないような被害が出ていることがばれてしまえば、アメリカにとって都合が悪い。さらに今のイラク政府はアメリカの言いなり。かくしてイラクの子どもたちに抗がん剤は届かない。アンマンから薬を送っても途中で没収されてしまう。イラク政府の役人の懐に入って、ブラックマーケットに流されるのがオチだ、という。それで今回の支援は「食用油」にした。今不足しているのが「水、電気、米、砂糖、油」だというのだ。これから寒い冬を迎えるので、油は食用にも暖房にも使えるだろう。アンマンからトラック4台でバグダッドへ運んでもらうことにした。途中の「アリババ街道」が非常に危険なので、運転手たちには十分注意するようにお願いした。「イラクの子どもを救う会」へ募金いただいたみなさん、紙面を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

で、今のツワイサの状況を知りたいのだが、ツワイサ周辺は今や最も危険な地域の一つ。なかなか取材に入れる環境ではない。村人たちにどのような被害が出ているのだろうか?放射線はどれくらいのレベルなのか?デイヤル、チグリス川の汚染状況は?人々、特に14歳までの子どもにどのような症状が出ているか?こうしたことを調べて映像に残すべきだと思うが、果たしていつになれば入国できて、ツワイサに入れるのだろうか?こうしたことこそドキュメンタリー番組にして、広く知らせるべきだと思うのだが…。

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