nishitani: 2016年8月アーカイブ

8月16日、ガジアンテップで取材開始。まずはリムさん(12)の自宅へ。前回の取材で出会った、リムさん、イスマイルくん(10)のその後はどうなっているのか?粗末な門扉にぶら下がっているチャイムを鳴らす。リムさんが出てきて扉を開ける。「少し大きくなったかな?」。シリア女性は早熟な人が多く、背が伸びて大人に近づいている。
6畳ほどの布団しかない部屋、祖母と3人で暮らす。「おじさんは?」「シリアに戻ったまま帰ってこれないの」。シリア北部アザーズの街に残る親族が病気になったので、おじさんがトルコまで連れてきてここで一緒に暮らすはずだったが、トルコとの国境で止められてしまったのだ。シリア難民の急増で悩むトルコ政府は、難民の再入国を許可しないことが多い。つまり難民にとってシリア帰還は「一方通行」に等しい。
2年前、私は川をたらい舟で越えてシリアへ出入りしたが、あの場所にも巨大な壁ができていて、密入国も無理になっている。
リムさん、イスマイルくんの健康状態、やけどの回復状態を見る。全然変化がない。いや、むしろ悪化している。腹の皮膚を顔面に移植したが、移植後に新たな皮膚ができてこないとダメだが、そこが黒く変色している。栄養、特にたんぱく質が不足すると、筋肉も皮膚も更新しない。病院に行っていないし、薬もないので、当然といえば当然。5月に当面の生活費、病院代として600ドルを手渡したのだが、おじさんが使ってしまったとのこと。そのおじさんも国境で足止めを食らっているが。
つまりこういうことだ。「手術代、薬代としてお金を渡しても、それらは当面の生活費に消えてしまう。だから直接病院に連れて行って信頼できる医師に相談するしかない」。
そんな医師が見つかるかどうか。
リムさん宅を後に、現地NGO「アハサーンセンター」へ。日本語にすると「チャリティーセンター」といった感じ。
ここに戦争で傷ついた人々68人が共同生活を送っている。サーラ・ムハンマドさん(26)はデリゾール市でパン屋さんを営んでいた。デリゾールはIS支配地域なので、この2年間、ロシアとアサド軍の猛烈な空爆にさらされている。7ヶ月前のその日もアサド軍の戦闘機がやってきた。そしてミサイルが店舗を直撃。
店内には灯油タンクがあった。毎日パンを焼くので、油は欠かせない。そのタンクが爆発、店は炎上した。ムハンマドさんの両足は膝上から切断され、残ったわずかな足にもケロイドが残る。「この子が我が家で唯一の男性だったのです。稼ぎ手を失って、デリゾールに残った家族生活もどん底です」付き添いの母が一枚の写真を見せてくれる。生後7ヶ月の赤ちゃん。そう、サーラさんは新婚ホヤホヤで、初めての赤ちゃんが生まれて20日後に空爆されたのだ。
ISは外部との連絡を厳しく制限しているので、こちらからうかつに電話はできない。妻が地下組織でネットがつながるところに行けた時だけ、連絡が取れる。IS支配地域では電話するのも命がけなのだ。
シェイマちゃん(7)は、アレッポの幹線道路で狙撃された。乗り合いバスで移動中のことだった。アレッポには、大きく分けて自由シリア軍、ヌスラ戦線、アサド軍、IS、そしてクルド軍という5つの武装勢力があって、街の実効支配をめぐって猛烈な戦闘が続いている。幹線道路は、自由シリア軍とクルド軍、そしてISの支配地域を貫いて走る。乗客でいっぱいの乗り合いバスは、その幹線道路を走っていた。PKK(クルド武装勢力)がバスを射撃。隣にいた兄は即死、銃弾は標的に当たってから爆発するタイプで、その破片が彼女の顔面を直撃した。
右目は失明、左目はかすかに光を感じる程度。
トルコの病院ではこれ以上の治療は無理だと告げられた。「ドイツかカナダ、日本に行くしかない、と言われたよ」。付き添いの父親が絶望的な状況を語ってくれる。この子を救うには、1 ドイツ行きのビザが下りて(シリア人には難しい)2 相当な手術費用(おそらく100万円以上)と移動費用(約50万円)を集めて 3 ドイツで受け入れてくれる病院がないと、奇跡は起こらない。
いっそ日本に連れて帰りたいくらいだ。
ヘクマト・ハムダーンさん(18)は自由シリア軍の兵士だった。米仏露などの空爆で、ISは支配地域を後退させている。自由シリア軍が前進し、支配地域を奪い返していく。そんなとき不用意に入ると‥‥。逃亡する際、ISが仕掛けた爆弾が炸裂するのだ。
細い釣り糸が爆弾に結びついている。その釣り糸に足をかけると、ドッカーンと大爆発。昨年、イラクの基地でこの対処方法を取材した。教官は「仕掛け爆弾と、リモコンで爆発する路肩爆弾が一番危険だ」と言っていた。まさにその爆弾でやられたのだ。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」。反戦川柳作家、鶴彬の句を思い出す。アサド軍の空爆だ。彼は兵士ではなく普通の市民。アレッポではこのような犠牲者が急増している。早くこの戦争を止めないとダメだ。

8月15日早朝、イスタンブールに無事到着。現地の英字新聞「デイリーサバーハ」(毎朝新聞という意味)を求める。民主主義を求める新聞として創刊されたようだが、最近はエルドアン支持、ギュレン派に厳しい論調を展開しているようだ。
この新聞にヌレティン・ベーレンという人物のインタビュー記事が載っている。
要約すれば、ベーレンとギュレン師は幼なじみだった。ギュレン師はトルコ西部イズミルで活動を始めた。1966年からモスクの中に貧困層の避難所を作った。70年代に入るとトルコは学生運動が盛んになった。左翼と極右勢力の衝突で、保守派の学生は行くところを失った。ギュレン師は保守派学生の避難所を作った。アパートを借りて、寮と下宿にして、瞬く間に「ギュレン師のシェルター」は、トルコ全土に広がった。これはヒズミット(ギュレン運動)と呼ばれるようになった。やがてギュレン師はトルコの私立大学、予備校を建設、保守系学生を養成した。これで資金と名声を集めた。
旧ソ連が崩壊した。ギュレン師はロシアに進出。ロシアへ英語教師を送り込んだが、この英語教師の中に米国、つまりCIAのエージェントがいて、ギュレン師とCIAは密接につながるようになった。
1996年ギュレン師は弟子たちに、トルコの軍と警察、裁判所を支配せよ、と演説した。こうしてギュレン師はトルコの機密事項をつかめるようになり、それをCIAに流し続けた。ギュレン師の組織FETOとCIAは約40年前からつながっている。
だから、今回のクーデターは背後にCIAがいるのは間違いない。
以上がベーレン氏の発言要旨である。この新聞がエルドアン大統領の支配下にあって、ギュレン師に反発するキャンペーンを張っているのは明らかなので、話を全面的に信用することはできないが、「背後にCIAがいる」という指摘は、傾聴に値すると思う。話も具体的で、エルドアンと米国の関係を考えれば、「やるかもしれない」と思うからだ。
エジプトがいい例である。アラブの春で、民主的に選ばれた政権を、軍がクーデターで倒して、シーシが大統領になったが、ここは一気に「親イスラエル、親米政権」に変えられたのだ。
クーデター後、エルドアンはロシアに急接近している。この地域のパワーバランスがまた、激変していくのではないか。

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