取材レポート: 2006年7月アーカイブ

ベイルートは美しい街だった。目前には地中海。背後には雪を抱いたレバノン山脈。中東では珍しくキリスト教徒が多い国なので、レストランで堂々とビールやワインが飲めるのがうれしかった。アンマンからの深夜便でベイルート国際空港に降り立つとき、しばし、漆黒の海とネオンのコントラストに、見とれてしまったほどだ。
その国際空港がイスラエルに爆破され、ベイルートは戦火に包まれてしまった。ヒズボラのイスラエル兵士拉致問題に端を発した、この「一方的な空爆」は、イスラエルがかねてからレバノンを狙っていた、シナリオ通りの行動だと思う。
ヒズボラのロケットがイスラエルに命中し、イスラエル兵も何人か死んでいる、と報道されているが、大雑把に言うと、イスラエル人1人死ぬのに対し、レバノン人は10人、それも民間人が多く含まれていて、圧倒的な火力の差による、「一方的な空爆」であることは明らかだ。
そして現在アメリカは拒否権を発動し、イスラエルを擁護している。アラブ人たちは、連日このニュースをどんな気持ちで見ているのだろうか・・・。
たまたまなのか、小泉首相は、イスラエルとアラブの関係が極度に緊張している時期に、イスラエルを訪問し、エルサレムの嘆きの壁で、キッパ帽をかぶりユダヤ式に「嘆いてみせた」という。
なんというアホな首相か!イスラエルが空爆でアラブの民間人を殺しているときに、嘆きの壁で嘆いてみせるとは・・・。エルサレムの嘆きの壁は、世界中からの観光客でごった返しているが、じつは壁の前で嘆くユダヤ教徒はごくわずかである。人々はその嘆いているユダヤ教徒を遠巻きにして見物、壁を前に記念撮影し、「あーエルサレムに来たのね」と満足して帰っていくところなのだ。
ユダヤ教徒でもない首相が、ユダヤの黒装束で、ユダヤ式に嘆いてみせる・・・。お前は高校の修学旅行気分か!と、突っ込みたくなる。いっそのこと国会に嘆きの壁を作って、「こんな首相を選んでしまった日本人の責任」をみんなで嘆いてみたらどうだろう。
アラブ人たちは日本のことが好きだった。しかしこの首相の行動を見て、幻滅した人はおそらく数知れず。
靖国参拝もしかり。不必要なことをあえてやらかして、相手を刺激、激怒させる。「9月の任期切れまでじっとしておれ」と、叫びたくなるが、次は安部になりそうだ。安部は小泉と同等、あるいはそれ以上に「世界を知らない」ようだ。この国は世界の笑いものになろうとしているのだろうか・・・。

5月19日にイラクより帰国し、6月18日までイサームと一緒に各地を講演して歩いていたため、5月6月はあっという間だった。少し余裕が出てきたので、5月のイラク入りについて、まとめたものを掲載したい。
以下は、毎日新聞に書いたもの。
イラクの首都バグダッドやその周辺では、連日100人単位で人が殺されている。アメリカの空爆、アルカイダ系の自爆テロ、シーア派によるスンニ派の殺害、そしてその報復…。
そんな戦争状態のイラクに入国するのは大変危険だ。日本人である私は目立つ存在であり、すぐに拉致の対象となるだろう。万一身柄を拘束されるなんてことになれば、死の恐怖とともに、私や家族の上に「自己責任」がのしかかってくるのは明白だ。
危険性は重々わかっているつもりであるが、今回はなんとしてもイラクに入国したかった。アメリカ軍が使用した「劣化ウラン弾」による被害をこの目で確認したかったからだ。前回はバグダッド空港で「寸止め」され、ヨルダンのアンマンまで「強制送還」されるという苦い経験があるから、空路で入るのは駄目だとわかっていた。空港ではイラク政府が網を張っていて「日本人は入国させない」方針。ではどうすれば…。
06年5月10日、私はトルコ〜イラク国境までたどりついた。「名前は?」「職業は?」私だけが別室に連れていかれ、トルコ軍兵士の尋問。「なぜ私だけ?」と質問すると、「お前が拉致されたときのための証拠記録だ」と、物騒なことを言う。国境は川になっていて小さな橋を渡ると、もうそこはイラク。イラク側では「クルド愛国者同盟」(PUK)のジープが待っている。運転手と護衛2人。手にはカラシニコフ銃がしっかりと握られている。
クルド人は世界最大の少数民族で、トルコやイラク、イランなどにまたがって住んでいる。
イラクにすむクルド人に対して、サダムフセインは過酷な弾圧を加えた。とりわけ88年2月から始まったアンファール作戦という大虐殺で、10万人以上のクルド人が殺され、現在もなお難民となって避難している人は多数。一方トルコ政府はどうかというと、クルド語を禁止するだけではなく、クルド人のことを「山岳トルコ人」と呼び、存在すら認めないという態度。
dara.JPG今回の旅はそのクルド人たちに守ってもらった。国境から目的地スレイマニア市まで車を飛ばす。道幅の広い国道は、自警団による検問があったりするので非常に危険。検問で拉致収監されないとは限らない。できるだけわき道にそれながら進む。といっても見渡す限りの平原に出てしまうと、逃げようがない。何か所か簡単な検問があったが、護衛メンバーがPUK幹部の身分証明書を持っているので、幸いにもトラブルなく通過。本来なら3時間程度で着く道のりを、8時間もかけてようやくスレイマニア市に到着。
スレイマニアがん病院へ。写真の子どもは9歳のダーラ君。重症のリンパ腺がんで、2週間前に手術を行い、2kgもある腫瘍を取り除いたばかり。彼はキルクークという石油で有名な町の出身。キルクークはアメリカ軍による激しい空爆が行われたところで、「劣化ウラン弾によるものに間違いないだろう」とは手術に当たったシュワーン医師の言葉。
白血病の子どもアラント君はハラブジャの出身。ハラブジャは88年3月に、フセインによってサリンガスなどの化学兵器が撃ち込まれた町で、その後遺症に悩まされる人が後を絶たない。「この病院にやってくるのはキルクークかハラブジャ出身者ばかり。劣化ウラン弾か化学兵器か。薬が足らないので手遅れになるケースがほとんどだ。そうだな、生存確率は10%くらいではないか」シュワーン医師が怒りを込めて訴える。
アメリカが投下した劣化ウラン弾、そしてフセインの化学兵器。どちらも大量破壊兵器である。放射性物質も化学毒性も、その被害は後世にまたがって広がっていく。
「人々は汚染された農作物を食べている。とりわけ子どもに被害が集中するのだ」。シュワーン医師の言葉を聞きながら、ヒバクシャとミナマタを思い出す。

毎日の連載は、隔週土曜日。特にサマワからの陸自撤退、空自の活動強化が、この夏に行われる見込みなので、最新情報で書きたいと思っている。

昨日に続いて、イサームの手紙から

遺体安置所の一日
バグダッドのバブ・アル・ムアサーニはバグダッド中心部にほど近いところにある、中央遺体安置所。その中には3つの冷凍安置室がある。
アメリカの占領が始まる前の2003年には、そこには2〜3の解剖のための遺体が安置されるだけの、世界中の遺体安置所と同じようなところだった。そしてそこにはたった2人の医者と解剖のために働く2人の労働者がいるだけだった。しかし今や占領下で、アルジャファリ首相と、バクル内相の支配の下で、この安置所は有名になった。民兵が、死の旅団が、イラク警察が、アメリカ軍が、とりわけ2月22日のサマッラでの黄金のドーム爆破後、バグダッドのいたる所で殺人を犯すので、ここが有名になったのだ。
死体の多くには拷問のあとが見られる。打撃、電気ショック、硝酸、ドリルの穴、その他恐ろしい方法…。
今やバグダッドで警察に捕まるということは、彼の死体が、何日か後にバグダッドの通りのどこかで発見されるということである。あるイラク人が遺体安置所に遺体があふれているという話をしてくれたが「名前は出さないでくれ」と頼まれた。
この話を取材するため、私たちはバグダッド中央遺体安置所を訪れた。
安置所に近づいたとき、30メートルも向こうから遺体の死のにおいがしてくる。多くの遺体があるのだなと感じた。多くのイラク人がいて、悲しみを訴え、遺体安置所のそばで泣きながら何かを待っているのだった。その中の一人に「何があったのか」インタビューした。
「ここにやってくる人は全て、息子を、父や母を、友人たちを探しに来るのです。彼らは警官の制服を着た民兵に逮捕され、数日前に行方不明になった人たちです。今やイラクでは制服を着た民兵に逮捕されることは、遺体安置所送りを意味するからです。

失った人々を見つけることができたのか?
「何人かの行方不明者が遺体安置所で見つかりました。何人かはまだ見つかっていません。彼らは遺体を待っているのです。なぜならイラク警察は毎日、何回も遺体をここへ運んでくるからです。私が遺体を運んでいるとき、武装した2台の警察の車がやってきました。人々はその車に向かって走り出し、遺体の山から自分の息子の姿を探し始めるのです。(それはとても悲しい光景で、この戦争でイラクは大変難しい状態になっていることを示すものだ)
この混乱の中で、一人の男が「これは私の息子だ」と叫びながら銃をぶっ放しました。息子は拷問され殺されていたのです。「俺は息子を永遠に失ってしまった」彼は言いました。
周囲にいた人々も泣きました。その息子の片目がころげ落ちました。人々は彼にお悔やみをいい、私は涙をこらえることができませんでした。
息子さんの遺体には多くの穴が開いていました。中にはボルトやドリルで開けられたものもありました。安置所に遺体を置いてから、父の名前がアリーであること、そしていくつかの質問をしました。

誰が息子を殺したのか?
「わからない。息子は店員で、ラシード通りに店があり、3日前に警官に逮捕され、今、殺されたことがわかった」

なぜ息子さんが殺されたのか?
「彼がスンニ派だからだ。警官も民兵も同じだ。理由もなく、バグダッドでスンニ派を殺している」
息子さんは警察に追われていたのか?
「いいえ。息子は友人たちの仲もよく社交的だった。みんなから愛され、まったくの無実だ。何も悪いことをしていない。アリーさんはついに泣き出し、もうこれ以上質問できなくなった。

このインタビューを通して、日本のみなさんにも息子を失った父の悲しみが伝わったことだろう。
遺体安置所の中に入って、人々にインタビューをしようと試みたが、ジャーナリストには許可が下りず、安置所の中で何が起こっているのか取材できなかった。
安置所の中で働いているアデルというエジプト人が、「できるだけすばやくここを離れろ」とアドバイスしてくれた。この2〜3ヶ月で、死の旅団によって7000人以上のイラク人が殺され、遺体の多くは両手を後ろで縛られていた、と証言したファイク・バクルというここの管理人が死の脅迫状を受け取ったとのことだ。
私は遺体安置所を離れ、内部の事情を知っている人を探した。ラマダンという警備員を見つけ、質問した。
毎日何体くらいの遺体が運ばれてくるのか?
「先週は一日に100体以上、アル・タジというバグダッド北方60キロの町から運んできた。一日に20〜30体の日もある。平均では50〜60体くらいか。その95%が民兵か死の旅団に殺された人々だ。この場所は悲劇の場所だ。いつかここを離れ、違う仕事につきたい。」

遺体安置所に入ったことはあるか?
「はい。遺体を運び込むのを手伝うために何回も」

遺体はスンニ派かシーア派か?
「両方だ。この戦争は内戦をあおるためにやっているからだ」

どのようにして、両派を見分けたのか?
「遺族が遺体を受け取りに来るときに遺族に会ったからだ」
これが私の最新インタビューだ。たくさんの悲劇がある。私は、冷血に、理由もなく殺されていく人々を前に、悲しむだけで何もできない。
最後に、この遺体安置所で働く医師カイス・ハッサンが、衛星テレビで証言したことを書き留めたい。
バグダッド中央遺体安置所 受け取り遺体数
1068体  2006年1月
1110体       2月
1294体       3月
1115体       4月
そしてフセインの時代には、私たちは平均で1日に7から10の遺体を受け取るだけだった。

イサームがバグダッドに帰り、早速手紙を送ってきた。一言で言ってバグダッドは最悪だ。緊張続くバグダッドからのレポートを紹介する。

親愛なる友人たちへ
私は4日前にバグダッドの家に帰った。しかし私が見たバグダッドは40日前とは大違いだった。(イサームは来日していたので家に戻るのは40日ぶり)状況はさらに悪くなる一方だ。外出禁止令は毎日夜の9時から朝の6時まで。そしてバグダッドのいたるところで検問所。その検問所のほとんどには「民兵」が。民兵たちは人々を逮捕し、そして殺している。殺人はいたるところで毎日のように行われ、私たちには通りに放置された遺体が目に入る。
検問書では、IDカードの提示を求められ、もしスンニ派であることがばれてしまうと、逮捕され、そして後に殺されるのだ!あぁ、なんということ!!
通りを通行するのは本当に難しくなった。
3日前、日本へ通信しようとネットカフェを求めてそしてついに本日1軒のカフェが開いているのを見つけた。治安がまったくないし、一日に1、2時間しか通電しないバグダッドで、さらに灯油がなく自家発電も作動しない。そんな状態なのでネットが使えない。
イラク人はカメラに対しても神経質になっている。住民の顔には悲しさが見える。この状態にみんな悲観している。
昨日、アデル・アル・モサワニという、バグダッド中央死体安置所の所長が、「この6ヶ月間で6000体もの遺体を受け取った」と証言。どれだけたくさんのイラク人が殺されているか想像できるでしょう?以下は、バグダッド遺体安置所について、私が日本へ行く前に書いた最新レポートである。
問題は、いまや遺族が遺体安置所に行けないことである。そこには民兵がいて、遺体を受け取りに来た人を殺しているのだ。
私たちジャーナリストにとって大変恐ろしい状況だ。この状況を見せるためにビデオテープを回したいが、どうすればいいのか?
しかし、私はやらねばならない。平和のために、たとえ命を賭けてもこの仕事を続けなければならない。
尊敬すべき皆様方へ。
イサーム・ラシード

イサームの無事を祈るばかりだ。

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