取材レポート: 2007年4月アーカイブ

イラク中南部、ヒッラ市に住むハッサンからメールが届いた。ジャーナリストは命を狙われており、武装集団に、捕まってしまったのだ。マフムディーヤという橋田さんが殺害されたところで拉致された。彼は現在アンマンにいる。しばらくはイラクに戻れないだろう。以下、メールの内容。
dear mr Nishitani ,
thanks for your attention,and your help,I could
survive finally after 3 weekd of the kidnappeng that
happened when I was invited to the press conference in
baghdad and I surprised when a facked check point has
made while I was sitting in the mini bus and they took
me covering thier faces ,holding machine guns ,they
looked at our faces asking me and another man to get
off the car and then they took us to unknown place
after they covered our eyes and hit our bodies by
their guns strongly

西谷さん、私への関心と救済に感謝します。バグダッドで開かれる
記者会見に参加しようと、バグダッドへ向かっている途中で、拉致され、
3週間後に、釈放された。
私の乗ったミニバスが、ニセの検問所を通るとき、事件は起こった。
目出し帽をかぶりマシンガンを持った男たちが、乗客の顔を見ながら
私ともう一人の男をバスから降りろと命じた。
そして私たちは見知らぬ場所に連れて行かれ、目隠しをされて、銃で
思いっきり殴られた。

,at that place (between hilla and
mahmoodiya),their were some iraqi police check points
about 200-300 meters but they didnt move to aid us
,any way we spent about 3 weeks with only 2 pieces of
bread with union and some time one tomatoes
,unbelievable I could survive,they told me that every
day we will kill you tomorrow and I said to my self im
dead especailly they said that we hate the journalists
and the journalists are our targets ,I think they dont
want any one to tell the truth to the people and
reveal the disaster of iraq,they want the disorder and
the violence every where ,they dont want peace .
その場所の、(ヒッラとマフムディーヤの間)、200メートル
300メートル先には警察官がいた。しかし彼らは助けてくれなかった。
とにかく、我々は3週間を、玉ねぎと2切れのパン、時には
1個のトマトで過ごした。信じられないが、私は生き残った。
彼らは毎日、私に「明日、お前を殺してやる」と言った。
自分自身も死ぬかもしれないと思った。彼らは「ジャーナリストは
嫌いだ。ジャーナリストはターゲットにする」と言った。
彼らはジャーナリストが、イラクの悲惨な状態を暴露するのを
嫌っている。彼らはイラクを無秩序のまま、暴力状態に置いておきたいのだ。
彼らは平和を嫌っている。

one day when I lost the hope at all I tried to
convince on of the kidnappers to set me free because I
did not do any thing wrong to the iraqis,he listened
to me carefully but he said it depends of the other
two partners of the gangs,
one I could see the face of the person who hit us too
much and he said he will kill me if look to his face
again.
私が希望をなくしたある日、私を解放するように拉致犯人のうちの
一人を説得しようとした。私がイラクに対し、何も間違ったことを
していないので、彼は、注意深く私の主張を聞いてくれたのだ。
彼は、残りの二人の判断次第だと言った。
その内の一人は、私が彼の顔を見た時に、一番ひどく私を殴り、もう一度
顔を見たら殺すと私に言ったヤツだ。

in the third week ,I heared the sound of the guns out
side ,I could understand that they are tribes near the
place ,they attacked us and during the fighting I
could kick one of the kidnappers when the mebers of
the tribed entered the old house I escaped and ran
fast to the street taking a taxi ,when I reached home
my mother and my family all cried but they advided me
to leave Iraq because the gang had realizes my name
and my address so because also they ran away and I
heared they will look for me to kill me and dont let
me tell anything about them.
3週目、私は外で銃の音を聞いた。部族が近くにいて、
彼らが攻撃すると思った。部族と犯人たちの戦闘が始まった。
部族たちが古い家に踏み込んできたとき、私は犯人の一人を蹴り、
一目散に逃げ出した。とおりに出てタクシーを拾い、家にたどり着いた。
母と家族は全員泣いた。家族は「ギャングたちはお前の名前を
知っているし、住所も知っている。イラクから脱出せよ」とアドバイスした。
実際にギャングたちは私を殺そうと、探しに来たし、彼らのことを
しゃべらないように、とアドバイスしてくれた。

I have many words to say but I still in the shock,but
please tell my friends in Japan,the lawyers,the people
I will never give up working for peace and reveal the
truth.

私には話さねばならないことがたくさんあるが、いまだにショックから
立ち直っていない。しかしこのことを日本の友人たち、弁護士たちに
語ってほしい。私は平和のために働くことをあきらめないし、真実を
伝える仕事を続けるつもりだ。

Hassen syria

シリアより、ハッサン。

2003年と04年にイラク入国した際、通訳として行動をともにしたワリードが、バグダッドを離れてチェコに逃れた。若い頃チェコに留学していたので、チェコ語はしゃべれるワリードだが、妻と3人の子どもは、これから異国の地で新しい生活がスタートするわけだ。何はともあれ、無事でよかったが、ワリード一家は、スンニ派の平均的な所得層の家族である。05年頃から、彼は何度もメールで「もうバグダッドには来るな。殺されるぞ」と警告してくれていた。04年には一緒にサドルシティーに入り、ツワイサ核施設にも同行してくれた。拙著「報道されなかったイラク戦争」にもワリードのことを、

ワリードとは03年11月、バグダッドで知り合った。ヨルダンの首都アンマンから乗り合いバスでバグダッドに到着した夜、レストランで食事をしていたときだった。メニューの全てがアラビア語で、店員も周囲の人々も英語が通じなかったものだから、途方にくれていると、「ディナーはうれしそうな顔で食べないとダメだよ。スマイルスマイル」とクリアーな英語。こいつや!「おまえ、名前は?」「ワリード」「英語、上手だな」「チェコに留学していた」「今の仕事は?」「高校で物理を教えている」「明日は仕事あるか?」「仕事なんて何とかなる。というか、イラク全体が失業状態だよ」「車持ってるか?」「72年製のトヨタだけど。十分走るよ」。かくしてワリードは私の通訳&運転手になった。1972年製のトヨタは、冷房もなく窓も開かない代物だったが、サドルシティー、マハムディーヤなどの激戦地を走り抜けてくれた。ワリードは戦場となったバグダッドに住んでいる。「チェコは良かったぜ。美人ぞろいで、毎晩ウイスキーで宴会。当時はイラク人のほうが金持ちでモテモテだったよ」。下ネタ大好きで陽気なワリードから笑顔が消えていなければいいが・・・。

と、紹介したのだが、やはりバグダッドには住み続けることができなかった。「もうバグダッドには戻らない」と言い切るワリード。彼にとっての故郷は永遠に思い出の中だけになるのだろうか・・・。

TBSイブニング5のオンエアが、4、5日から5日、6日に変更になった。飛行機事故の特集が入り、後ろへずれたようだ。時間は午後5時35分からで変わらず。よろしければ見てやってください。
先日大阪で講演していただいた、イラク青年カーシムが、16日(月)の、これまたTBSニュース23で、筑紫哲也さんと生出演するらしい。親族を米兵に殺され、自身2回も拘留された経験を持つカーシムの話が全国に報道されるのは素晴らしいことだ。
イランへの攻撃が取りざたされている。4月6日という「説」も出ている。
ここで気になるのは、最近になってイランが原油決済をドルからユーロに変えたこと。実はフセインもこれが原因でアメリカの侵略を招いたと、私は見ている。イランを攻めたら、中東大戦争につながり、収拾はつかない、とも感じるが、アメリカはドルを防衛しなければならないし、もしかしたら、やるかもしれない。
イランもどこまで突っ張るのであろうか・・・。

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