nishitani: 2012年11月アーカイブ

ウランバートルの投票所 ブログ用.jpg


11月21日午前、ウランバートルのガンダン寺へ。ここはチベット仏教に基づいて1809年に建てられた大きな寺で、かつてのウランバートルには高い建物がなかったので、どこからでも見えたとのこと。
20世紀、旧ソ連のかいらい国家となったモンゴルは、スターリンとコミンテルンの「指導」の下、仏教に大弾圧がくわえられた。ガンダン寺に大仏があるが、これは2代目。初代のものはスターリンがロシアに持ち去り、破壊したとのこと。ひどいヤツやな、スターリン。

午後、市内の中学校でウランバートル市議会議員選挙を取材する。中学校の体育館が投票所になっているのは、日本とそう変わらない。違うのは「投票の機械化」だ。
人々はまず、免許証に記載されている指紋チェックを受けて、投票用紙をもらう。用紙には各党から立候補している6人の候補者の名前があらかじめ書かれていて、その中の2人をマークシート方式で塗りつぶす。
投票箱はなく、代わりに黒い機械が2つ。マークシートで塗りつぶした箇所をこの機械に読み込ませて、投票終了。投票時間は朝の7時から夜10時。基本的には開票しなくても、すぐに当選者が判明する仕組みだ。
投票所の奥に机が3つ並んでいて、そこにおじさんが座っている。彼らは政党の代表者。人民党、民主党、人民革命党。この投票所で不正が行われていないか、監視しているのだ。

投票終えた人にインタビュー。ざっと20人程度に聞く。民主党に入れた人が多かったが、ちらほら人民党も。人民革命党はいなかった。モンゴルは人民党と民主党の2大政党制なのだ。民主党は現在の市場主義、資本主義を推進する立場で、人民党はかつての社会主義的な部分を復活させていく、というところだと思うが、レンスキーは「どっちも一緒。腐っている」と手厳しい。
有権者に「原発と最終処分場について、考慮しましたか?」と聞いていったが、全員「今回の選挙では原発問題は争点ではなく、考慮していない」という回答だった。大統領が「他国の原発のゴミを受け入れない」と宣言し、この疑惑にふたをしたので、国民には安心感があるようだ。
情報があまり外にでないし、「他国のゴミを受け入れない」とは、行政用語として読むと「自分のゴミは受け入れる」ことなのだが。

飛行機の時間が迫ってきた。ウランバートルの町は今日もスモッグで煙っている。増え続ける人口、電力需要。マイナス40度まで落ちる厳冬期を乗り切るためのエネルギー。そんな状況の中で、この国は本当に原発を拒否し続けることができるのだろうか?
今やモンゴルは「NATOの準会員」で、アフガンやイラクにも派兵している西側の一員だ。そして日本とモンゴルはFTAを結んだ。日本には核のゴミを埋める場所がない。
デタラメ春樹こと班目原子力安全委員長が、かつてインタビューに応えて「(最終処分場を受け入れる自治体は)最後は金でしょ?80億でダメならもっと積めばいい。必ず(受け入れ自治体は)出てきますよ」とうそぶいていたのを思い出す。

チョイル ブログ用.jpg 写真はチョイル郊外100㌔のところ、旧ソ連がウランを探屈していた。

11月20日、午前8時ウランバートルを出発し、中南部の町チョイルに向かう。チョイルまで250㌔、そしてモンゴルにしては珍しく道路が舗装されているので、3時間くらいで着く。
11時過ぎ、チョイル着。ここはゴビスンベル県の県都。ゴビスンベル県は相撲の日馬富士の出身地だ。今度相撲中継を見てみよう。「ゴビスンベル県出身、伊勢が先部屋」というアナウンスが聞けるはず。
チョイルは思ったより大きな町で、鉄道の駅もあり、レストランも旧ソ連が建てた5階建ての団地群もある。
実は、ここチョイルに核の最終処分場が作られるのではないか、とスクープしたのが毎日新聞だ。やるな、毎日新聞。(私も連載してたよ!)
当初、モンゴル政府はここに原発を造る計画だったようだ。しかしここには原発を冷やす川も湖もない。原発はダミーで、最終処分場ではないか、との疑いだが、あのスクープ記事がモンゴル語になって現地の新聞、テレビで紹介されたため、ここは候補地ではなくなった、と思う。人のウワサも75日、将来、こそっとここに持ってくる可能性がないとは言えないが。
このチョイルから100㌔ほど草原を南へ下ったところに、ハラトゥというウラン鉱山がある。何もない草原を突っ走ると、遊牧民のゲルがあり、ゲルの向こうにゴツゴツした岩肌が見える。ゲルから人相の悪いおじさんが出てきた。遊牧民ではない。警備員だ。「何しにきた?」と威圧的態度だったが、こちらが4人と多数なので、警備員の対応がしどろもどろになってくる。
最初、「ウラン鉱山なんかないよ」と言い切っていたのが、だんだん「いや、実は旧ソ連が…」という話になり、「試掘していた」と変わっていく。
警備員を車に乗せて、ウラン鉱山へ。鉱山の入り口ゲートにはカギがかかり、看板の文字は完全に削られている。おそらく放射能を示していたであろう、三角の看板。車ではゲートを越えられないので、徒歩で入る。ガイガーは2〜3マイクロ。やはりウランが眠っているのだ。
この鉱山は、現在探屈権を中国企業が取得しているようだ。鉱山の中にかつてのロシア人労働者の家と、重機を動かすためのガソリンスタンド。ウラン鉱山には採掘権と探屈権があって、ここは地中に探査用の機器を入れて、ウランを探屈中だったようだ。
ここハラトゥはマルダイと同じく、周囲は見渡す限りの大草原なので、遊牧民以外、工事が始まっても気づく人はいないだろう。確かにここなら、最終処分場になる可能性はある。
ハラトゥからチョイル、そしてチョイルからウランバートル。本日も合計600㌔に及ぶ長旅だった。モンゴルは広い。そして人口密度は低い。日米の原子力ムラの人々は、決してモンゴルをあきらめていないと思う。

ノモンハン戦勝記念碑 ブログ用.jpg


11月18日午前9時にチョイバルサンを出発。町の出口のところに「ノモンハン戦争勝利記念碑」がある。左に旧ソ連軍の戦車、右には小さめの日本軍の戦車。中央にこの戦争を勝利に導いたソ連軍のジューコフ将軍(だと思う)。
ノモンハン戦争は、日本陸軍+満州国軍VSモンゴル、ソ連連合軍の戦いで、2万人以上が殺された悲惨な戦争だった。発端は領土問題。満州国とモンゴルの国境線を、ハルハ川に引こうとする日本&満州と、ハルハ川よりかなり東側、現在の国境に線を引くモンゴル&旧ソ連の争いだ。

歴史に、「もし」や「たら」はないが、もしこの戦争に日本&満州が勝っていたら、満州国が少し広くなり、結果として中国の面積が少し広がっていたことになる。満州国軍といっても実際は内モンゴル人が兵士となって闘っていたので、モンゴル人にとっては同族同士の争い、いや、大国日本とソ連に翻弄された中での無用な戦争だったと言える。
実際、モンゴル人にとってはこの戦争に勝利し、社会主義国となってソ連の衛星国となったが、スターリンとコミンテルンの「指導」により、次々とリーダーたちが殺害され、チベット仏教徒も殺されていった。かといって、満州国に従属されれば、当時の日本陸軍に弾圧されただろうし、どっちに転んでも虐げられていく歴史になるのだが。

チョイバルサンを出ると、ずっと草原の中の悪路。8時間かけてウンドルハーン。そして5時間半かけてウランバートル。途中休憩を入れて合計14時間車の中。さすがに疲れきったので、夜食もとらずに爆睡。

11月19日、ウランバートルで街行く人にインタビュー。まずはバス停。質問は2つ。「あなたは核の最終処分場がモンゴルに来る計画を知っていますか?」
知っている人には賛成か反対かを重ねてたずねていく。2番目は「モンゴルに原発を造る計画があるのを知っていますか?」。
ざっと20人くらいに聞いた。ウランバートル在住の人々はほとんど知っていて、そして知ってる人は最終処分場には全員反対だった。原発については、6対4くらいの割合で反対が多かった。知らない人は地方から来た学生や遊牧民たちだった。特に遊牧民はまったく聞いたことがないという反応。彼らの土地に作られる計画なのだが。

ウランバートルの中心は歩行者天国になっていて、零下10度くらいだが、人々は元気に通行している。その中に所在無さげに通行人をぼんやり見ているおじさんたちの一群。
彼らは、いわゆる「マンホール、アダルト」。住居がないので、厳冬期に下水で暮らす。1万トグルグ(約600円)渡してインタビュー。
—寒いでしょう?
「凍え死にそうだよ。俺たちには身分証明書がないので、仕事にあぶれてしまうんだ」。
—夜はマンホールの下で寝ているの?
「いや、今はマンホールにカギをかけられているので、入れない。団地の中に忍び込んで、階段の踊り場で寝ている」

普段寝ている団地へ。モンゴルの5階建て団地は、寒さを防ぐために入り口にドアがついている。ドアを開けて中へ。1階と2階の間の踊り場に小さなヒーターがあって、おじさんたち3人は、ここで身体を寄せ合って眠る。汚れた衣服に酒やけの赤ら顔。インタビュー中に団地の居住者が通り過ぎると、おじさんたちは両手をあわせて「すいません」と詫びる仕草。居住者に嫌われたら出ていかざるを得ないので、なるべく穏便に接しているという。

なぜこのおじさんたちに身分証明書がないのか?
それは刑務所である。酒に酔ってケンカして人を傷つけ、刑務所に。刑務所から出てきたら、モンゴルは社会主義国から「民主化」され、別の国になっていた。免許証やパスポートを更新しないと、身分証はもらえない。しかし「おつとめ中」に両親が亡くなり、身分を証明する人がいない。証明書がなければ、仕事に就けない。社会主義時代と違って、自由経済なので、物価はどんどん上がっていく。その結果、マンホールに住み、そこを追い出され、団地の踊り場に住む。ホームレス歴10年だ。

今、ウランバートルには高級車があふれ、町にはルイヴィトンやグッチなどのおしゃれな看板。豊かになったように見えるが、ホームレスも増えた。グローバル化、新自由主義の下で、格差は急拡大している。
ホームレスのおじさんたちは、最終処分場のことも原発のことも知っていた。
「自然を大事にしないモンゴル人が増えて、草原に車からゴミを放り投げるヤツがいる。そんなゴミを掃除しないといけないのに、なんで他国の原発のゴミを受け入れる必要があるのか」。酒くさい息で一気にまくしたてる。
このおじさんたちの方が、政府の役人よりまともではないか、と思えてしまうのだった。

残土と立て札.jpg


11月17日、午前9時にダシュバルバルを出発し、再びマルダイへ。まずはかつてのウラン鉱山へ。鉱山は草原の中に巨大な穴ぼこを形成していた。ウランの露天掘り。その深さは300㍍近くまで掘り進められ、横穴は700㍍ほどあったとか。旧ソ連がここで採掘していたのが80年代から96年頃まで。その間、この地域はモンゴル人立ち入り禁止だった。ウランを採掘していた労働者の中には、旧ソ連時代の囚人たちも含まれていたという。かつての囚人たちが掘り進んだ鉱山は、現在、雨水が溜って池になっていて、その水が凍り付いている。鉱山への道は閉ざされ、池に降りていくことができないので、土手のところでガイガーカウンターで計測。0、3〜0、4マイクロシーベルト。あの凍りついた池まで、この土手から数十㍍はある。池の水は何シーベルトなのだろう?
鉱山の土手をおりたところにかつての鉄道跡がある。ここで採掘されたウラン鉱を、この鉄路でシベリアまで運んだ。シベリアにはウラン濃縮工場があって、そこで濃縮ウランが作られた。80〜90年代であるから、冷戦時代だ。そのウランの一部はロシア製核兵器になっているのだろう。
鉄路は現地のモンゴル人が引きはがして持ち去った。線路のない鉄道跡地が小高い丘となって、延々と北へ延びている。
かつて鉄道だった丘のすぐ近くにウラン鉱山から出た残土が積み上げられている。KEEP OUTという立て札一枚。放射能のマークと英語だけなので、遊牧民には理解できないだろう。
残土にガイガーカウンターを置く。ピーピー。一瞬にして数字は30マイクロシーベルトを超えて警戒音を発信する。そんな残土が小学校の体育館くらいの量で放置されている。
鉱山から10キロほどのところに、労働者のための団地と一軒家。団地は全部で15棟あって、全てが破壊されている。ガレキになった5階建ての団地。ガイガーカウンターをガレキに置くと、2〜3マイクロシーベルト。長年のウラン採掘でコンクリートも鉄骨も汚染されている。
一軒家に現地の人々が10家族住んでいる。みんなここにウラン鉱山があったことは知っているし、ウランが危険であるとは聞いたことがある。しかし、だからといってどうすることもできない。幸いなことに、ここには学校がないので、子どもたちは数十㌔離れたチョイバルサンの小学校に行く。学校に行っている間は被曝しないだろう。
草原の中、道なき道を西へと進む。ランドクルーザーで悪戦苦闘しながら1時間ほど行くと、突然巨大かつ立派な建物が現れる。中国の企業がここでウランの探掘権を得て、操業を開始しているのだ。門には警備員がいて、撮影禁止、進入厳禁だ。
この新しいウラン鉱を背に、やはり草原を30分ほど走ったところに遊牧民のゲルを発見。ブリヤート族の老夫婦が、ここに井戸を掘って家畜に水を与えている。冬はこの周辺で遊牧し、夏になると北側、つまりロシア側の山裾で家畜を育てる。彼らは近所にウラン鉱があることは知っている。しかしウランがいかに危険であるか、は知らされていない。そして近年、井戸水の水位低下にも悩まされている。「雨が少なくなった」のと、もしかしたら「鉱山で掘り進められた坑道が水脈を切った」のかもしれない。
もちろん、ここの遊牧民たちに中国企業からのお知らせやあいさつはない。遊牧民からすれば、「勝手に草原を掘られている」状態だ。
マルダイからチョイバルサンまで、草原の中の悪路を戻る。「核のゴミ」を埋めるとすれば、ここは有力な候補地だ。それは①首都ウランバートルから極めて遠い。②少数民族の村で、人口も少ない。③基本的に西風が吹くので、もし放射能が漏れても中国東北部、旧満州に流れていく。
モンゴル政府は今のところ、「核のゴミを受け入れない」と宣言している。しかしそれは「他国の核のゴミ」である。
日米政府は今、東芝や三菱、日立など原発企業と一体となって、ベトナムやトルコ、ヨルダンなどに原発を輸出しようとしている。その際に売り込みたいのが、「核燃料も廃棄物もトータルで面倒見ますよ」ということ。
つまりモンゴルで掘られたウランで原発を動かして、「ウランの生産地」にゴミを持っていく。モンゴルはNATOと互恵的関係を結んでいる。米国にとって「核の拡散」になるが、同盟国ならOKだ。核の管理と原発ビジネス。そんな商売に日米モンゴルが水面下で絡んでいる、という図式だろう。

さて、チョイバルサンからウランバートルへ。約700㌔の草原を走る。広大なモンゴルの手つかずの自然。ここに原発は似合わない。風がびゅーびゅー吹いているし、厳冬期でも太陽は輝いている。風力や太陽光で十分エネルギーはまかなえる。

チンギスハーンの像 ブログ用.jpg


11月15日、ウランバートルを出発。レンスキーが、反核を訴える新聞500部とドイツ製のガイガーカウンターを積み込む。この新聞を現地の人々に配りつつ、ウラン鉱山を取材するのだ。2〜3日分の食料を買い出して、いざ出発。
目的地はモンゴル東部の町チョイバルサン。チョイバルサンというのは、社会主義時代のモンゴルの指導者の名前で、良くも悪くもかつてのモンゴルを象徴する人物。近隣する大国中国、ソ連からモンゴルの独立を勝ち取ったのだが、旧ソ連スターリンの「指導」の下で、多くのラマ僧、対立する政治家を殺害した人物でもある。宗教弾圧、対立する政治家の粛正という点では「ちょい悪サン」ではなく、「大悪サン」なのだ。
モンゴルでは、このような政治家の名前をそのまま使っている町があって、まぁ日本でいえば、新潟県長岡市を「田中角栄」と呼んでいるようなものだ。
ウランバートルから東へまずは舗装道路が続く。零下10度の氷の世界だが、ランドクルーザーは快適に飛ばす。数十㌔行くと、銀色に輝くチンギスハーンの巨大な像。チンギスハーンがここで育ったとのこと。像の高さは53㍍あり、ニューヨークの自由の女神より高いそうだ。舗装道路をひたすら東へ。夕闇が迫り、夜の帳が下りる。

午後8時、雪の中ウンドルハーンという町に到着。草原の中に突如町が現れるという感覚で、町の灯りにホッとする。遅い夕食をすませ、さらに東へ。
ウンドルハーンからチョイバルサンまでは、草原の中に刻まれたワダチを行く。真っ暗闇の中で、時折ワダチが分かれていく。地図もカーナビもないのに、運転手のドルチェは、的確にチョイバルサンへのワダチを選んでいく。「経験だよ。何度も行ってるから」。ドルチョが笑う。
深夜1時、うとうとしていたら突然車が止まる。「パンクだ」。ドルチョが慣れた手つきでタイヤ交換。見上げれば満天の星空。天の川が見える。これだけの星空を見たのは、95年、砂漠化が進むタンザニアのドドマ以来。
さらに東へ草原を走る。「オオカミだ!」レンスキーが叫ぶ。指笛を鳴らし、草原を逃げるオオカミを追いかける。モンゴル人にとってオオカミは大変縁起のいい動物で、本日遭遇したのは「白オオカミ」。オオカミの中でも最も縁起が良いのは白いオオカミだそうな。
草原の中、デコボコ道をランドクルーザーは飛ばしていく。時折頭を天井にぶつけそうになるくらいの悪路だったが、午前5時、無事、チョイバルサンに到着。ホテルにチェックインして午前11時まで泥のように眠る。
闇の軽油 ブログ用.jpg

11月16日、チョイバルサンでガソリンを入れておかないと、草原で立ち往生する。ガソリンスタンドへ。ガソリンは売っているが軽油はない。私たちの車はディーゼルのランドクルーザーなので、軽油がないと困る。スタンドの横では闇で売る業者が、値段を吊り上げて売っている。背後に政治家がいるのか?こいつらは間違いなく「ちょい悪さん」である。
チョイバルサンの小さな街を出ると、広大な草原が広がる。地平線までずっと雪の白と枯れた草の茶色。車のワダチが一筋、延々と続いている。
草原のデコボコ道を走ること2時間、突如、14〜15ほどある団地群。鉄筋コンクリートの団地の周囲には、壊れた家屋。ここが目的地のマルダイだ。
マルダイでは1980年代後半から96年にかけて、旧ソ連がウランを掘り出していた。この壊れた団地と家屋は、鉱山労働者のための社宅だったのだ。
粉々に破壊された家屋と、そのまま残っている家屋が点在する。イラクやシリアで見た空爆を思い出すが、戦争で破壊されたのではなく、地元のモンゴル人が鉄筋やコンクリートを持ち運んだのである。
その中に煙突から煙が上がっている家を発見。旧ソ連時代のウラン鉱労働者の社宅に、ちゃっかりと住み着いているのだ。
夕刻5時、あたりは暗闇に包まれる。冬のモンゴルは日照時間が短い。マルダイの、この壊れた社宅群の中の一軒に泊めてもらおうと交渉するが、電気も人数分の毛布もない。
仕方なく、マルダイ宿泊をあきらめ、北に数十㌔離れたダシュバルバルという町をめざす。真っ暗闇の中、ドルチェは間違うことなく草原を行く。地図もないし、カーナビもコンパスもない。経験だけで目的地に着くことができるのは、やはり彼の中に遊牧民の血が流れているのだろう。
「山の形や点在する丘の数などを見て、方向が分かる」というからたいしたものだ。
ダシュバルバルの安宿 ブログ用.jpg

午後7時、ようやくダシュバルバルに到着。村で一軒しかない安宿に泊まり、モンゴルウォッカで乾杯。このモンゴルウォッカと水餃子は癖になるなー。


モンゴルの原発を巡る状況について、昨日取材したことを書く。
まず、モンゴル政府には原子力発電所の立地計画がある。場所はおそらくウランバートルから南東へ、数百㌔のドルノゴビ県、チョイルあたり。付近にウラン鉱山があり、燃料の「生産地と消費地が近接」している。
そしてさらに問題なのが、日米政府とモンゴル政府が、モンゴルのどこかに「核廃棄物最終処分場」を設置しようとしている疑惑である。
11年5月9日に日本の毎日新聞が、このチョイル近辺に、「核廃棄物処分場立地か?」という大スクープ記事を書いてくれたので、モンゴル国内で反核運動が盛り上がり、政府は一旦は否定したことになっている。
曰く「他国の核廃棄物を受け入れることはありません」。
これで、多くの国民は安堵しているのだが、「他国の廃棄物」は受け入れない⇒「自国の廃棄物は受け入れる」のではないか?と、レンスキーたちは危惧しているのだ。
では、自国のウラン廃棄物の受け入れ場所はどこか?
その候補地が本日から取材するマルダイだ。マルダイはウランバートルから北東へ700㌔以上。やはり付近にウラン鉱山があり、鉱山は地下250㍍、横穴700㍍以上の大規模なもの。現在は中国資本が採掘権を持っていて、中に入るのは許可されないかもしれない。
ちなみにこの鉱山群は、かつての旧ソ連が掘ったもので、旧ソ連の核兵器に使われたもの。鉱山労働者は、旧ソ連の囚人たちだったという。
心強いことに、現在、モンゴル国民の大多数は、核廃棄物最終処分場の建設に反対している。しかし日本の原子力ムラをご覧になれば分かるように、このプロジェクトには莫大な利権がからむ。反対運動が切り崩しに会い、金で丸め込まれていった福井県や福島県の例もある。
それでは、ウランバートルからマルダイへの長旅に出発する。ネットが使えなくなることが予想されるので、ブログは更新できないかもしれない。
降雪の状況次第だが、2〜3日後にはウランバートルに戻って来れると思う。
その前にスノーブーツとオーバーを。何しろ零下10〜20度、そして強風の世界が待っているのだ。
では行ってきます。

ウランバートル火力発電 ブログ用.jpg ウランバートルでモクモクと煙を上げる火力発電所。公害問題になりつつある。

世界で一番寒い首都はモンゴルのウランバートルだそうだ。モスクワあたりも寒そうだが、冬のウランバートルは零下40度まで下がるというから、その寒さは半端ではない。
11月14日午後4時、そのウランバートルのチンギスハーン国際空港。午後4時で零下8度。通訳レンスキーの車で市内へ。まず目につくのが、モクモクと煙を上げる火力発電所。ウランバートルは電力事情が悪く、しばしば停電するという。人口が急増してた割にインフラ整備がまだ整っていないので、特に電力事情が悪い。そんな状況を逆手に取って、原子力発電所の建設計画がこの国にもある。
ホテルにチェックインして、明日からの取材日程を相談。11月中旬はすでに極寒の冬で、明日からめざす村は、道中、雪で通行できなくなっているかもしれない。ウランバートルは、まだビルが障害物となって強風は吹かないが、明日からは大草原の村である。考えただけで縮み上がりそう。
モンゴルの実情については、また明日のブログで。

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