nishitani: 2013年8月アーカイブ

キャンプで貧富の差 ブログ用.jpgカブールの「チャン・フズリー避難民キャンプ」。テントの向こうにきれいな結婚式場が建った。貧富の差は極限まで拡大している。


今回のアフガン取材のメインは、ドイツの国際平和村によるアフガンの子ども救済事業だった。キッカケを与えてくれたのはカタログハウス。雑誌「通販生活」の記事として、アフガンの子ども救済事業を取り上げたいというオファー。
カブールの子ども病院では治療できない子どもたちをたくさん見てきたので、ドイツの事業は、私としても是非取材して、紹介したかった。
カタログハウスさんと平和村のやり取りの中で、今年はドイツ〜アフガンのチャーター機が、8月14日と20日に飛ぶことが分かった。何度もアフガンを訪れてはいるが、事前に取材対象を決めて入国するのは、今回が初めて。8月14日にカブール入りが間に合わなかったら、取材の意味がなくなる。なので早めにビザ申請をしたのだが、アフガンビザは昨今、かなり厳しく制限されていて取得するのに一苦労だった。
何とかドバイ経由でカブール入りしたのが12日。13日には平和村スタッフによる子どもたちとの面会、治療説明があるので、ギリギリセーフで間に合った。
平和村への治療申請は500〜600件だった。それを現地の医師が50〜60に絞り込み、いよいよ出発前日に面談となった。
集まった58人の子どもたちの中には、地雷やクラスター爆弾で傷ついた子どももいた。意外に多かったのが、骨髄炎。事故で骨折した後、細菌が入り炎症を起こして歩けなくなっている。やけどの子も多かった。24時間おしっこが止まらず、漏れ出している少女もいた。
地雷やクラスターは、すぐに戦争被害者と分かるが、骨髄炎ややけどは直接には戦争に関係ないように思える。しかしこれらも間接的な戦争被害者である。どちらも戦争による貧困状況がもたらしたもので、衛生状況が普通ならば、骨髄炎にならずにすんだだろうし、キッチンと寝室が別れていれば、やけどにはならなかっただろう。おしっこが止まらない、という症状はイラクでもたくさん現れていて、これは劣化ウラン弾など「ダーティーボン(汚れた弾丸)」による遺伝子破壊によるものだろう。
アフガンの医師たちは勤勉なので、このような病気を自分たちで治したがっている。しかし十分な医療器具も薬も、知識も不足しているので不本意ながら、外国での治療を求めざるを得ない。58人の子どもの中で、かなりの子が、かつてインドやパキスタンに送られたが、そこでは治癒しなかったので、ドイツに頼ることになった。
ドイツと日本の医療水準が同等だとすると、そして日本にも平和村があったとすると、助かる子どもは58×2=116人となる。日本の出番が来ている。
今回、たまたまカブール旧市街で、新たな避難民キャンプを発見した。チャン・フズリーキャンプは、主にパシュトン人、タジク人が故郷の村から逃げてきていた。その原因は米軍の無人空爆とタリバン。プレデターという無人空爆機、B52戦闘機によるかなり上空からの空爆。どちらも米兵は死なない。村人の中に反米感情が芽生えるが、そんなところにタリバンのリクルート部隊がやってきて、息子をタリバン兵にする、と言う。拒否したら殺害される。よって、逃げざるを得ない。チャン・フズリーキャンプには、そんな状況の村から命からがら逃げてきた人であふれていた。例によって、国連は来ないし、カルザイ政権は何の手当も打たない。人々はここで見捨てられていく。
オバマになって、戦争がなくなる、と思っていた私たちは、見事に裏切られた。オバマは、口では平和を唱えながら、「ブッシュよりスマート」に戦争しているだけだ。
アフガンもイラクも、今は「復興バブル」に沸いている。戦争で街を壊し、復興で作りなおす。単純なスクラップ&ビルドの構図は、世紀を超えて継続される。建設会社は空前のボロ儲けをしているし、その株式を所有する金融機関は、笑いが止まらないことだろう。もちろん「基地ビジネス」「民間軍事会社」「軍産複合体」など、直接的に戦争でボロ儲けしている企業もいる。TPPや米国とのFTAは、そんな企業がより儲けるための仕組みで、国家を越えたコーポラティズム(大企業主義と訳すのかな?)の搾取と収奪から、私たちは自らを守っていかねばならない。
一部の富裕層に莫大な富が集中し、圧倒的多数の人々が貧困に喘ぐ。そんな非人道的な格差が顕著に現れるのが、戦争だ。その意味では、「避難民キャンプの背後に豪華な結婚式場」の映像や写真は、分かりやすく、目に見えるものとして貴重なものかもしれない。今回も無事に入国できて、取材できたことに感謝しつつ、今後、このコーポラティズムとどう闘っていけばいいのか、漠然とした不安を感じつつ、今回の取材の総括としたい。

テントシートを配る ブログ用.jpg

8月20日(火)、今日は避難民キャンプにテントシートと子ども用のサンダルを配布する。午前9時からトラックに物資を詰め込む。まずは旧市街のチャン・フズリーキャンプへ。ここはたまたま旧市街のデストロイドエリア(破壊地区)を撮影しようとして、たまたま発見した中規模のキャンプ。220ほどのテントがあって、平均10人が寝泊まりしているとすれば、約2千人が故小瀬生活していることになる。4日前に訪問して、雨漏りがするとのことだったので、このキャンプにテントシート200枚。
トラックが到着し、テントシートを配ると告げると、テントからぞろぞろと避難民が集まってくる。「俺が先だ」「私のものよ」。案の定、テントシートをめぐって口論になる。このキャンプの特徴は、「女性が強い」ということ。ものすごい剣幕で、おばちゃんが怒ると、さっきまで威勢良くしゃべっていたおじさんが、すごすごと列の後ろに回る。うーん、やるな。他のキャンプもこうだったらいいのに。
テントシートを配布した後、YMCAからいただいたアフガニスタンのダリ語で書かれた絵本と、丹波市の中学校からいただいた草木染めハンカチを配る。やはり大パニックに。何とか配り終えて、次のキャンプへ。
パルワンドゥー避難民キャンプには、子ども用のサンダルを配った。昨年、ここにはテントシートを配っていたので、幸い、まだ持っているようだ。
裸足で歩いていて、ガラスを踏んだ子どもがいる。そこから細菌が入ると、様々な感染症を起こす。ただでさえ、ハエが飛び回り異臭の漂うキャンプで、腐りかけのものも食べているのだ。何とかこのサンダルを大事に活用してほしいと願う。
さて、今回のアフガンでの仕事も、これで一段落だ。毎回アフガンに来て思うことだが、まだまだ支援物資が足りない。国連は何をしているだろう。アフガンを取材するジャーナリストも少なくなり、NGOもなかなか現地まで来てくれない状態の中、アフガンはゆっくりと忘れられていく。何とか踏ん張って、支援を継続していきたいと願う。

8月19日(月)、今日はアフガンの独立記念日。97年前にイギリスとの戦争に勝利し、アフガニスタンを建国した。祝日なので、ほとんどの店は閉まっていて、街はいつもより閑散としている。カブール旧市街のサッカー場が、本日の記念式典会場で、カルザイ大統領以下政府要人がこのサッカー場にやって来るので、物々しい警備。
プレスカード(偽造している)を見せて、警官を撮影。警官たちは24時間ここで街へ入ってくる車をチェックしている。ここは119番詰め所で、街のあちこちにこうした検問があって、普段はここで渋滞する。
カブールの全景を撮影したかったので、山に登る。山の中腹からカブールの町並みを撮影。不気味な無人飛行船と、建設中の高層ビル。村上春樹の1Q84に、「2つの月」が空に浮かぶ仮想世界が出てくるが、ここカブールはまさに「2つの月」が浮かんでいる。
山から下りて、パルワンドゥー避難民キャンプへ。キャンプのすぐ間際まで新築マンション建設工事が迫っていて、キャンプは間もなく消滅してしまう。この人々はどこへ行けばいいのか?おそらく、カブール郊外の、荒涼とした大地にテントを張って、またキャンプを作るのだろう。せめて仮設住宅くらい建てて上げたらいいのに。
さて、今回のアフガン取材もいよいよラストにさしかかった。カブール市内に限っていえば、治安はそれほど悪くない。しかし、カブール郊外、特にパキスタン方面へ行けば行くほど、治安が急速に悪化して、地元民も逃げ始めている。
米軍の無人空爆機がパキスタン国境を空爆⇒人々の中に反米感情が高まる⇒パキスタンからタリバンがやってきて、新たなタリバン兵をリクルート⇒銃撃戦や自爆テロが増えるので、米軍は無人空爆機による攻撃を継続…。このような流れで、治安が悪化し避難民が増えている。米軍は2014年に撤退を発表しているが、おそらく基地は残すだろう。
アフガンの西側には敵国イラン、北の中央アジアと東の中国ににらみを利かせるためにもアフガンは「かなめ石」なのだ。この点は沖縄と通じる。ここアフガンでも米軍が、例えば装甲車で人をひき殺しても、裁判もないし、米兵は捕まらない。「テロとの戦い」というあいまいな戦争を続けることによって、軍産複合体と金融資本はボロ儲けができるし、アジアのほぼ真ん中に巨大な軍事拠点を作ることに成功しているのだ。

帰国した子どもたちと ブログ用.jpg ドイツから帰ってきた子どもたちと。カメラに向かって「ありがとー」。平和村の日本人スタッフから習ったそうだ。


8月18日(日)、今日はドイツから子どもたちが帰ってくる日だ。朝8時に空港へ。警備が厳重で中に入るのにかなり時間がかかる。そんなことをしていて行き違いになるのがイヤなので、空港をあきらめ、赤十字の事務所で待つことにする。
予定では9時にバスが到着するのだが、30分、1時間待ってもバスは来ない。大渋滞に巻き込まれているのだ。その間に、子どもたちを待つ家族にインタビュー。みんな嬉しそうだ。中には車に花を飾っている人も。こちらでは結婚式などで、車に花を飾ってお祝いするのが習わしだ。
10時半、赤十字の大きなトラックに続いて、バスが到着。地元メディアと私が競うように、写真とビデオを撮る。
子どもたちは、いったん赤十字の狭い部屋に通され、1人ずつドイツ平和村スタッフの面接を受けていく。
「指は開ける?」「薬は3種類。ちゃんと決まり通り飲んでね」。平和村スタッフが父親に、今後の治療とリハビリを指導している。

少女の手 アップ ツイッター.jpg この子の指は、やけどでくっついていた。1年間のドイツの治療で、手のひらが開くようになった。左手人差し指の第1関節から、白っぽい「指」が伸びている。彼女の足の指を移植したのだ。 「グーパー、練習すれば鉛筆が握れるようになるよ。字も書けるよ」。スタッフの言葉に、はにかんだような微笑み。 ズハールちゃん(11)も大やけどで、ドイツに1年間運ばれていた。両足と顔、両手のやけどは、治癒して、今では痛みも感じない。1年半前、冬の朝に、母親はいつものように朝食の準備をしていた。アフガンの中流家庭では電気はあるが都市ガスはない。パキスタン製のプロパンガス。狭い部屋でパンを焼いていたその時、ガスボンベが大爆発。大音響とともに屋根は吹っ飛び、両親、姉妹、ズハールちゃんは大やけどを負った。隣で寝ていた弟は、爆風で投げ出され、無事だった。 その後、ズハールちゃんはカブール市内のインディラガンジー子ども病院に運ばれた。とりあえず、死ななかった。でも指はくっついているし、歩けない。そんなとき、叔父がドイツの平和村のことをテレビで知った。3か月かけて治療先を探していた時のことだった。 ズハールちゃんの診察が終わる。部屋から出てくるズハールちゃんを、家族が泣きながらお出迎え。花束が手渡され、札束が投げられる。(こちらでは祝い事の時に低額の札をばらまく)同じ爆発でやけどをした姉がズハールちゃんを抱擁し、涙を流している。1年間待った甲斐があった。 足を引きずりながら、ズハールちゃんが歩く。その姿を見て、また母親の目に涙。歩けるようになっている! ドイツの平和村では6か月から2年ほど、適切な治療をして、アフガンやアンゴラなどに子どもを送り返している。ドイツの医療技術は世界トップ水準。でも日本も負けてはいない。日本もこうした活動を始めればいいのに。

8月17日(土)、「自爆テロが起こった」と通訳のサバウーンが電話してくる。
午前9時、ホテルでサバウーンを待つも、現れない。「交通渋滞に巻き込まれた。ちょっとも進まない」との電話。じりじりしながら彼の到着を待つ。
午前10時、テロの現場へ向かうが、道路は車でビッシリ。歩いた方が早い。
なぜこんなに込んでいるかというと、①土曜日は週はじめ、②カブールの人口が急増し、元々渋滞している、③自爆テロが起こったので、臨時の検問が設けられて、さらに込み合う。の3つくらいが原因である。
現場はシネマストリートと呼ばれる映画館の前だった。テロが起こったのは、昨晩の6時頃で、現場は片付けられ、人々は何事もなかったかのように生活している。周囲にはやたらと警官がいて、撮影は許可されなかった。2人が死亡、6〜7人が重症を負ったとのこと。ここカブールでは、少々の自爆テロはニュースにさえならなくなった。
カブールからジャララバードまで、国道が延びている。その国道を東へ、つまりジャララバード方面に30分ほど走ると、巨大な基地と工事現場が見えてくる。
「ニューカブール」を作っている。アフガニスタンには巨額の復興資金が投じられていて、さらには人口が急増しているので、ニュータウンの造成が始まっているのだ。重機が林立し、建設会社の看板が並ぶ。大型トラックが資材を運んでいる。建設会社は空前の好景気に沸き、マンションは作った尻から完売なのだ。一部の「復興成金」「戦争成金」と、圧倒的多数の、毎日1ドル以下で生活する人々。ここでは格差が極限まで広がっている。
みんなが貧しければ、テロは起こらない。一部のアフガン人だけが裕福になり、その他大勢は貧困なまま。そんな格差がテロを生むのだと思う。

8月16日(金)、今日は休日なので、あまりすることがない。金曜日は自爆テロが起こりやすいのだが、やはり起こったのだ。午後6時過ぎ、カブール旧市街のシネマストリート。ただ、こちらの情報網が十分ではなかったので、翌朝までこの自爆テロがあったことを知らずにいた。逆に言えば、少々の自爆テロがカブールで起こっても、こちらのテレビ、新聞は伝えない。日常化している。
さて金曜日であるが、板橋さんが帰国したので、通訳のサバウーンと一緒に、テントシートと子どもの靴の買い出し。カブール川にそって巨大な市場が並ぶ。
いつものように店主と交渉。それぞれトラックにつめ込み、19日の朝にキャンプで配ることにする。(18日は忙しいのだ)
私が日本人だと分かると、物乞いたちが寄ってくる。1人に渡すと、我も我もとパニックになるので、子どもの物乞いを選びつつ、隠れて20アフガニーずつ(40円)渡す。
さて、援助物資の段取りも終わった。ドイツから帰国する子どもたちに会うのが楽しみだ。

板橋チャン.jpg

ユニセフの大使?か。板橋さんと子どもたち。

8月15日(水)、カブール旧市内の通称「デストロイド地区(破壊地区)」を、板橋さんに見せてあげようと、車で向かう。デストロイド、町が破壊されたのは90年代の内戦だ。旧ソ連が撤退した後、パシュトン人主体のヘクマティヤル、タジク人のマスード&ラバニ、ウズベク人のドスタム、そしてハザラ人将校グループが4派に分かれて、「カブールの取り合い」を行った。
「毎日ロケット弾が飛び込んできて、その内に『あー隣に落ちたな』『あの人死んじゃった』って感覚。生きのびたのはアッラーのおかげだよ」。土産物店の店長の言葉が、当時の様相を物語っている。
ところが、である。この「デストロイド地区」もまた、昨今の「復興バブル」で、新築マンションに変わっていたのだ。ショック!貴重な戦争遺跡として保存すべきだと思っていたのに。
その新築マンションのすぐそばに、巨大な避難民キャンプが存在している。
「チャマン・フズリー避難民キャンプ」は、約220家族、2000人以上が住む。避難民の数はここ1〜2年で急増している。ほとんど全てがパキスタンとの国境付近から逃げてきたパシュトン人だ。
なぜか?①米軍はアフガン・パキスタン国境付近を、ドローンと呼ばれる無人空爆機で空爆している。②そんな中、住民の間に反米感情が高まって「ニュータリバン」が増えている。もちろん、パキスタン側からも「タリバンの流入」がある。③そんな究極状況の中、村では「タリバン兵のリクルート」が始まった。
タリバン兵のリクルートとは? 「お前の息子たちをタリバン兵にする。イヤなら殺す」。
息子をタリバン兵にすることも、殺されることも拒否した人々が、長年住み慣れた村を逃げ出してきたのだ。
「西谷さん、あれ、かなり近づいてきますよ」。そんなことを取材していると、米軍が浮かばせている無人偵察バルーンが、どんどん近づいてくるではないか。
「大丈夫、あれは撃たないから」「そうなんですか。でも私たち、間違いなく撮影されましたよね」。
そう、あのバルーンには精巧なカメラがついていて、「テロリストたちの行動」を監視している。怪しげな東洋人が、難民キャンプに入って何をしているのか?
偵察に来たのだろう。バルーンはバグダッドで求んでいるので、慣れているとはいえ、あそこまで接近されると不気味だ。
板橋さんには「いい経験」になったことだろう。
このキャンプ、昨日までの雨でテントの中もドロドロだ。天井をカバーするテントシートに穴があいている。今回は、このキャンプにテントシートを配ることにする。日本と同様、ここでも「集中豪雨」がある。

栄養失調 ブログ用.jpg 母乳もなく離乳食もない。栄養失調で危篤の子ども

8月14日(水)、午前10時にカブール市内のインディラガンジー子ども病院へ。ハビーブ医師と再会。しばし抱擁の後、病院内を取材して回る。この病院を4年前から取材しているが、少しずつ医療機器が充実してきている。まぁあれだけの支援金があるのだから、本当はもっと早くこの病院に回ってこなければおかしい。カルザイ政権の汚職で、途中で金が消えている。
やけど赤ちゃん.jpg

やけど病棟はいつ訪れても、この世の地獄だ。全身火傷の少女と赤ちゃん。少女は熱湯をかぶり、赤ちゃんはパン焼き釜に落ちた。さっきドイツへ旅立つ子どもたちを見送ってきたが、あの中にもやけど患者がいた。
がん病棟へ。白血病の子どもが二人ベッドで点滴を受けている。「フクシマはどうなってる?病気の子どもが増えていないか?」ハビーブ医師が日本を気遣ってくれる。
栄養失調で危篤の子どもたちが多数入院している。アフガンの村では、母親が満足に食べていないので、出産後に母乳が出ず、このような栄養失調の子どもが多数いる。母親が心配そうにベッドに付き添っている。
パクティア洲からやって来た。「なぜ、こんなになるまで放っておくのか!」とこの子の家族を責める人がいるかもしれない。パクティア洲からカブールまでの乗合バスが約3千アフガニー。(6千円)
この家族には払えない大金なので、近所の村人たちに借金をして、ここへ来た。今は、特殊なミルクを少しずつ飲ませて、体力の回復を待っている。
アフガンは医療費は無料なのだが、この病院までやって来る交通費がないのだ。カブールには「戦争成金」がいっぱいいて、新築マンションが建ち並んでいる。結婚式に一晩で何百万円と使うカブール住民もいれば、子どもがこんな状態になっても、わずか6千円のバス料金がないために病院まで来られない人々がいる。絶望的な貧富の格差だ。戦争とグローバリゼーション。弱肉強食の世界。
病院を後にして、カブール市内のパルワンドゥー、パルワンセ避難民キャンプw訪問する。驚いたことに、キャンプがなくなっていて、ここにも新築マンションが林立している。
7か月前に難民たちが地主に追い出され、ここにマンションが建ったのだ。
辛うじて残っているキャンプに、見慣れた顔の難民たちがひっそりと暮らしている。大半は他の場所でテントを張っているか、ホームレスになっている。


同行の板橋さんが子どもの前で記念撮影。「ユニセフの大使みたいや」「今日から『イタバシ・チャン』で売り出そか」。数日後に、ここに子どもの靴と毛布を持ってこようと思う。

8月14日(水)早朝5時半、昨日訪れたアフガン赤十字事務所へ。すでにドイツへ行く子どもたち、見送りの両親、家族たちで事務所前広場はごった返している。バスが3台入ってくる。ここから子どもたちだけがバスに乗り、空港へ出発するのだ。
赤十字のスタッフが、名簿にそって名前を読み上げていく。呼ばれた家族は、鉄の扉から事務所内の中庭へ。ブルカの母親にしがみついて泣き叫ぶ子ども。ブルカを着ているので母親の表情は分からないが、名残惜しそうに息子の肩を抱いている。昨日出会った子どもたちが次々と名前を呼ばれ、中庭に入っていく。何度も手を振りながら、泣きべそをかきながら、子どもたちはバスに乗り込んでいく。今日から6か月間、この子たちはドイツで治療に集中する。家族からの電話は許可されない。子どもがホームシックにかかると、精神的に安定せず、治療に悪影響を及ぼすからだという。
高校生くらいの松葉杖の少女が、泣きじゃくる幼児を慰めている。彼女は何度かドイツに行き、平和村の日本人スタッフと仲良くなった。
「サヨナラ」。カメラに向かって手を振ってくれる。
やがてバスが出発。母親たちの目が赤く腫れている。(目だけ出した母親が数人いた)バスの窓に身を乗り出して手を握る父親、涙を見せたくないのだろう、下を向いたままじっとしている父親の姿も。
国道をバスが遠ざかっていく。今度ここに帰ってくる時は、歩けるようになって、やけどの整形が成功して、義手ができて、自分でおしっこができるようになって、口に空いた穴が塞がって、帰ってこいよ。ファインダーの画面がにじむ。来年2月にまたここに来て、笑顔になった人々を撮影したいな。

ペン型クラスター ブログ用.jpg

アフガンのジャララバード。通学途中に「ペンの形をしたクラスター爆弾」を拾って、そのペン先を口で空けようとして、大怪我をした少年

路肩爆弾 少女 ブログ用.jpg

アフガンのカンダハールで、(おそらく)タリバンの仕掛けた路肩爆弾で両足を大けがした少女。ドイツでの治療で、切断せずに回復することを願う。

おしっこ漏れる少女 ブログ用.jpg

生まれつきおしっこが漏れてしまうのでおむつをしている。13歳になった。これから思春期。先天性の泌尿器異常。イラクでもたくさん患者がいる。劣化ウラン弾の影響だろうと思う。

こちらの通信事情が悪いため、写真は後ほどアップします。


8月13日(火)、カブールの旧市街をカブール川にそって車で10分も走ると、アフガニスタン赤十字事務所がある。中に入ると、大勢の子どもと地元テレビ局のカメラ。その子どもをよく見ると、両手がなかったり、首が異常に膨らんでいたり、足がぐにゃっと曲がっていたり…。
ここに集まった子どもたち57人は、明日の朝一番の飛行機でドイツに飛んでいく。アフガンでは治療できないので、ドイツの「平和村」が、この子どもたちを治療する予定だ。「平和村」は、毎年アフガンにやって来て、ドイツで治療してアフガンに送り返している。今年は500〜600人くらいのアフガン児童が治療を求めていたが、その中からドイツに連れていく子ども57人を2か月かけてセレクトし、いよいよ明日、その飛行機が飛ぶのだ。
顔面やけどの子どもがいる。1歳の時に釜に落ちた。釜の中で、両手で身体を支えて踏ん張ったので、やけどの指がくっついてグーの形のまま動かない。
激戦地ガズニの出身で9歳。小さい頃はこの顔が原因でいじめられたが、今はイジメもなくなって学校に通うことができている。ペンを持たせて自分の名前を書いてもらった。タハーラ。消えそうな声で自分の名前をつぶやく。
ドイツでくっついた指を切り離し、両手が少しでも復活すればいいのだが。
10歳のズベイル・アハマド君は、2年前ジャララバードの自宅から学校に向かっていた。道にペンが落ちていた。正確にはペンの形をしたもので、拾ってみると重かった。「何だろうこれは?」。好奇心おう盛な少年は、ペンの先を口に挟んで、キャップをこじ開けようとした。
閃光が走り、気を失った。ペンのようなものはクラスター爆弾だった。
この2年間で彼はドイツに2回運び込まれ、今回が3度目だ。ドイツ語も少々話せるようになった。「ペンのようなクラスター爆弾」は、タリバンは持っていないだろう。米軍が投下した可能性が高い。
グル・アフシャーンさんは12歳か13歳だ。アフガンの田舎では出生届など出すような習慣はないので、自分の年齢が分からない人が多い。アフシャーンさんは先天的な膀胱傷害で、実はおしっこが垂れ流しの状態なのだ。近づいてインタビューすると、プンとアンモニアの臭い。中学生になってもおしめを離すことができない。実はイラクでもこの症状の子どもを多数見たことがある。「劣化ウラン弾だよ」。通訳のサバウーンがつぶやく。アフガン美人のアフシャーンさんは、これからいわゆる「お年頃」を迎えていく。恋もするだろうし、結婚生活も夢見るかもしれない。ドイツでの治療が成功することを祈る。
アシナーちゃん(10)は、4か月前に親族の結婚式に招待されて、母と一緒にカンダハルの道路を歩いていた。突然、閃光が走り、身体ごと吹き飛ばされた。カンダハルでは、頻繁に国道を通行する米軍を狙って、タリバンが路肩爆弾を仕掛けている。そのうちの一発が、母子が通行中に何らかの理由で爆発してしまったのだ。母は即死、アシナーちゃんは両足に重症を負った。カンダハル病院では、治療不可能。寝たきりのアシナーちゃんがドイツで歩けるまで回復してほしい。ドイツでは約6か月入院する予定なので、手術が成功して、リハビリをがんばれば、また学校に行けるようになるかもしれない。おそらく激戦地カンダハルやヘルマンドでは、アシナーちゃんのような子どもがたくさんいて、ひっそりと暮らしている。アシナーちゃんは、そんな子どもたちの希望になればいいと思う。ドイツまで8時間程度のフライト。がんばれ!

カブール空港の両替屋の前で。通訳のサバウーンと同行の板橋さん


8月12日、ドバイからカブールへ飛ぶ。いつものことながら、このカブール便には民間軍事会社の兵士や国連職員、私のような「ちょっといかれたジャーナリスト」が乗り込むので、他の搭乗口とは雰囲気が違う。
3時間のフライトで無事カブール。日差しは厳しいが、からっとしていて涼しい。日本は41℃を越えたそうだ。治安を別にすれば、ここの方が過ごしやすいな。
今回は「古舘プロジェクト」の板橋さんと一緒。彼女はカブールが初めてなので、飛行機の中から「砂漠だわ」とか下界を珍しそうに眺めていた。
空港で通訳のサバウーンと再会。空港の両替屋の前で写真を撮る。カブールの両替屋は、イランや中国、パキスタンなどの通貨を並べて、「そのドルをどれでも換えてやるぞ、兄ちゃん!」という野性的な雰囲気を醸し出しているので、ちょっと気に入っている。
空港を出る。以前より検問が増えて、警官の数も増えている。実は最近になって自爆テロが急増し、カブールの治安が悪化しているのだ。昔あれほどたくさんいた米兵の姿は見当たらず、アフガン軍と警官の姿が目立つ。テロリストの多くはパキスタンからやってくる。先月は、そんな「テロ予備軍」が40人も捕まったそうだ。冤罪も多いだろうな。
いつもの宿にチェックイン。ワイファイが完備して、スマホを持つ人も増えた。グローバリズムが国境を越えて、紛争地にもやって来ている。カブールが近代化されていく中で、少数の富めるものはどんどん富んでいき、多くの貧しきものは徹底的に貧しくなっていく。そんなカブールで、明日はドイツの平和村を取材する。

このアーカイブについて

このページには、nishitani2013年8月に書いたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブはnishitani: 2013年7月です。

次のアーカイブはnishitani: 2013年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01