nishitani: 2010年12月アーカイブ

絵を持って喜ぶ子ども.JPG 写真は高宮さんが描いた絵を持って喜ぶ白血病の子ども

12月6日午前9時、スレイマニア大学がん専門病棟を訪問。ここには白血病や各種がん患者が多数入院していて、イスラムの週はじめ、つまり日曜、月曜日には外来患者が廊下にひしめくほどやってくる。入院している重篤ながん患者は大きく2つに分けられる。1つは今回のイラク戦争で使用された劣化ウラン弾によると思われるがん患者と、ハラブジャをはじめとする毒ガス兵器の後遺症によると考えられるがん患者である。
もちろん「国境なき芸能団」がここを訪問するのは初めて。鶴笑さん、高宮さん、阪野さんの3人が少し緊張した面持ちで病院長にあいさつし、病室を見て回る。
それぞれの病室はたたみ12畳ほどの広さで、4床ほどあるベッドに点滴を受ける子どもの姿。抗がん剤の副作用で髪の毛は抜け落ちている。
そんな子どもたちの前で、まずは鶴笑さんが手品でビックリ&微笑ませる。その後高宮さんが「どんな動物が好き?」と尋ねては、ライオンやウサギの絵を描いていく。
病室でマンガを書く高宮さん.JPG

「お母さんを描いて」とは小学6年生の女の子。傍らで看病する母親を気遣っているのだ。3歳の男の子は、鶴笑さんの手品を見ても笑わない。「自分の病気にショックを受けて、この子は笑うことをやめたようだ」と医師の説明。
限られた時間だったので、全ての病室を回ることはできなかった。しかし闘病中の子どものが一瞬でも笑顔を見せてくれたことに感動する。私はこれまで物資を届けてきたが、笑いを届けることの重要性を再度痛感した。
キャンプで毛布を配る .JPG

がん病棟を後に、急いで避難民キャンプへ。昨日注文しておいた毛布が届く。トラックの荷台から、鶴笑さんと阪野さんが毛布を配っていく。キャンプのリーダーが、リストに基づいて「モハンマッド!」と叫ぶと、モハンマド家が毛布を受け取りに前へ出てくる。リストに従って配らないと、一人で何回ももらうヤツや、キャンプ住民以外のヤツらが不正を働くので、このリストが重要だ。
「フセイン!」「ハッサン!」などのかけ声とともに毛布が配られていくが、途中から鶴笑さんがリーダーの声真似をして「モハンマッド!」などと言いながら配るものだから、避難民たちは大笑い。
1時間かけて無事毛布の配布が終了。時刻は午後1時。帰りの飛行機の時間が迫ってきた。「サンキュー、サンキュー」という避難民たちの声を背中に、空港へと急ぐ。
午後3時、スレイマニア〜ドバイ便が予定通りに飛ぶ。イラクでも飛行機が時間通りに飛ぶようになってきた。夜もあまり停電しなくなったし、道路もきれいに整備されてきた。イラクは紆余曲折の後、復興しつつある。建設中ののっぽビルと避難民キャンプ。思えばこの街に初めて来たのは2004年。あの頃この街を訪問する外国人は、ほぼ皆無に等しかった。それから6年後の今、日本から「国境なき芸能団」がこの街にやって来て、落語を演じることができた。おそらく避難民キャンプで落語を演じたのは、世界でこれが初めてではないだろうか?
「また来るでー」。鶴笑さんが遥か下界にかすむスレイマニアの街に向かって手を振っている。日本に帰れば、多くの人にこの成果を報告せねばならない。

衣服を手渡す.JPG 写真は支援物資を手渡す鶴笑さん


12月5日、本日はフセインの毒ガス攻撃で一瞬にして5千人が虐殺された街、ハラブジャを訪問する。化学兵器、つまり毒ガスが撃ち込まれたのは1988年3月16日。ハラブジャでは毒ガスの後遺症に苦しむ人々が、いまだに満足な治療も受けられず、細々と生活している。国境なき芸能団としては絶対に訪問すべき街の1つである。
スレイマニア市からハラブジャまでは約2時間のドライブ。下町で買い出した毛布と衣服をトラック2台に詰め込み、いざ出発。「ハラブジャは寒いので、毛布は喜ばれるよ」。ハラブジャ出身の通訳、ファラドーンもうれしそうだ。
毒ガスが撃ち込まれた当日、彼はフセインと闘うペシャマルガ兵の一員として、山の中で生活していた。下界にいた家族はおばさんをのぞいて殺されてしまった。ハラブジャには「家族全員失った」という人が多い。なお、ファラドーンのおばさんは、重症をおいながらも生存して、なおハラブジャに暮らしている。
午前11時ハラブジャ到着。文部科学省を訪問し、現地の小学校で第2回目の公演を行う旨、伝える。責任者のハッサンさんが2つの小学校に電話。貧しい住民が多く住む小学校に毛布と衣服を配り、もう1つの巨大規模校で公演を行うこととなった。
支援物資を配った後、大規模校へ。公立なのであるが、地元の篤志家が寄付をして校舎を建て増ししている。子どもの人数が多いので、授業は2交代制。午後の部の授業風景を撮影する。鶴笑さんがクラスを訪問すると、みんな一斉に起立してクルド語で歓迎の歌を歌ってくれる。
午後2時、いよいよ第2回目の公演開始。学校のグラウンドに約800名の子どもたちが集合。どの顔も私たちを見て興味津々の様子。
玉すだれ 鶴笑さん.JPG

まずは鶴笑さんの南京玉すだれ。「何ができるかな?」というクルド語の音頭で、すだれが釣り竿や国旗になるたびに、大歓声と大爆笑。「リレー皿回し」では3名の子どもが何とか皿をリレーして、またまた大歓声。
次に阪野さんの手品。ただの紙切れがイラクのお札に変わると、「すごい!(とクルド語で言っているのだろう)」と大きな拍手。先生たちも食い入るように見つめている。高宮さんの似顔絵には、「僕を描いて」「私も」と子どもたちが殺到。この絵は彼らの宝物になるだろう。
そして最後は鶴笑さんのパペット落語。「ミン、ナウム、カクショー(私の名前は鶴笑です)」。クルド語で落語に挑戦。忍者やモンスターが現れるたび、爆笑に次ぐ爆笑。地元テレビがその模様を撮影している。
午後3時、公演が終了。「写真撮って!」。3人の芸能団に次々と群がってくる子どもたち。第2回公演も大成功のうちに無事終了した。
その後、芸能団はハラブジャの「平和資料館」を訪問。資料館には毒ガスで殺された5千名の名前が刻まれている。沖縄の「平和の礎」のクルド版だ。各部屋ごとに当時の写真が飾られている。毒ガスを吸い込んで皮膚の色が変色し、折り重なって亡くなった人々。水を求めて川に入ったまま亡くなっている人々の姿は、まさに広島、長崎と同じ光景である。
フセインがこの「大量破壊兵器」を使用したとき、アメリカは黙って見過ごした。15年後の03年、今度は「大量破壊兵器がない」状態のフセイン政権を空爆で破壊した。88年当時、フセインはアメリカ側の独裁者だった。
資料館の受付に記帳台があって、そこに国境なき芸能団が記帳し、館長に日本からのお土産を手渡す。それは京都の「木津9条の会」が作った手鞠だった。ヒロシマのある国、日本からのピースメッセージとして資料館に飾ってもらうことになった。
ハラブジャ訪問は大成功のうちに終了した。「私たちは日本を尊敬しています。ヒロシマであれほどの被害を受けたのに、見事に復興した日本は、私たちの目標です」。文部科学省のハッサンさんが言うように、この街では誰もがヒロシマを知っている。一方、私たち日本人はハラブジャを知らない。何とかこの事実を伝えて、交流が深まっていけばいいと思う。ハラブジャは治安が安定しているので、近い将来、多くの観光客が訪れてくれるようになればありがたい。


DSCN4474.JPG 写真は、避難民キャンプで落語を演じる前の鶴笑さん


12月4日、いよいよ避難民キャンプで芸能団の第一回目の公演が始まる。地元クルドのテレビ局がステージを作ってくれる。大きなスピーカで落語の出ばやしを流しながら、「今からRAKUGOが始まりますよ」とアナウンス。
それぞれのテントから、ぞろぞろと避難民が出てくる。鶴笑さんとはすでに友人になっているので、「あー、あいつがまた来たぞ!」などと口々に叫んでいる。
地元テレビ局が発電機の灯油を忘れてきたので、すぐに電気がなくなりマイクが使えず、慌てて買いに走るというハプニングもあったが、何とか午後2時、公演スタート。

まずは鶴笑さんが、輪投げと皿回しのパフォーマンス。
舞台の前に子どもを並べ、手に棒を持たせて順番に皿を回していく。子どもたちのはじける笑顔、皿が落ちるたびに爆笑、うまく回ると大きな拍手。

鶴笑さんに続いて舞台に上がったのは、手品師の阪野さん。折り畳んだ新聞紙に水を入れるとその水がなくなり、そして新聞紙を広げた後、またその新聞から水が出てくるので、子どもも大人もビックリ。そして大きな拍手に包まれる。

次に漫画家の高宮さんが、馬やライオンの絵を描いた後、子どもをステージの前に立たせて、似顔絵を描いていく。「次は俺や」「私の子どもを描いて」など、またまたステージはパニック同然の大騒ぎに。
公演のラストは、鶴笑さんのパペット落語。「イスミー、カクショー(私の名前は鶴笑です)」とアラビア語での落語に挑戦。

悪いモンスターを忍者がやっつけるという落語をアラビア語で熱演。大人も子どもも大爆笑に包まれた。
公演終了後、左目を失った少女ライーサさんにインタビュー。「今日の落語は最高でした。こんなに笑ったのは初めて。バグダッドでテロに巻き込まれ左目を失ってから、ずっと笑うことのない日々を過ごしていました。日本の落語家に感謝します」。
このキャンプには、スンニ派、シーア派の内戦で親を失った子ども、空爆や自爆テロで家を失った子どもたちが、学校にも行かせてもらえず、ただ毎日を過ごしている。

おそらく「日本からやって来た不思議な人々」のことは、ずっと忘れないだろう。今日の公演の模様は、もうすぐ地元テレビで報道される。RAKUGOが評判になり、日本とイラクの文化交流が始まれば素晴らしいと思う。

IMG_1536.JPG 写真は「似顔絵を描いてくれ」というリクエストに応える高宮さん


12月3日、本日は金曜日なので街はお休みモード。通訳のファラドーンも故郷のハラブジャに帰り、明日以降の芸能団受け入れのための打ち合わせ。

私たちは仕方なく、(喜んで?)「オールドスレイマニア」(旧市街)を散歩。オールドスレイマニアは、城壁に囲まれた旧市街。街の中心にモスクがあって、そのモスクから放射状に道が延びている。道沿いにはさまざまな商店が軒を連ねて、人々は正装してモスクへと向かう。商店街の写真屋のそばに酒屋がある。酒屋はイスラム圏では珍しい。「ビールしかないの?」「ウィスキーもあるよ」そんな会話に、漫画家の高宮さんが反応。「ビール10本お願いします!」。この店を逃すと他に店がないかもしれない、私と同じく酒飲みの性が出る。イスラム圏で酒を買うのには一苦労である。

活気あふれる旧市街を行く。羊肉を売る店、野菜を売る店などが並んでいるその後ろに、「コー、コッココー」とニワトリの悲鳴。
数十羽のニワトリが、かごの中で鳴いていて、その後ろに包丁を持ったおじさん数人。おじさんたちは手際よく首をはね、煮立った湯の中にニワトリを放り込み、ゆであがったチキンを求める人々が列を作る。いけすの魚を刺身にして、それを振る舞う寿司屋の、クルド版であろうか。

そんな商店街のにぎわいの中、鶴笑さんが毛布の値段交渉。明日に公演を行ってその後、日本からの支援金で毛布を配る。その下準備である。
毛布は一枚1700円もする。本日はファラドーンがいないので、根切り交渉は不発。何しろ400枚ほど買うわけで、すぐには買わず地元住民の交渉で、底値まで値切ろう。
旧市街を一通り回った後、ホテルに帰ってアラビア語の練習。鶴笑さん、阪野さん、高宮さんは明日の舞台でアラビア語のパフォーマンスが求められている。
「ニンジャは何といいますか?」「拍手は?」など、肝心の言葉をアラビア語で語る決意を固める。

さていよいよ明日が国境なき芸能団の第一回目の公演となる。地元テレビも取材する中、イラク人に笑いが取れるか、今、みなさん最後の調整に入られている。

DSCN4460.JPG


12月2日深夜、ドバイ発スレイマニア行きの飛行機が空港に滑り込む。私にとっては1年ぶりの北イラクだ。
ホテルで仮眠をとり、午前中にスレイマニア市のPUK(クルド愛国同盟)最高幹部であるジャディス・カーディド氏を訪問。芸能団の紹介と、イラク訪問の目的などについて説明。毎度のことだが、イラクでまず最初にやらねばならないのが、この「最高幹部への訪問」である。私は慣れているのだが、芸能団の方々にとっては「チンプンカンプンのクルド語」で延々と話をされるわけで、じっと耐える苦痛の時間だ。

午後、スレイマニア大学のアッバス学長を訪問。大学で芸能団の公演について打ち合わせ。その後クルディスタンテレビへ。明後日、4日に避難民キャンプで第一回目の公演を行うのだが、その時の舞台設営と、取材について打ち合わせ。キャンプでの公演は野外になるので、特設ステージと音響について、テレビ局の機材を使わせてもらえることとなった。もちろん当日は、クルドテレビをはじめ地元テレビと新聞が取材にやってくる。

夕刻4時、カラア避難民キャンプを訪問。避難民のテントを訪れながら、鶴笑さんがなぜ避難してきたのか、学校に行けているのか、援助してほしい物は何か、などについて尋ねていく。
着物を着た鶴笑さんが「サムライ!」「ニンジャ!」などと叫びながらパフォーマンス。みんな大受け。子どもたちが鶴笑さんの周りに群がってくる。この調子だと、明後日の舞台本番は大成功間違いなし。貧弱なアラビア語での取材だったので、苦労したが、現在このキャンプには約60家族470人が住んでいて、多くは4年前にバグダッドから逃げてきた人々。住民のほぼ100%がスンニ派アラブ人なので、クルド語は通じない。
したがって明後日の落語はアラビア語でやることになり、4日後のハラブジャでの公演は逆にクルド語でやらねばならない。短期間で2カ国語を覚えねばならない鶴笑さんには、大きな試練である。手品師の阪野さん、漫画家の高宮さんも同様に、2カ国語の簡単なあいさつと会話が必要条件となる。
さてどうなることやら。


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11月30日深夜、いよいよ関空からドバイへ飛ぶ。チェックンカウンターで鶴笑さんと一緒に並んでいたら、「鶴笑さんと違いますか、昨日テレビ見てましたで」と年配のおじさん。「今からイラクへ行きます」と笑顔で答える鶴笑さん。「えっ、同じ飛行機でっか?」(当たり前や、そやから並んでるんや!)

すると、前に並んでいた見るからに「大阪のおばちゃん」2人が、「写真撮ってもよろしいか?」「どうぞどうぞ」。一緒に撮ろうとすると「いややわー、化粧してへんわー」(どっちやねん、撮ってほしいのかイヤなのか!)「ほな、マネージャーさん、シャッター押してね」。いつの間にか私は付き人扱い。周囲の好奇な目にさらされながら、作り笑顔でシャッターを押す。

そんな光景を、NHKのカメラが追っている。私たちが帰国すれば、ニュースで報道してくれるそうだ。ありがたい。
チケットをゲットし、搭乗口へ。ずっとカメラがついてくるので、外人の子どもが物珍しそうに眺めている。
鶴笑さん、高宮さん、阪野さん、そして私の4人がNHKカメラの前で記念撮影。またまた周囲の好奇な目にさらされながら、機中の人となる。

12月1日、午前5時無事ドバイに到着。安宿にチェックインして仮眠の後、ドバイ〜スレイマニアの飛行機便をゲット。実はこの便を取ることが今回の旅のキーポイント。ドバイ〜スレイマニアはあまり飛んでいないので、今日を逃すと下手すればドバイで足止め。この便に乗ることは「マスト(絶対)」なのだ。
ドバイ〜バグダッドは毎日飛んでいるのだが、さすがにバグダッド経由でイラクに入るのは無謀。スレイマニア便を押さえることができてホッとする。

実は帰りのチケットにも問題があって、予定通り帰れるかどうか、一抹の心配があるのだが、まずは無事北イラクに到着し、スケジュール通り落語&マジック&マンガ公演を行うこと。今晩スレイマニア便が予定通り飛んでくれることを祈りつつ、初日の報告とする。(実は乗客が少ないとフライトがキャンセルされたりする)